第8話 僕の海ときおの海

「カズヨ?帰ったよ」

「彼氏の心配をしていた」

「あー、いつも頭が暴走するから、まだ見ぬ未来の彼氏の事を心配するよね」

「暴走?」


「うん、あの子ね。いつも頭の中で勝手に物語が出来て進むらしいの。それは良いのだけど、途中をカットして最後だけ話すから、カズヨといくら話しても繋がらない。必要な事は手紙にしている」

「ふーん、大変だね」


「そうでもないよ、二人で勝手に話をしていれば楽しいし、きつい言葉もどんな意味か、わからないから、傷つかないしね。美宇ちゃんもそんなところがあるかな?」と、きおは美宇の手を握った。

「美宇も楽しい?」

「うん、楽しいよ」

 

 この二人の会話についていけない。中学二年生になっても体が小さい僕は、朝礼で並ぶと先頭にいる。


 少しでも身長の高い女子達が、睨みをきかせて達者な口で徹底攻撃してくるが、男は女に暴力を振るってはいけない。喧嘩に勝ってはいけないと言われて育っているので、ただひたすら、我慢を強いられる。日々、やられっ放しで腹立たしさを感じていた僕は、心の奥から突き上げるように『女なんか嫌いだ』とため息をついた。


 長い大人達の話しがやっと終わった。きおは今まではタクシーにも中々乗れないそうだが、僕と美宇の間なら大丈夫だと後部席に乗った。僕らは、咲枝ママを病院に置いて、きおを家まで送る事になった。


 きおの家は自動車が通れない山間にあり、長い坂と階段を登った先にあった。下から登るとかなりの道のりで、今のきおには負担が大きい。山の上にある按針塚から、下に降りるように、小介先生から行き方を習ったエリ姉さんが、助手席に乗った。


 車窓から夕暮れの海が見えた。タクシーが登るにつれて遠くに房総半島が陽炎のように見え、雲の間から海面に向かって一筋の海光が滑って跳ねていた。眼下の海はきおの言葉通りにいつも僕が見ている海と違っていた。その光景に「神様がいるみたいだ」と思わず僕は口にした。エリ姉さんと美宇が歓声をあげた。


 タクシーから降りると四人で歩き始めた。


 エリ姉さんが僕らの荷物を持った。僕は体を大降りに揺らしながら『こっつん、こっつん』とリズミカルに軽やかに一足分ずつ、片足を蹴り上げながら階段を下りるきおを抱えるように支えた。


 きおは、なんの躊躇もなく僕に体重を預けてくる。その温もりが僕を火照らせていた。ひらけたところでは海がさらにパノラマになった。


「きおちゃん、神様からの誕生日プレゼントだね」

 美宇はそう言うと、エリ姉さんにぴったりとくっついて、きおと僕が今日だけ同じ歳になる事を一生懸命に説明している。僕と、きおは、なんとなくお互いの顔を見た。その瞬間に張り詰めた空気が抜けるように、感覚がフッと緩んだのを感じた。


 きおは柔らかく「群雲の光芒かな?」と海を見ながら言った。

「むらくものこうぼう?」

「雲などの切れ目や物の間から差し込んでくる日光。日のあし」

「海がキラキラしている事?」


「それは、海光。海面が日光に照り輝く事。群雲の光芒は大きな雲の合間から尾を引くように見える光の筋の事で天国への道とか言われている」

「へえ、天国へ行けるの」

 僕が感心していると、きおが僕の耳元に顔を寄せ


「本当はね。内緒だけど…。実はあの光は天国への道じゃなくて、海から伝言を運ぶ光なのだ。だから気持ちを海に流せば、光となってどんなに遠く離れても届くよ」と笑った。さっき、韓国を知らないと、とぼけていたきおが理路整然と話しをしている事に戸惑った。

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