第52話 洛陽から長安への遷都

 傷の手当ては高順がしてくれた。

 一ヶ月くらいは無理しない方がいい、と言われた。


「孫堅の息子に斬られた。向こうも初陣だった」

「ほう、不思議な縁ですな」


 戦場跡に行ってみた。

 そこら中に死体が転がっている。


 敵将のむくろらしきものを発見したと報告があったので、生捕りにした孫堅軍の兵卒に顔を確認させてみた。


祖茂そも様です」

「そうか……」


 祖茂は旗揚げから活躍している宿将だった。

 孫堅にとっては義兄弟のような存在だろう。


 呂青は折れた旗を見つけた。

 祖茂の亡骸を丁寧に包ませる。

 捕虜たちを解放して孫堅のところへ届けるよう命じた。


 たくさんの将星が散っていく。

 たとえ敵でも胸にこみ上げるものがあった。


 呂布に呼ばれたので陣地に戻った。

 すでに華雄や胡軫が集まっていた。


「相国は洛陽を捨てて長安へ移る気だ」


 呂布が淡々とした口調で告げる。


「袁術と孫堅には打撃を与えた。立て直すのに時間がかかるだろう。我らは長安へと移る。いったん戦争は終わりだ」

「それは洛陽を反董卓連合に明け渡すという意味なのか?」


 胡軫が食い下がる。


「洛陽は守りにくいと判断した。それ以上は俺も聞いていない」

「相国には相国のお考えがあるというわけか」


 華雄が神妙そうに頷く。

 呂青の初陣は勝利という形で幕を下ろした。


 ……。

 …………。


 洛陽から長安まで約五百キロメートルある。

 延々と庶民らの列が続いた。


『洛陽の住民はすべて長安へ移せ』


 それが董卓の一個目の命令だった。


『洛陽の建物はすべて破壊しろ』


 それが二個目の命令である。

 住む家が無くなった以上、人々は長安へ向かうしかない。


 狂気である。

 かつ合理的である。

 この時代、人口減少が進んでいるから、洛陽に人を残すと袁紹らを利するのだ。


「うっ……酷い……」


 残雪にまたがった呂琳が顔をしかめる。


 街道のあちこちに死体が転がっていた。

 病死、殺人、自殺……理由はまちまちだが餓死が一番多かった。


「この世の景色とは思いたくないな」


 魚を腐らせたような汚臭に呂青は鼻をつまむ。


 飢饉ききん、飢饉、飢饉……。

 この国は三十年くらい食べ物が足りておらず、人間だろうが動物だろうが空腹に苦しんでいる。


「蓮と白が見たら三日くらい眠れなくなりそうだ」

「私だってキツいよ……。兄上は平気なの?」

「戦場も同じくらい悲惨だった」


 初陣を経たことで呂青の肝っ玉は大きくなっていた。


 英姫と妹二人は馬車の中にいる。

「変な匂いがする!」と呂蓮が訴えたので「近くの川で大量の魚が死んでいる。柑子をやるから鼻に押しつけておけ」といって馬車の中にオレンジ色の実をたくさん投げておいた。


 一ヶ月弱かけて長安の屋敷に到着した。

 天井からは雨漏りしているし、廊下には雑草が生えているしで、とても人間が暮らせる状態じゃなかった。


「兄上、洛陽に帰りたい……」

「ごめんな、白。あの屋敷はもう燃えた」


 地元の人に聞きながら木材を調達してきて自力で屋敷を修繕した。


 一個だけ良いニュースがあった。

 高順が結婚したのである。


 長安へ向かう折、うら若い女性を助けたのが馴れ初めだった。


「天が二人を巡り合わせたのだろう」


 お祝いのため呂布が豚をたくさん買ってきた。

 祝言の日には兵士らにも肉や酒が振る舞われた。


「高順は良い父親になるだろう。俺や琳にとってもう一人の父親みたいな存在なのだ」

「照れますな」


 高順が少年みたいに笑う。


 高順に手当てしてもらった左腕はすっかり良くなった。

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