恐怖の放課後

背負っていたランドセルを前にまわし、鍵を引っ張り出して鍵穴にさす。

「あれ…」

ささらない。間違えたのか?上下をひっくり返し、俺はもう一度、鍵をさしてみた。

…やっぱりささらない。鍵穴に、何か詰まっているようだ。見ると、何やら白い紙粘土みたいなのが鍵穴にピタリと収まっている。

「誰がこんなことを…」

ピンポーン、ピンポーン。

親が開けてくれるという望みに賭けて、チャイムを鳴らす。が、音沙汰ない。

勘弁してくれよ。俺は五時間目の体育で疲れている、早くコーラでも飲んで一息つきたい。それに算数と漢字の宿題だって出てるんだ、とっとと片付けないと徹夜することになりかねない。観たいアニメだってあるのに、モタモタしてると間に合わねえじゃねえか。

「くそう…」

考えた結果、俺は一か八かの賭けに出ることにした。

友達の家をまわろう。手当たり次第に訪ねて事情を説明すれば、一件ぐらいはヒットする。宿題は片付けられるし、上手くいけばアニメを一緒に観ながらジュースで乾杯できるかもしれねえ。

ランドセルを再び背負うと、俺は役立たずのドア野郎を後にした。



…無駄だった。

他のやつらも俺と同様、家から閉め出されているらしい。夕日に赤く染められた町のあっちこっちで同じ小学校の連中が、ランドセルを背負ったまま途方に暮れてさまよっている。

「マジかよ…」

学年・性別問わず屋外に放置され、テカテカする黒や赤のランドセルを身につけてうごめくそのザマは、テントウムシの冬眠にそっくりだ。



俺は普段から仲のいい三名の友達と、行動を共にすることにした。

ノボルは俺含む他の三人より頭一つ背が高い。ふざけた部分もあるが基本的にはしっかりしてる常識人。

カツヤ、入学したとき知り合った最初の友人。機転は利くが、調子に乗ってヒトを利用するのがタマニキズ。

キョウスケ。ひょろっとしてて一見どんくさそうに見えるが、根っこの部分では肝が据わってて知識と行動力のある大物。

俺の分析だと大体こんな感じ。…当たっているかどうか保証はしないが。



歩きながら町中探したが、大人はおろか中高生も見当たらない。車も一台だって通っていない。オラの町には…失敬、電気は通っている。現に今、暗くなるのに備えて街灯がつき始めているところだ。そういえば幼稚園児や赤ん坊もいない。小学生だけが、外に閉め出されているようだ。カラスはいつも通りカア、カアと鳴いている。ということは人間以外は普段と変わらないようだ。

しかし犬だけは見かけない。連れられている姿はないし、一軒家の庭を見ても、空っぽの犬小屋がぽつんと建っているのみだ。…この場合犬を見かけるとすれば恐らく野良犬ということになりそうだが、今の俺たちには野生の犬から身を守るすべがないに等しいので、そいつらとの遭遇はなんとしてでも避けたい。

先生とか用務員なら会えるかもということで、まず学校に向かったのだが、やはり大人の姿は発見できなかった。門は開いていたので敷地内には入れたのだが、校舎や体育館には鍵が掛かっている。窓から中を覗き込もうとしたが、カーテンがぴっちりと視界を塞いでやがる。俺たちと同じ考えの小学生連中が、校舎の周辺や、グラウンドや中庭をうろうろしているだけだった。



俺たち四人は歩道橋に向かった。高いところから見渡せば、遠くのほうがどうなっているか確認できるからだ。幸い、キョウスケが双眼鏡を一丁、ランドセルに忍ばせている。こういうときに頼れるのはやっぱりキョウスケこいつだ…いつもはクラスのノリを支配する荒くれ者たちに、教室の隅に追いやられているというのに。

道中、出くわした女子達の話によれば、三十分ほど前に町の向こうで小さな光がとろとろとこちらへ向かってくるのを見たらしい。ありがたいことにそのとき一緒にいた別の男子連中が、今その光の正体を確かめるべく別行動を取って捜索中、とのことだ。

