星乃純は死んで消えたい
冷泉 伽夜
一年目
すべては親のために 1
父は大物タレント。母は大物女優。
「おはようございます、
「おはよ~」
モデルができるほどの身長の高さに、華のある整った顔。大きい息子がいるとは思えないほどに若々しく、輝かしいオーラを放っていた。
「星乃さん、先日はお世話になりました」
「はいはい、また今度」
ここは大手芸能事務所、フローリアミュージックプロダクション。創業以来、アイドル、歌手、タレント、俳優、モデルといった数々のスターを世に送り出している。
事務所に百五十名以上が在籍する中、
曲を出せば必ずヒットし、バラエティに出れば必ず数字が取れる。テレビとラジオを合わせれば、レギュラー、準レギュラー、冠番組の数はまさにトップレベルだ。
そんな恵の後ろをついていく、ブレザー姿の中学生が純だった。父親の絶大なオーラに隠れて目立たない。
純はそれで構わなかった。あいさつを返す父親の背中を見つめ、穏やかな笑みを浮かべる。
「あ、星乃さん、すみません」
事務所の女性社員が恵のもとに駆け寄ってきた。気づいた恵は立ち止まる。
「おはようございます、星乃さん。すみません、実は、打ち合わせの時間が遅れそうなんですが……」
「ああ、全然大丈夫ですよ」
「ほんとうにすみません! ありがとうございます!」
申し訳なさげに頭を下げた女性社員は、恵の後ろに視線を向けた。
「あの、こちらは? 」
「はじめてでしたっけ? 息子の純です」
「あー……」
女性社員は苦笑し、反応に困っている。純は気にせず目を細め、礼儀正しく頭を下げた。
「奥さま似ですかね?」
「俺にはまったく似てないから?」
「いやいやそんな……」
純が父親から譲り受けたものは、身長と、艶のある赤毛だけだ。
ぱっちり二重の父親とは違う、切れ長の妖しいキツネ目。父親の派手なオーラに隠れる、存在感のなさ。親子で並ぶと、似てないことをよくいじられたものだった。
恵が人当たりのいい笑みで返す。
「じゃあ、先に部屋いって待ってますから」
「はい! すみません! 失礼します!」
立ち去っていく女性社員を恵は笑顔で見送り、歩き出す。
「ごめんな~。今日はやっぱり遅くなるかもしれねぇ」
「うん。大丈夫だよ」
純は反抗期真っただ中と言われる年齢だが、そんな要素はみじんも感じさせなかった。ただただ大人しく、静かで、嫌な顔一つ見せない。
恵についていきながら、辺りをゆっくりと見渡す。事務所に足を踏み入れてからずっと、スーツ姿の事務所職員が小走りで動き回っていた。その中には段ボールを運んでいる者もいる。
「……なんか、事務所の空気がいつもと違うね。なんだろう、みんな、なにかに焦ってる」
「ああ。今朝のニュースでやってただろ。今日から完全に、会社の全権が社長に移ったんだよ」
恵は歩きながら純に顔を向け、低めの声で続ける。
「社員たちも大変だろうな。事務所の経営方針も少なからず変わっていくだろうし」
「そうだね。……まあ、でも」
妙に力のある声で返した。
「パパにはなんの影響もないから大丈夫だよ」
純だけは、断言できた。
父親の芸能生活が、この先も絶対に安泰だということを。
「もう! なんべん言ったらわかるの!」
ヒステリックな女性の声が、背後から耳に突き刺さる。
「要領悪すぎでしょ! ほんといい加減にして! 」
父親と年齢が変わらない大物女優が、後ろから不機嫌な足取りで通り抜けていく。そのとなりで、マネージャーらしき若い男性が、ペコペコと頭を下げていた。
声をかけようとした恵に、二人が気付くことはない。甲高い怒鳴り声は、廊下に響き渡っている。
「あんたいつまで新人ぶってるつもり?」
「すみません! すみません……」
「ふざけんな! しっかりしてよ! こんなの私じゃなかったらすぐクビよ! 」
女優のほうからは、
トイレの前を通ると、今度は男性の小さい声が聞こえてくる。
「あいつ、新人のくせに調子乗ってるもんな」
前を歩く恵には、聞こえていないようだ。
「文句あるなら自分がもっと売れてから言えっての。こっちは事務所うつられても痛くもかゆくもないんだから」
見失った仕事のやりがい。自分はもっと上の立場にいけるはず、というとがった自意識。
「このバカども! ふざけてんのか!」
今度は男性の怒号だ。びりびりとした衝撃に、立ち止まる。
怒鳴り声は、数メートル先にある稽古場からだ。そこではデビューを夢見る少年少女たちが、集団でダンスの指導を受けている。
シューズが滑る高い音と、男性の声が重なっていた。
「そんなんでデビューできると思ってんのか!」
感情任せの怒鳴り声は、純の心臓をぎゅっと捕む。純が直接言われているわけではないが、耳にするだけで息苦しい。
「もっとしっかり踊れ! 笑顔が消えてんだ、笑顔がよぉ! 」
熱い怒り。挑発的な期待。少年少女たちを選別しようとする残酷さ。
「このグズが! デビューしたいならもっと完璧に踊り切れ! 足とめてんじゃねえ!」
あそこで練習しているレッスン生のうち、デビューできるのは一握りだ。血のにじむような努力をしようが、どうしても報われない者が出てくる。
見下される怒鳴り声と、不確定な未来の不安に耐えてまで芸能界に固執する気持ちが、純にはわからなかった。
「……純、大丈夫か?」
エレベーターの前に立つ恵が振り返る。
「ああ、うん。大丈夫。少しびっくりしただけ」
純はほほ笑みながら、震える指先を背中に隠した。
「そうか。早く会議室のほう行こうな」
恵がエレベーターのボタンを、押したときだった。
「あれ、恵さんじゃないすか! 」
エレベーター横の階段から、大人数で降りてくる足音が響いた。恵が明るい声で返す。
「ああ、おまえらか。おはよう」
階段から降りて近づいてきたのは、長年活躍しているバンドグループ、「プラネット」だ。
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