1-44 開戦

「取り込み中のところ失礼」

 ひとしきり再会と作戦成功を喜んだところで、今度は白い髭を蓄えた老父が部屋に入ってきた。

「この度は街の者を救い出してくれたとのこと、誠に感謝します」

 老父はそう言ってうやうやしく頭を下げる。

「……彼は貧民街を治める長のゲベルです。ジルヴェが国王になる前は、この国の王であったそうです」

「王様!?」

 こっそり情報を補足してくれたフェルの話に、驚いてつい声を上げてしまう。

「いやいや、そんな大層なものではないのです。歳ばかり食った老いぼれですよ」

 正直言って、およそ元王様と思える風貌ではなかった。服装は染みだらけで破れかけたぼろで、ひどく丸まった腰が小さな身体を一層縮こまって見せている。顔は穏やかで優しい表情が張り付いていて、逆に言うと威厳というものが感じられない。

「あれ、ってことは、ジルヴェはゲベルさんの……」

「いえ。ジルヴェは元々この国の有力な貴族の家の生まれで、他の貴族たちと結託してクーデターを起こしたそうです。それで、彼は王位を奪われた」

 フェルはこの国の歴史をかいつまんで説明してくれた。

 元々この国では、ゲベルを中心とした穏健派とジルヴェたちのような過激派に分かれており、その二つが睨み合いながら政治が行われていた。しかし、あくまでも国王側の穏健派が優勢であり、過激派は穏健派の目をかいくぐりながら裏ビジネスに手を付ける程度だった。

 ところが、およそ十年前、当時すでに老齢だったゲベルが突然病に倒れてしまう。かねてより引退を考えていた彼はそこで王位を一人息子のカイルに譲ることを決める。

 しかし、いざカイルが王位に就こうというタイミングで、何者かの手によってカイルが暗殺されてしまった。

 王が退き、王位継承者がいなくなるという不測の事態で国が混乱する中、それに乗じてジルヴェ率いる過激派は外部からかき集めた傭兵部隊を使って城を占拠。そのまま王位継承を宣言し、国を乗っ取ることに成功した。

 過激派だけでなく、中立、あるいは穏健派の一部も、自分の身を案じてジルヴェ側に寝返り、他の貴族たちは財産と権利を剥奪され、命をも奪われた者もいたそうだ。

 ゲベルは命からがら逃げ出して、今はこの貧民街で身を隠して暮らしているのだった。

「恥ずかしいお話です」

 他人の口から語られた昔話を聞き終えると、ゲベルは目を細めて静かに笑った。しかし、その瞳の奥には、深い苦しみと癒えることのない悲しみが刻まれていた。

「街の者を助けていただいた上、このようなことを頼める立場ではないとわかっておりますが、無礼を承知でお願いがございます」

 ずっと後ろに控えていた堅物そうな大男が突然堪え切れなくなったように口を開いた。

「よい。私から話させてくれ」

 前に出てきた男をゲベルが制止して、彼自身がこちらへ近づいてくる。

「あなたがたに、この国を救ってほしい」

 ゲベルは少し躊躇う様子を見せたあと、重い口を開くようにして言った。

「国を救う?」

「そうです。より正確に言うのならば、私たちがこの国を取り戻す手助けをしていただきたい」

 あまりに唐突な話すぎて、意図がいまいち読み取れなかった。

「先ほどそちらの商人殿が語ってくれたように、この国はあの男に乗っ取られてしまっております。悪政が敷かれ、民は冒涜され、もはや国と呼べる体裁を保ってはおりませぬ。私たちは彼らから何とかしてこの国を取り戻したい」

 わずかに震えている声から、昂る感情を必死に抑えているのが読み取れた。自分たちの国が滅茶苦茶にされていくのを見せられ続けてきたのだ。彼の思いは僕たちには計り知れない。

「でも、僕たちにどうしろと……?」

 力になりたいとは思いつつも、国を救うなんて大仰なことができるはずもない。通りすがりの『旅行者』に、協力できることがあるとは思えなかった。

「私たちはずっと蜂起に向けて準備を整えておりました。貧民街に暮らす市民二千人と、身を潜めて牙を磨き続けた元国王軍の兵士が五十四名。貧しい暮らしを切り詰め、秘かに武器を揃え、ずっとその機会を窺っておりました。そして今日、あなたたちが城の守りを破り、囚われていた住人たちまでも救ってくれた。戦力が削られ、統率を失っている今、この時こそが待ちわびた好機であるのです」

 確かに、今が絶好の機会であることは間違いなかった。

 しかし、僕たちはあくまでも奇襲に乗じて逃げ出してきただけだ。真っ向から国を取り戻す戦いとは訳が違う。

 市民二千人という数は多いが、実際まともに戦えるのは元兵士たちを中心としたわずかな戦力だけだろう。いくらミレナとカジが強くても、僕たちが加わって勝てるかどうかはわからない。

「もちろん、たたでとは言いませぬ。国を取り戻した暁には、私たちにできることは何でも叶えて差し上げましょう」

 深々と頭を下げるゲベルの姿はひどく小さく見えた。

 本当はこんなにも助けを求めている人たちの想いに少しでも応えてあげたい。でも僕がそれを言うことはできなかった。

 せっかくみんな無事に戻ってくることができたのだ。それなのにまた自ら危険に飛び込むなんて、そんなこと勝手に決められるわけがない。せめて僕だけでも協力したいが、カジやミレナと違って、期待に応える活躍ができる自信がなかった。

「……スープ」

 僕がぐるぐると堂々巡りの思考を続けていると、唐突にカジが口を開いた。

「美味いスープを逃したんだ。俺はそれが飲みたくてしょうがない」

 カジはそう言って僕の肩にそっと手を乗せた。

「……私はお風呂に入りたいわ。ゆったり足を伸ばして浸かれる広いところがいい」

 続くように言うと、ミレナは僕の方を見てそっと笑った。

「……あいにく私は戦いには参加できませんが、それでもご協力できることがあれば」

 フェルは胸元に手を当てて仰々しく礼をする。

「みんな……」

 どうやら僕の考えていることなどお見通しで、全員が同じ気持ちのようだった。

「わかりました。取り戻しましょう、この国を」

 こうして僕たちの国を救う戦いが始まった。

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