第56話 少年皇帝の涙

 十八歳になった。

 天下の情勢は目まぐるしく変化していた。


 一番のニュースは孫堅の死だった。

 劉表りゅうひょうとの戦いの最中、流れ矢に当たって落命したのだ。

 陣頭で指揮を執るスタイルが今回ばかりは裏目に出たといえる。


 この訃報を呂布に伝えると、


『そうか。孫堅とはもう一度戦うと思っていた』


 悔しそうに拳を握っていたのが印象的だった。


 孫堅軍は袁術軍に吸収されている。

 息子の孫策にとっては我慢の日々だろう。


 訃報は他にもある。


 曹操と対立した王匡おうきょうが殺されていた。

 他には袁紹がライバルの韓馥かんぷくを自殺に追い込んでいた。

 いずれも反董卓連合のメンバーである。


 劉岱と鮑信も反乱軍との戦いで敗死しているから、十七人いたメンバーの内七人が舞台から去ったことになる。


(過去には橋瑁、袁遺が脱落……)


 袁紹と曹操は同盟を結んでおり、どちらも野心を抱えているから、多くの人材の受け皿となっていた。


 頃合いだな、と呂青は思った。

 董卓に対するクーデターのことである。


 頭巾ずきんを被り医者の格好に変装した。


 近頃、劉協が体調を崩しているのだ。

 漢王室お抱えの老医がおり、宮中に出入りしている。

 助手の一人として同行させてもらった。


 劉協は寝台で横になっていた。


 もう十二歳になっている。

 九歳まで迫害されて、この三年間は董卓の操り人形だった。

 精気のない横顔を見ていると目の奥が熱くなった。


 老医が飲み薬を煎じる。

 廷臣が毒見してから劉協に飲ませた。


「父も、祖父も、その父も長命ではなかった。漢王室に対する天の呪いだろうか」


 ポツリと弱気なことを口走る。


 劉協に対する董卓の扱いは以前より雑になっていた。

 うっかり皇帝が病死したら帝位が転がり込んでくると思っているのだろう。


「兄は帝位に就くのを嫌がっていた。その気持ちが理解できる。半分死んだようなものだ」


 呂青は寝台の横に膝をつく。

 被っていた頭巾を床に置いた。


「お久しゅうございます。どうやら陛下は心の病を患っているようです」

「その声……まさか……」

「呂青でございます」


 濁っていた劉協の目に光が差した。


「懐かしい。三年前を思い出す。洛陽の郊外で呂青と出会った」

「あの時は董卓にねじ伏せられました。ようやく報復の時がやってきました」

「ッ……⁉︎」


 驚いた劉協が周囲を警戒する。

 すると廷臣は拱手きょうしゅした。(中華風の敬礼)


「この場にいる全員が陛下の味方でございます」

「できるのか? 長安の周りには董卓の大軍がいるだろう」

「三年間準備を進めてきました。陛下が想像されるより陛下の味方は多いのです」


 劉協は呂青の手を取って泣き始める。


「朕を助けてくれ、呂青。人々の苦しむ声が聞こえるのだ。外の世界がどうなっているか知りたいが、廷臣と会うことすら制限されている。朕はただ何が真実なのか知りたいのだ」

「一つだけお願いがございます。みことのりを賜りたいのです」


 詔を与える先は司徒しと王允おういんを指名した。


「王允は生粋の文官です。董卓から信頼されており、怪しまれにくいです。服の帯に詔を隠して、それを王允に下賜してください」


 実際に手を下すのは呂布。

 そこまでは言葉にしなくても通じる。


「分かった。朕の命、皆に預ける」


 覚悟を決めた劉協は皇帝の顔になっていた。

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