第21話 あなたたちは一体……

 大きく開いた石壁の修理に追われている人々を横目で見ながら、私たちはフォレスティ王国の兵士たちに連れられて、中央広場を横切っていった。私の左手にはアランが、右手にはマリアが付き添ってくれている。


「エヴァ嬢ちゃん。フォレスティ王国の検問場を過ぎたら、少しゆっくりしよう」


 私の斜め前を行くルドルフが、優しく気遣ってくれた。少しだけ彼と距離があるのは、私が男性に襲われたばかりだから、配慮してくれてのことだろう。

 もちろん、ルドルフに対して嫌悪感なんて抱いていないけど、そういう細かい気遣いが、今は心にしみる。


 確かに、二度と思い出したくない経験だ。

 だからといって、いつまでも引きずって、周囲に変に気を遣わせたくない。

 何はともあれ、無事だったんだから。


 傷つき、落ち込んだままだと、それこそあの男に大切な心を傷つけられたと、認めることになる。

 そんなの……悔しすぎる。


 私は少し早足でルドルフの横につくと、皺が刻まれ、たくさんの草花を愛でてきた手をギュッと握った。私は大丈夫だよ、と、だからあなたが離れて気遣わなくていいよ、という気持ちを込めて。


「ありがとう、ルドルフ」


 ルドルフの、加齢によって落ちた瞼が見開かれ、私の方を向く。こちらの気持ちに気付いたのか、目尻に皺を寄せて微笑むと、優しく私の頭を撫でてくれた。


「……エヴァ嬢ちゃんは、強いな」

「そんなことないわ。ただ……このままあの一件のせいで、気持ちが沈んだままじゃ、なんか悔しいじゃない。人の悪意で、未来の自分の楽しさを、潰されたくないだけよ」

「そういう部分が、強いと言っておるんじゃよ。じゃが、無理はしてはいかんよ。辛い気持ちに蓋をせず、外に吐き出すこと。これが、心を淀ませない秘訣じゃ」

「それが、ルドルフの長生きの秘訣なのね?」


 私たちは、ふふっと息を漏らして笑い合った。そして元の場所に戻ると、今度はアランの手に視線を向けた。

 先ほど、兵士に引っ掻かれた傷が残っている。流れた血は洗われ、もう止まっているみたいだけれど、無数に描かれた赤い筋が痛々しい。


「アラン、手の傷……痛そうね」

「ああ、これ? 見た目ほど痛くないから心配しなくていいよ。後で、精霊魔法で癒しておくから」


 右手の甲に視線を向けながら、アランが薄く笑った。そして。顔を前に向けると、真剣な表情を浮かべた。


「エヴァ、ここを抜ければ、フォレスティ王国だ」


 ……ということは、もしかして。


「また夫婦のフリをしないと……いけないの?」


 あれをまたここでも、と思うと耳たぶがジワッと熱をもつ。私の言葉を聞いたアランが、何故か大爆笑した。


「あははっ、もう大丈夫だよ! まあ、エヴァが夫婦のフリをしたいっていうなら、喜んで付き合うけど?」

「けっ、結構ですっ‼」


 今度こそ死んじゃうっ‼


「エヴァちゃん……そんな力一杯拒否しなくても……ほら、アラン、ちょっと落ち込んでるじゃない」

「……落ち込んでない」


 マリアの言葉を、ブスっと唇を尖らせたアランが否定する。口ではああ言ってるけど、肩が落ちて、どこか猫背になっていた。


 ……ちょっと言い過ぎたかしら?


 どう声を掛けようか悩んでいると、フォレスティ王国側の検問場に辿り着いた。バルバーリ側と同じく、検問を受ける人々が列を作っている。


 しかし、アランたちは止まらなかった。

 そのまま兵士たちに付き添われながら、検問の列の横を通り過ぎていく。てっきりバルバーリの検問と同じことをすると思っていた私は、アランの服の裾を引っ張った。


「アラン? 検問は……」

「そんなもの、必要ないよ。エヴァ、王都を出てから今まで本当にお疲れ様。そして、毎日、旅の安全を祈ってくれて、ありがとう。エヴァのお陰で、何事も無くここに戻ってこられたよ。旅は……これで終わりだ」

「……え? フォレスティ王国領に入ったら、身を落ち着けるための場所を探すんじゃ……」


 むしろ今からが、私たちの旅の本番じゃないの?


