純米大吟醸 虎鮫

「ああ~~最高……最高すぎてサイ・コーエンさんになりそう……」


 酒呑坂めいは口の端からよだれを垂らしながら、テーブルの上の一升瓶を愛おしげに見つめていた。瓶のラベルには、「目白酒造めじろしゅぞう 純米大吟醸 虎鮫とらざめ」と書かれいる。

 再就職活動を進めるめいは、先日ようやく一次選考を突破することができた。それを祝して、自分へのご褒美としてお高めの日本酒を購入したのである。

 この日は比奈を宅飲み誘っているのだが、あいにく彼女は立て込んでいる案件があって、休日出勤を余儀なくされていた。そのため旧友は夜にならないと来られない。とはいえ夜までにめいが酒を我慢できるはずもなかった。沈みかけた日が窓から赤い光を投じる夕暮れ時、めいはこの高級日本酒を前にして下品に舌なめずりをしていた。

 

「さて、味見と行きますかなぁ。純米大吟醸虎鮫さま、いただきまする」


 めいは手を合わせて一礼すると、一升瓶の栓をあけ、グラスになみなみと注いだ。透き通った液体が波打ち、えもいわれぬ芳香が鼻を優しく包む。

 まずは少しだけグラスを傾け、少量を口に含んだ。その一口だけで、めいは天にも昇る気分となった。


「んんっ! んまいっ! 」


 感極まっためいは、この高級酒を惜しむことなく、グラスを一気に傾けて飲み干した。安酒で手っ取り早く酔うのもいいが、やはりお高い日本酒は格が違う。

 比奈が来る前に飲みすぎてはよくない。しかし、「あともう一杯」の欲望に抗えるような自制心は、この酒乱に備わっていなかった。

 瓶を持ち上げ、グラスに注ごうとしたまさにそのとき、玄関の方でガサッという音がした。


「ん……?」


 重い腰をあげて玄関に向かっためいは、郵便受けに一通の白い封筒が挟まっているのを見つけた


「何コレ……?」


 封筒を抜き取って開封しようとしたそのとき、ピンポーンとインターホンが鳴った。思い当たる来訪者は一人しかいない。


「あっ、ひなちゃん」

「お邪魔します」


 めいはドアを開けて、比奈を招いた。意外と早く仕事が終わったのだろうか。


「めいちゃん、それは……?」

「これ今ちょうど郵便受けから取ったんだよね。何だろう」


 封筒を見てみると、差出人のところには、「八重三郎」と書いてあった。全く知らない名前だ。不審に思いつつ、めいは封を開けて中を見てみた。


「パーティにご招待……?ご参加された方々には、ささやかながら【ロマネ・ルカン】を差し上げます……?」


 中に入っていたのは、都内の一流ホテルで開かれるパーティの招待状であった。めいの目の色が変わったのは、「ご参加された方々には、ささやかながら【ロマネ・ルカン】を差し上げます」という文言を読んだときであった。


「ろ、ロマネ・ルカン!?」


 ロマネ・ルカンとは、フランスのブルゴーニュで造られる高級ワインである。長きにわたって世界最高のワインと呼ばれ続けているだけあって、その価格も世界最高レベルだ。日本で購入するとなると、一本百万円はくだらない。


「こ、これは行かなきゃ!」


 出席者に高級ワインを進呈するようなパーティの招待状が、なぜこんな一般市民に届いたのか。それを怪しむ理性は、のんべえ女の頭から吹き飛んでしまっていた。


「待って、めいちゃん」

「ん? どうしたの?」

「その招待状……私にも来た……」

「え、本当に!? よかったじゃんロマネ・ルカンだよ!? 一本百万ぐらいするやつだよ!?」

「……いや、どう考えても怪しいよ」


 浮かれているめいと対照をなすように、比奈は険しい顔をしている。当然だ。政治家でも大企業の社長でもない一般人にこんな招待状が来るなんて、怪しまざるをえない。

 しばし、二人の間に気まずい空気が漂った。せっかく宅飲みに誘ったのに、このままでは興ざめだ、めいはこの空気を変えるべく口を開いた。


「……まぁまぁ、こんな手紙は置いといてさ、こっち来て」


 めいは手紙を投げ捨てると、居間に比奈を誘った。テーブルの上には、開封済みの「純米大吟醸 虎鮫」が置いてある。


「え、これお高いやつだよね? いただいていいの?」

「遠慮しないで飲んじゃってくだせぇ。ひなちゃんと飲むために買ったんだから」


 比奈が手にとったグラスに、めいは気前よく注いだ。その後、めいの目論見通り、二人は先の怪しい招待状のことなど忘れて酒を飲み交わしたのであった。

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