隙あらば食うものをタダで調達してやろうと歩きながら観察していたが、事態はそう甘くないようで、コンビニは無人で明かりもついておらず、自動ドアが閉ざされていて入れないし、駄菓子屋もシャッターが閉まっている。こっちはガキだけで放り出されているんだ、飢えをしのぐのに万引きしたってバチは当たるまいに…そんなことを考えていると、ふと給食袋の中に入ってるコッペパンの食べ残しを思い出した。昼飯のとき時間内に食べきれず残しておいたのだ。今はこいつに頼るしかねえ…喉はサハラみたいにパサパサになるだろうが、幸い水筒には麦茶が残っているし、探せば水道水ぐらいありつけるだろう。

途中、空っぽの駐車場の隅で立ちションした。ノボルからは行儀が悪いと叱られ、カツヤからは犬みたいだと馬鹿にされたが、トイレだって見つからないんだから仕方ないだろう。結局、他の三人も各々のタイミングで立ちションを済ませることになった。特に文句を垂れなかったキョウスケは別として、偉そうな口をきいてたお二人さんはいい気味だ。



とうとうお目当ての歩道橋にたどり着いた。一段ずつ踏みしめて上がっていく度に、階段の内部の空洞がボン、ボン、と音を立てる。

最後の一段をこえて、橋の上にたどり着く。ここからなら、隣町だって見渡せる。

太陽は既に沈みきって、夕焼けはもう西の空の下の方にしか残っていない。グラデーションでピンク、紫、紺色となめらかに繋がっていて、東側はもう真っ暗だ。この歩道橋はちょうど、北から南へ延びるように設置されているため、今まさに残り僅かの夕焼けとこれから広がってくるであろう夜空に挟まれているか、あるいはそれらを分断する形になっている。

キョウスケがランドセルから双眼鏡を取り出し、欄干に両の肘をついて西の方を見始めた。その隣にカツヤが並ぶ。ノボルは反対側の欄干の傍に立って、東側を肉眼で見張っている。疲労と空腹から、俺は固い床板の真ん中に座り込んだ。給食袋のコッペパンを取り出し、水筒で口を潤しながらもしゃもしゃと囓る。

「何か見えるか?」

カツヤがキョウスケに問う。

「いいや」

キョウスケが、双眼鏡で西を見つめたまま答える。

「なあ、俺らは西そっちから来たんだ。こっちを見た方がいいんじゃねえのか?」

ノボルの言うとおりだ。確かに、さっき通ってきた西側より、まだ確認していない東側を見た方がいいし、そういえば例の光とやらも、東から来ていると考えるのが無難だ。

キョウスケとカツヤはノボルの隣に移動した。再び欄干に両肘を突き立てて、双眼鏡で遠方を観察するキョウスケ。


「…あれじゃないのか?」

左手で双眼鏡を目元に当てたまま、キョウスケが右手で真っ直ぐ前を指さした。

その先に、


白い光の点が現れた。


光は、どうやら地面の上を這って進んでくるように見える。

光は少しずつ二つに分裂し、二つ一組となって進んでくる。


「車のライトじゃねえのか?」

ノボルが指摘する。


「ああ、車のライト…だな、本体が見えた、間違いない、トラックだ」

キョウスケがそう言うんだからそうに違いない!俺は確信した。

「俺たちを迎えに来たんだ!」

俺は歓喜し、思わずそれが声に出た。


「いや待て…何かおかしい」

キョウスケが異変に気づいた。


「嘘だろ…」

双眼鏡を持つキョウスケの左腕が震える。


「貸してみろ!」

カツヤが双眼鏡を強奪し、光に焦点を定め、同じ何かを目撃した。


「え?…やばいやばいやばい」

双眼鏡を持ったまま俺たち三人を置いて真っ先に走り出し、階段を音速で駆け下りるカツヤ。


「待てよ!何見たんだ!」

カツヤを追って、俺も階段を駆け下りる。追いつこうとするが、普段から足の速いカツヤは建物の間を縫いながら先へ先へと進んでいくので、とうとうその背中は見えなくなってしまった。

「あいつ…」

俺が立ち止まると、

「おい、俺たちも逃げるぞ!」

後ろから、ノボルの声がした。



どれくらい走っただろうか。

とうとう西の空全体が紺色となった。下端に残っていた赤い部分は消え失せている。木と土の湿ったにおいが充満した見知らぬ公園にたどり着き、走り疲れてゼエゼエと息を漏らす俺たち三人。

