数字を求める心への理解
どうやらもう一度書くことができそうです。
そして、前回に星とお気に入りをつけていただいた方、この文章を書いている時点で、四つのpvをつけていただいた方、本当にありがとうございます。
しかし、私はこれから皆さんを裏切ることを言わなければなりません。
そう思ったのだから。というのが、情けない私の心の全てです。
はい。全然数字が足りません。
私は、チャンスの転がるこのサイトで、数年間おとなしく続けてきたすべてを捨てる覚悟で、前回の文章を書きました。
こんなことを思ってはいけない、たとえ思っても、書いてはいけない。やってしまったらもう終わりだ、誰も相手してくれなくなる。現状を批判するやつは狂ったバケモノで、人間じゃないやばいやつ扱いされる。
必死に連載を完結させた『断罪者』も、苦しみながらも書いてきた、『書き割り世界と転生者を殴る俺』が浮上するチャンスもなくなる。
私自身のつらい目だけでなく、何度読み返しても泣けてくるような苦しい目に合わせてしまっている、私の作品の主人公たちの頑張りも、読者の方から評価してもらえなくなってしまう。
でも、書かずにいられなかった。どうしても、これ以外仕方がなかった。
心に嘘はつけなかった。
それほどの、自分の中の決断と覚悟を使って書いたのです。
大炎上、アカウント削除、あるいは運営の方々による無言のBANなどなど。そんな反応も少しだけ期待したりしながら。
でも、その評価は――あまりにささやかでした。
重々しすぎるほどの覚悟、燃え上がる気持ち。あるいは、大激論を交わすつもりのモチベーション。
全部きれいにスルーされてしまいました。
いえ、わずかでも読者の方々が目を通していただいたことは、本当にありがたいのです。
だけど、まるで何も話を聞いてもらえないかのような。
私のかっとう、苦しみ、そんなものは、同じ日本語を話し、同じ日本に住んでいる、あるいは同じ戦争の映像の傷を持っているはずの人の誰にも届かなかった。
コロナ禍に伴うさまざまな影響とかも、同じはずの、誰にも届いていないかのような。
せっかく創作したというのに。これほどに、自分をえぐったというのに。
釣り合わない結果。誰からも自分が見られていないかと思えるほどに、押し寄せてくる寂しさ、孤独。
ではどれだけのpvがあればいいのか。星は何個欲しいのか。何が起こったら自分が満足するのか。
それは全く分かりません。だけど足りない、という感覚が猛烈に心の中に引き起こされてしまうのです。
卑劣で最低ですよね。読む気が失せれられましたよね。もうこの文章を私以外に読んでいる誰かがいるのか、分かりません。
数字が足りない。読んでくれる人がいないと感じる。評価してくれる人が十分ではないと思ってしまう。
たったそれだけのことで、こんなに絶望的な気分になるとは。
実際、こんなみじめな気分を味わうくらいなら、内容が何であろうが、それを書いたことでこの世に何が起ころうが。誰が苦しもうが悲しもうが、自分がどんなバケモノになってしまおうが。
誰でもいいから人が来て、もっと数字が稼げるものを書いた方がいい。
数字が上がることが担保されていない表現なんて、その可能性がない表現なんて、わざわざ私の心を苦しめ、創作して発表する価値は、全くない。
そんな魔物のような心が私の中に芽生えました。
いいえ、私はその心を魔物と呼びましたが。違うんですね。
いま、若者である皆さんは、ものごころついたときから、ご覧になっておられるのですよね。
自作品のネットでの大量のpvをテコに書籍化され、アニメ化され、巨万の富を楽しく築いていく、書籍化作家の方々を。
あるいは、身一つで作り出した面白い表現でpvを集め、莫大な広告収入を得続けるユーチューバーたちを。
巨額のスナップチャットが飛び交う、あらゆる配信者の画面を。
数字を上げて自分や家族を養い、上がった数字でさらに注目を集め、その感情や葛藤を多くの人に見てもらえている人たちを。
若いみなさんは。あるいはエンターテイメントという、人を集めて数字という結果を出すことに情熱を燃やすみなさんには。
数字というものが、とても重たいんですね。
だから、数字が落ちる可能性がある表現。
あるいは、数字が上がることが担保されていない、自分のブランドが崩れる恐れのある表現には、絶対に手を出せない。というか、出す意味が分からない。
むろん、関わったら数字が下がりそうな不幸そうな人、多くの読者が見たくない側面を持っている人、自分としては受け入れられるけど読者や推してくれる人に嫌われそうな人。
そんな人の心や葛藤は完全無視だし、あったとしても、ないことになるんですよね。
よくわかりました。
自分で、自分をしっかり表現してみて、数字が上がらないという現実にぶつかり、痛いほどに。
この欠落、孤独。数字がないという絶望。
自分の人生、信条、表現、感情、あらゆる大切なものを振り乱し叩きつけ爆発させたとしても、『数字が上がらない』。すなわち、自分が、あの素晴らしい数字の上がっている人たちとは別物であると証明されてしまう、疎外感。
巨大な空洞が、私の中に広がっていくようです。
この文章を書いている、二千二十二年、四月一日の二十二時前。この瞬間も、あの国では凄惨な出来事が起こり続けているというのに。
地響きとともに爆破が起こり、見慣れた街が破壊されていく。突然現れた者たちによって、どこかで、知り合いが死んでいく恐怖と悲しみを味わっている人たちがたくさんいる。
こんなに大事なことはないはずなのに。彼らの苦しみと比べることすらおこがましいはずなのに。
今この私に渦巻く、情けないほどぜいたくな、暗い感情。
誰でもなんにでもなれるはずなのに。
好きなことがなんでもできるはずなのに。
自由が、空気のように今ここに存在しているはずなのに。
誰も見てくれない、聞いてくれない、読んでくれない答えてくれない、望みが叶わないという孤独。
それが私を埋め尽くしています。とても寂しく、情けない気持ちです。
永遠にワナビを続けるという表現の自由を守ろう、なんていうことの価値は、果たしてどこにあるのでしょうか。
今の私には、この魔物のような感情に抗う方法が分かりません。情けないけれど。
といって、嫌悪感はまだまだ残ります。先々月のカタストロフから見続けてきたもの、私の想像力が呼び起こす私自身の感情が、ふざけているようにしか見えないものを書かせることを拒み続けています。
またですけれど、答えて欲しいです。
どうか。みなさんはなぜ、数字が上がりそうなものばかり、書き続けておられるのでしょうか。
私のような感情に屈されたのでしょうか。それとも、屈するとか屈さないとか関係なく、単に当然のことなのでしょうか。
あるいは、まさか遠い国の戦争なんて、何の関係もないか、ユーチューブにたくさんアップされているFPSやRTSのヘンテコなプレイと同じくらいの重さや印象しかないんでしょうか。
しょせん、画面の中のことなのだから。
それって、結構バケモノだと思います。
だけど、ご心配なく。
私もそうなってきつつあります。人は一体、どこにいくんだろうか。
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