第12話 残されたアラン達(第三者視点)

 エヴァがセイリン村を一人で散策すると言って、部屋を出て行った後。


 彼女の後ろ姿を、最後まで心配そうに見ていたマリアの雰囲気が変わった。それは、ルドルフも同じだった。

 二人は、さっとアランの前に跪くと、頭を垂れた。そのままの体勢で、少し声色に緊迫感を滲ませながら、マリアが口を開く。


「それで……野犬の件は、いかがなさいますか? アラン

「そうだな」


 口調が変わったマリアに対し、アランは特に気にすることなく、顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。


 エヴァが、この村を気遣う発言をしていたことが、気になっていた。

 ただでさえ虐げられ続け、公衆の面前で婚約破棄をされるという恥辱をうけた彼女に、これ以上不安も心配もして欲しくない。


 だが彼女はとても優しい。例え、一夜を明かしただけの村であっても、何かの折りに思い出しては心を痛めるだろう。 


 彼の気持ちを察したのか、ルドルフが提案した。


「恐れながら、アラン様。この村の自警団が駆除に当たるのにも、恐らくまだ時間がかかるでしょう。ならば、我々が対処した方が、早いと思われます」

「……バルバーリの利になるようなことは、虫一匹殺すことすらしたくないが」


 アランが抱く底の見えない憎しみが、マリアとルドルフの鼓膜を震わせた。あまりにも低く、怒りを押し止めたような声色に、二人の身体が緊張で固まる。

 それを見て、アランは慌てて自身が発する殺気を和らげると、少し声の調子を明るくした。


「まあいい。エヴァの心配を解消する方が先決だ。今回は、ルドルフの提案に従おう。では今夜、俺とルドルフが野犬討伐に向かう。マリアは引き続き、エヴァの傍にいてくれ」

「かしこまりました、アラン様。ルドルフ様も、どうかお気をつけて」

「すばしっこい犬相手に、この老体がどれほど役に立てるかは分からぬが、まあ餌にならぬように気をつけるわい」


 目尻に皺を作りながら、ルドルフが笑った。それを聞き、アランが呆れたように苦笑いをする。


「何を言ってる、ルドルフ。フォレスティ王国の精霊魔法士の中で、最高位の大精霊魔術師であるお前が、野犬如きの餌になるわけないだろう? 謙遜もそこまでくると、ただの嫌みにしかならないぞ?」

「申し訳ございません、アラン様」

「別に謝ることじゃない。ふふっ、ルドルフは相変わらず真面目だな。少しはマリアの気軽さを見習ったらどうだ?」


 冗談のつもりで言ったのだが、マリアには伝わらなかったようだ。彼女は慌てて両手を激しく振ると、恐れ多いとばかりに目を見開いた。


「何を仰っているのですか、アラン様。ルドルフ様は、国の精霊魔法士をまとめるお役割で、私はただの諜報員。その場の状況に応じて、コロコロと対応を変える私とは、お立場が違うのです!」

「ははっ、そう慌てるな、マリア。もちろん分かっているさ。それが二人の良さってこともな。お前たちは、任務とはいえ、人生の大切な時間をエヴァのために費やしてくれた。感謝してもしきれない。別に口調だって改める必要はないんだぞ? 今まで通り、ただのアランとして接してくれても」


 マリアは十年間、ルドルフにいたっては二十年間も、使用人として身分を偽り、クロージック家にいたのだ。

 エヴァの成長と、彼女を取り巻く環境と将来を見極めるために――


 命令とは言え、中々できることではない。


「身に余るお言葉、感謝いたします。しかしそう仰るなら、アラン様だって同じでしょう。エヴァ様が、あれだけのことをされていながら、ずっと耐えていらっしゃったのですから。あなた様がいつ、クロージック家の人間を皆殺しにし、エヴァ様を連れ去ってしまうか、ヒヤヒヤしておりました」


 マリアの口調が、少しだけ軽いものへとなった。表情も緊張も和らぎ、親しみのこもったものへと変わっている。自分が、ただのアランとして接してもいいと言ったから、緊張を解いたのだろう。


 しかし会話の内容が、またこの心に深い憎しみを思い出させる。


 エヴァの父親セリックが生きていた頃のクロージック家であれば、問題なかった。マリアだって、あんな物騒な心配を、自分に対してする必要もなかっただろう。


 しかしセリックが亡くなり、叔父が後を継ぎ、セリックの後妻と結婚したのが、エヴァの不幸の始まりだった。


 二人の結婚と、十七歳になるマルティの年齢が合わないのは、誰もが知るが口を閉ざす事実。ルドルフ曰く、結婚した数ヶ月後、マルティが生まれたのだという。

 

 夫が亡くなる前に、クロージック家の継承権のあった叔父と浮気するとは、セリックは人としては良い人間だったが、女を見る目は最悪だったようだ。 


 大切なエヴァの立場を使用人に堕とし、虐げた現クロージック家。

 義妹に誘惑されたあげく、エヴァの真の力を知らずに無能だと婚約破棄をした愚かな王太子。

 世界の根幹である偉大な精霊たちを道具のように扱い、身勝手に消費するバルバーリ王国。


 遙か遠い昔の記憶が、ジリジリと熱を持ち、心が憎悪で焼かれている。自分であって自分でないものの記憶に支配され、感情が噴き出しそうになった。

 

 しかし、また目の前の二人を怯えさせることになると思い、怒りを押し止めるため、エヴァの笑顔を思い出す。


 ――アラン。


 記憶の中の彼女が、煌めく大きな瞳を細めながら、愛らしい声色で自分の名を呼ぶ。それだけで、全てを飲み込もうとしていた憎しみが、彼女への愛おしさへと浄化されていく。


 あれだけの辛い状況に置かれながらも、常の前向を向き、笑顔を絶やすことはなかったエヴァ。

 そんな彼女の強さを、いつしか、傍で守り支えたいと思う自分がいた。その想いは、強い恋慕へと変わり、今に至る。


 これまでは、一応他人の婚約者であったため、歯がゆい思いをしつつも、じっと成り行きを見守っていたが、今は違う。


 彼女の心を手に入れるために、色々と思案を巡らせてはいるが、いかんせん、エヴァは鈍い。


 ちょこちょこアプローチはかけているのに、全くこちらの気持ちに気づく様子はない。

 この間、毎日祈っている話をしたときも、どさくさに紛れて肌に触れてみたら、妙に色っぽい表情と声を出され、こちらが動揺してしまった。


 名前を呼び合う関係にはなったが、今でもただの仲の良い友達ぐらいにしか近づけていないだろう。


 思わずため息と、心の声が口に出てしまう。


「……色々、エヴァにはアプローチかけてるんだがなぁ。エヴァは俺のこと、どう思っているんだろう」


 その言葉に、マリアとルドルフは目を見開いた。


 え、何言ってんの?

 エヴァの気持ち、気づいてないの? 誰の目から見てもバレバレなのに、信じられない、といった声なき声を、表情で物語りながら。


 マリアに至っては、一体、いつどこでどんなアプローチをしてたの? っていうか、それってアプローチなの? という疑問すら抱いている。


 しかしアランには、二人の声は届かなかった。もう一つ深いため息をつくと、年上である二人に意見を求める。


「二人の目には、俺とエヴァの距離感、どう映っている?」


 そう問われ、マリアとルドルフは困惑した様子で、互いの顔を見合わせた。

 そして深々と頭を下げると、声を揃えて答えた。


「「非常に、歯がゆく思っております」」

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