「い、一体、何を見たってんだ…」

俺はキョウスケに問うた。


「…あのトラック、子どもをさらってやがる」

「なんだって?」

俺は耳を疑う。

「“保護”の間違いだろ?」

「保護じゃねえ、ほんとにさらってたんだ!…なんか、ドアが開いて、ガスマスク付けた白い服の大人達が出てきたんだ、それで…」

青くなってもつれそうになる唇を無理に動かして、キョウスケは説明を続けた。


「…子どもに手錠をかけて、後ろのコンテナに押し込んでやがった」


「…は?」


「しかも、一人コンテナから脱走しようとして手錠付きのまま飛び出したやつがいたんだが…首の後ろに注射器を刺されて、そのまま車道に捨てられてた」


信じられねえ、しかし、キョウスケが嘘をついてるようにも見えない。

「見間違いじゃねえのか?」

「いや、あれは双眼鏡ではっきり見えた。暗かったけど、確かに見たんだ。手錠と、注射器…自分でも自分の目が狂ってるのかと思ったが、カツヤが血相変えて飛び出してったから、確信に変わったよ…」

「ノボルは、お前は見てないんだろ?」

「見てるわけねえだろ、カツヤが双眼鏡持ち逃げしやがったんだから!!だけどよお、あの時点でキョウスケに何を見たか聞かされて、それで、とりあえず逃げるしかねえって…」

つまりノボルは空気を読んだってわけだ。よく見ると、キョウスケほどは顔色が悪化していない。

「…これからどうする、俺ら」

俺がそう口にしたとき。


ァァアアアッ、ウッ、アアアアアアアアァァァ


公園の外で悲鳴が聞こえた。


「カツヤ!!」

キョウスケはそう叫んだが、俺にはさっきの悲鳴は違う誰かの断末魔に聞こえた。


道に出て、暗闇の中で目をこらし、何が起きたのか確かめようとした。


「ちくしょう…」

キョウスケが、閉じた歯の隙間から声を漏らした。


暗闇の遙か遠くまで、まっすぐ伸びている車道。その上を、


白い光が二つ、こちらへ進んでくる!


「逃げるぞ!!」

言うが早いか、キョウスケが真っ先に走り出し、曲がり角に入り込んで姿を消した。

振り向くと、ノボルが塀と塀の隙間に入り込んで器用にその細長い体を滑らせていくのが見えた。


逃げるために、俺はどっちの真似をするか選択を迫られた。


キョウスケについていこう。


俺はキョウスケが去って行った方へ走り出した。

冷たい風が、体を切り裂こうと飛びかかってくる。

後ろのあちこちで、泣き叫ぶ声や、断末魔らしきものが聞こえる。その中にノボルらしき声はなかったが、今のところ彼が無事なのか、それともただ俺が聞き漏らしているだけなのか、あるいは悲鳴すら上げられない状況にあるのか、定かでない。

悲鳴の上がるポイントが、段々と近くなってくる。振り向くと、


まず白い光が二つ、目に突き刺さってきて、


目を細めてよく見ると、トラックの正面らしきものが小さく見えて、


その横で、大きな人影が、小さな人影を押さえつけていて、


小さい方の影の手元に、大きい方が何か押しつけるのが見えた。


俺は再び、暗闇の中へとまっすぐ走り出す。

脇腹に穴が空きそうになる。俺は元々、走るのはあまり得意ではないのだ。


「うおっ!?」

曲がり角で、会ったことのない男子と危うくぶつかりそうになった。

よく見ると、彼は両手首を前でくっつけている。


手錠だ。


こいつがここにいるってことは…


彼の背後から、ガスマスクと白い作業着に身を包んだ大人が姿を現わす。


右手に、注射器を持っている。


「おああああああっ」

再び走り出しながら、俺はうっかり叫びをもらした。

振り向くと、さっきぶつかりそうになった彼が、作業員の足元で、魚みたいにピチピチと地面を跳ねているのが見えた。

敵の視界から消えようと、住宅地の角を何度も曲がる。

そうして必死で走っているうちに、


足の裏から、地面の感触が消えて


それまで真後ろにしか流れていなかった景色が、少しずつ下にもはじめて


いつの間にか、俺の体は、宙を駆けていた。


後ろを振り向くと、斜め下に呆然と立ち尽くす作業員が見えた。


チャンスだ。


俺は前を向き、自転車を漕ぐ要領で足をかき回し、そのまま空を駆けていく。


右下の遠く離れたどこかから、また誰かの断末魔が響いてきた。

甲高く細い声質からすると、たぶん女子だ。

間違ってもキョウスケやノボル、カツヤのものではない。

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