1-32 相浦実玲奈について①
相浦実玲奈は何の変哲もない東京の郊外で生を受けた。
母・玲子は本の装丁やCDジャケットなどを手掛けるイラストレーターだった。専門学校在学中から少しずつ仕事をもらうようになり、卒業後から本格的に個人で活動を始めた。最初のうちは浮き沈みが激しく、バイトなどで食つなぐ生活が続いたが、五年ほど続けていると徐々に収入も安定し始める。
しかし、その頃には自分が望んでいない仕事も受けるようになっていた。いつ再び仕事がなくなってしまうかわからない。そんな将来の不安を解消するためには、ひたすらお金を稼ぐしかなかった。
ちょうどそんな生活に疲弊しきった頃、玲子は通りすがりの街でとある看板を目にする。
『体験したことのない“異世界”への旅をあなたに』
彼女はこの『異世界』という言葉に不思議な魅力を感じて、気付くと吸い込まれるように店の中に入っていた。
「いらっしゃいませ」
店の奥から出てきたいかにも胡散臭そうな糸目の男の話を聞くと、どうやらここは本当に『異世界』へと連れていってくれる旅行代理店なのだと言う。
半信半疑、というよりも、ほとんど疑ってかかっていた玲子だったが、それでも一度くらい騙されてみようと思うくらいには、彼女は精神をすり減らして思考力を欠いていた。
それが彼女にとって、初めての『異世界旅行』だった。
見るものすべてが新鮮で、体験することすべてが現実離れしたその世界に、彼女はすっかり取り憑かれてしまった。
将来のためにと貯めていた貯金をあっという間に使い果たし、それからは旅行に行くために働くという生活が始まった。
人生における明確な目的ができたことで、仕事にも張りが出るようになった。さらに、『異世界』での刺激的な体験は彼女の作品にも大きな影響を及ぼし、イラストレーターとしての評価も徐々に上がっていった。
そうして何度目かの旅行にやってきた彼女は、そこで運命的な出会いを果たす。
相手はミノルという名の青年だった。彼は街から外れた森の中で、孤独に魔法研究に勤しむ学者だった。
二人の出会いは偶然だった。一人で旅をしていた玲子が魔物と戦っているのを、薬草を取りに来ていたミノルが見かけたのがきっかけだった。
「驚いた! こんなにも魔力量の多い人間がいるなんて!」
ミノルは川辺で休憩していた玲子に突然近寄って話しかけた。
魔法学者である彼は、戦いの最中に一瞬垣間見えた玲子の底知れぬ魔力量に一目惚れしたのだった。彼女自身は気付いていなかったが、単純な魔力量で言えば勇者ソウハをも凌駕するのではないかというほどで、『旅行者』としても異質な才能を持っていた。
彼からしてみれば、歴史を揺るがすようなサンプル素体が目の前に転がってきたようなものだった。とにかく興奮と感動に満ちた彼は、自分が俗世を離れた人見知りであることをすっかり忘れ、挨拶もなしに彼女に声をかけたのだった。
「なんですか、いきなり」
しかし、玲子からしてみれば、ミノルは突然目の前に現れた不審者でしかなかった。
服装は汚れて擦り切れた黒い外套で、手入れされていない無精ひげとやせ細ってこけた頬、目の下には泥を塗ったような深い隈がある。これを不審者と呼ばずしてなんと呼ぼうか。
「頼む! 僕に君の身体を研究させてくれッ!」
そう口にした次の瞬間、玲子は反射的に魔力を放出してしまい、ミノルの身体は数メートル先まで吹き飛ばされた。
そんな最悪の出会いから始まった二人の関係であったが、誤解が解け、落ち着いて話をするとすぐに意気投合した。クリエイターと学者という類似がよかったのか、変人同士で気が合ったのかはわからないが、結果として、玲子はミノルの研究に協力することにした。
こうして研究者と研究対象という奇妙な二人の共同生活が始まった。しかし、次第に研究は二人がともに過ごすための言い訳でしかなくなり、いつの間にか二人の間に愛が生まれていった。
しかし、あっという間に時が流れ、彼女が帰らねばならない日がやってきてしまった。決められた時間までに集合場所へ戻らなければ、もう二度と元の世界に戻ることができなくなってしまう。
「必ずまた来るわ」
「うん。待っているよ」
そう約束を交わし、彼女は帰路に着いた。
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