 フォレスティ王国側の検問場内を通り過ぎると、兵士たちが一同に手を止め、私たちに向かって敬礼した。それに手を上げて応えたのは、アラン。


 その横顔は、今までの使用人として仕えてくれた柔らかな表情ではなかった。どこか威厳に満ちた凜々しいものへと変わっている。


 そして、検問場をノーチェックで通り過ぎた私たちが目にしたのは、


「おかえりなさいませ、アラン様」


 そう言って跪く、煌めく甲冑を着込んだ十人の騎士と、その後ろに二十人ほどの兵士たちだった。

 想像だにしなかった光景に驚きすぎて、言葉が出ない。たくさんの兵士たちが私たちに向かって頭を下げている姿は、圧巻だった。


 アランが一歩前に出て、呆れたように笑った。


「迎え、ご苦労だった。それにしても、随分仰々しいな。馬車さえ手配してくれれば、俺たちだけで帰ったものの」

「そういうわけには参りません。この国にお戻りになった以上、貴方様の身の安全をお守りすることは、我々の役目ですから。これでも数を抑えたつもりです」


 頭を下げた騎士の一人が、声色に緊張感を滲ませながら言うと、視線をルドルフとマリアに向けた。


「ルドルフ様も、ご無事で何よりです。マリア・キエ・ルイーゼもご苦労だった」

 

 彼の言葉を聞いたルドルフは深く頷き、マリアはサッとその場で跪くと頭を下げた。

 

 アラン様? ルドルフ様?


 ふと、マリアが二人を様付けで呼んでいた、セイリン村で見た夢の会話が思い出された。

 まさか、正夢……になったの?

 

 いや……あれは、本当のことだったの?


 何か言いたいのに、何も言えずにいる私の前で、ルドルフがアランの手を取った。


「中々派手にやられましたな、アラン様。どれ、わしが癒やしておきましょう」

「ああ、頼むよ、ルドルフ」


 ルドルフはアランの手を包み込むように両手で挟むと、朗々とした声色を響かせた。


「世界の根源、悠久を息づく精霊よ。この心と繋がり、強き想いを具現化せよ〈ヒール〉」


 次の瞬間、ルドルフの両手の間から白い光が漏れた。光が収まり、ルドルフがアランから手を離した時には、兵士につけられた傷は、すっかり無くなっていた。

 人間の自己治癒力を上げて、怪我などを癒やす精霊魔法〈ヒール〉だ。


 一般的には、せいぜい血を止めるか、薄膜を張るレベルの効果だったはず。

 それなのに、傷跡一つ残さず綺麗に癒やすほどの魔法が使えるなんて……


「アラン……マリア、ルドルフ……あなたたちは一体……」


 クロージック家では決して見ることのなかった、彼らの知らない一面を見て、思わず心の声が口を衝いた。

 私の囁きのような小さな呟きに、三人の視線がこちらを向く。


 マリアは真っ直ぐに、ルドルフはいつもと変わらない穏やかさで、そしてアランは、少し申し訳なさそうに眉根を寄せながら――


「エヴァ、今まで黙っててごめん。実は俺たち……事情があって、使用人としてクロージック家に潜り込んでいたんだ。マリアの素性は、フォレスティ王国の諜報員。ルドルフはフォレスティ王国最高位である大精霊魔術師であり、王宮精霊魔法士長として、国の精霊魔法士たちをまとめている。そして――」


 次の言葉を口にするのを躊躇うような間の後、アランは深くため息をつくと、強く、真っ直ぐな眼差しを向けた。


「俺の本当の名前は、アラン・レヴィトネル・テ・フォレスティ。フォレスティ王国の第三王子だ」

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