八割島アクアミュージアム

 あくる日の暮れ方のこと。めいは比奈と向かい合って飲んでいた。今度は宅飲みではなく、比奈が希望した居酒屋である。どうやら以前に会社の同僚に教わった場所らしい。金曜日とあって、中は満席だった。


「実はさ、ひなちゃん。あたし北海道に就職決まるかも」


 そう教えためいの表情は硬かった。「決まるかも」という表現も、ある種の予防線である。毛鹿牧場の話に関しては、今でもイエスノーを決めかねているのだ。


「え、よかったじゃん!……でも寂しくなるなぁ……めいちゃんと気軽に会えなくなるし」

 

 うつむいて語る比奈を見ていると、寂しくなるというのはウソ偽りのない本音なのだろう。ここ数カ月、本当に二人はべったりだった。当初めいは「比奈にはとっくに彼氏がいて、自分なんかよりそちらとの付き合いを優先するんじゃないか」と危惧していたが、いつの間にかそんな不安を覚えていたことも忘れていた。

 

「あ、そうだ。それじゃあさ、めいちゃんの再就職記念に水族館行こうよ。明日」

「明日? まぁ大丈夫だけど……ずいぶんと急だね。急すぎて」

「だって……めいちゃんいなくなっちゃうし……」


 頬を赤く染めている比奈は、今にも泣き出すんじゃないかというぐらいに悲しげな面持ちをしている。酒が入って涙脆くなっているのだろうか。 


 ――そんな顔をしないで……そんな顔をされると、こっちまで悲しくなる。


 めいは比奈の顔を覗き込んだ。比奈はまるで自分の表情を友に見せまいとしているかのように、手元のグラスを持ち上げて中身をぐいっと飲み干した。


 その翌日の、午前九時半。合流場所の駅ホームでめいを出迎えた比奈は、昨日の悲しげな顔が嘘のように晴れやかな顔をしていた。二人の目的地は八割島はちわれじまアクアミュージアムという水族館だ。めいが小学生の頃に開園したこの水族館は、大型で展示も充実しており、この地域では屈指の人気を誇っている。


「お待たせ」

「そうそう、めいちゃん、アクアミュージアムにヨシキリザメの赤ちゃん入ったんだって! すごいよね!」

「ヨシキリザメって確かカマボコの原料とかになるやつだっけ」


 めいは決して生き物に詳しい方ではない。けれども一部の生き物、主に人間に危害を加える可能性のある種類に関しては、比奈の口を経由して知識を得ていた。


「そうそう。飼うの難しいサメだから水族館ではなかなか見られないの。青くてきれいな体してて、顔も可愛いんだよね~これが」


 てっきり無理して明るく振舞っているのかと思ったら、そうでもないらしい。少なくとも、今の比奈は心の底から水族館を楽しみにしている……長年付き合ってきためいの目にはそう見えた。

 

 水族館の最寄り駅を下りた二人は、目的地に向けて歩き出した。八割島アクアミュージアムは橋を渡った先の島に建っている。海沿いとあって、一片の雲もない空の下に吹き寄せるそよ風が磯の香りを運んでいる。遠くからは海鳥の鳴き声が聞こえ、頭上ではカラスとトビが熾烈なドッグファイトを繰り広げていた。


 アクアミュージアムにたどり着いた二人は、入場券を購入し、中へ入った。入口の水槽ではカラフルな小型の熱帯海水魚たちが泳いでいる。以前、沖縄の海に行ったときにこんなような魚を見た気がする……が、あのときはシュモクザメだのダンクルオステウスだのに襲われていて、じっくり魚を眺めている場合ではなかった。

 比奈は申し訳程度にそれらを眺めた後、奥へと進んでいった。特に魚にこだわりがないめいは、だまって後ろをついていく。そうして二人は、メインの大水槽の前にたどり着いた。

 この水族館の大水槽は、他の大きな水族館のメイン水槽と同じように一階と二階から見られるようになっていたり、水槽をトンネル状にくり抜くようにエレベーターが通っていて、エレベーターに乗りながらでも見られるようになっている。水槽内ではマアジやマサバが大きな群れをなしており、その他にはホシエイ、ウシバナトビエイ、それからサメ数種類が悠々と泳ぎ回っていた。


「あっ、アカシュモクザメ! こっちはメジロザメでこれはカマストガリザメかな? こっちはエイラクブカでこれはホシザメ……あっ、トラフザメだ可愛い~」

 

 サメを前にして、比奈の目つきが変わった。興奮気味に名前を言いながら、目の前を通りかかるサメを指さしている。

 めいはアカシュモクザメとカマストガリザメの姿を見たとき、足がすくんでしまった。アカシュモクザメは沖縄の海で男を襲ったヒラシュモクザメとほぼ違いがわからないほどそっくりだ。カマストガリザメもかつて自分が顎を引き裂き、その後サイボーグ化して復讐に来たあのサメとよく似ている。


「いや~サメってほんと素敵だね……まぁ海では会いたくないけどね」

「まったくでござるよひなちゃん……沖縄ではほんとさんざんな目に遭いましたな……」

「まさかダンクルオステウスが出てくるなんてね~。今あのダンクルオステウスどうしてるんだろう。発見されたら大ニュースだろうし、見つかってないんだろうね」

「絶滅した動物が見つかったらそりゃあね……」


 ここ数カ月、本当に色んなことがあったなぁ……と、めいはしみじみ感じ入った。

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