閑話集

閑話 帝国の次期皇妃  ゴスペラ視点

 私の名はゴスペラ・ランマミュート伯爵。偉大なる「至高神の恩寵を受けし神に愛された地上の楽園であり神の御子たる法主の愛に包まれし国」の大臣である。ちなみに野蛮なる帝国の連中は我が国を短く法主国と呼ぶ。偉大なる至高神の恩寵を受けられぬ哀れな者たちよ。


 その野蛮な帝国の首都まで、大臣たる私が渋々出向いたのは、先頃に我が国と帝国の間に起こった戦役の後始末をするためである。我が国が勝ったなら私がわざわざ遥かに遠い帝国まで旅する必要など無い。我が国は負けた。しかも完膚なきまでに負けた。


 はっきり言うが私はこの戦役には反対だった。大反対だった。なぜなら我が国には大きな弱点があったからである。


 我が国は全国民の食べるだけの食糧がその国土で生産出来ないのだ。我が国は広大だが土地が寒く痩せており、食糧生産能力が低い。そのため、全国民を飢えさせないために食糧を他国から輸入しなければならなのである。そしてその最大輸入相手先が、遺憾ながら野蛮な帝国なのだった。


 我が国は帝国にその胃袋の半分くらいを依存しているのである。その帝国に戦争を仕掛ければどうなるか。帝国は当然我が国への食糧輸出を止めるだろう。その結果どうなるかなど考えなくても分かるだろう。


 ところが、今回の戦役を企んだ高位貴族連中は自信満々だった。どうやら以前から癒着していた帝国の貴族と密約を結んだらしく、必勝の作戦があると言うのだ。この貴族たちは以前から癒着している帝国貴族から食糧を横流しさせては市場に異常な価格で流しており、市場を混乱させては担当官を困らせていた。


 結局、法主猊下もその貴族たちの甘言に乗り、我が国は帝国に数万の兵をもって出兵した。そして結果は、前述した通りである。高位貴族や聖職者を含む数千人の我が国の者が捕虜になり、怒り狂った帝国政府からは国境の封鎖、つまり食糧輸出の停止が通告されたのだった。言わんことではない。法主猊下もこの事態を大変憂慮なされ、私をして事態を解決せしめよ、と命ぜられた。


 猊下のご信頼は有難い事だが、なぜ戦役に反対であった私が、浅はかな馬鹿どもの尻拭いをしなければならないのか。しかもわざわざ帝国まで行って。しかも怒り狂った帝国は問答無用で和平の使者である私を斬り捨てる可能性さえある。正に命懸けの任務だ。抜擢の理由は明らかで、私が帝国の言葉に堪能だったからだ。こんな事なら帝国語など習得するのでは無かった。滅多にみない貧乏くじに、正直私はため息が止まらない有様だった。


 我が国の聖都から帝国の首都までは馬車で二十日も掛かる。我が国の国内の主要街道は舗装されているが、帝国の街道は舗装されていない。そのため、帝国に入ってからの方が掛かる。野蛮な帝国の技術力では街道の舗装も出来ないのだろう。と、多少の優越を感じる。


 だがしかし、荒涼とした我が国から帝国の国境を越えた途端に、見るからに土地が豊かになったのには驚いた。畑の土は明らかに黒くなり、道端に生える雑草でさえ勢いを増し、そこここに豊かな森がある。日差しさえ暖かいではないか。これはどうした事だ。国境に何か仕掛けでもあるのか?


 後で聞いた話では、帝国で信じられている全能神の加護だ、という事だった。とても信じられない。邪教の神にそんな力があるわけがない。更に追求すると、帝国では皇帝一族が力を奉納して土地を肥やしているという事だった。邪教の神の仕業よりはまだしも信じられるが、人間の身にそのような事が可能なのだろうか?


 帝国の国境には既に知らせが来ていて、入国するなりすぐさま私達の馬車は帝国の騎士の護衛に包まれた、そのため、道中危険を感じるような事は無かった。用意された宿も上等なものだった。ただし単独での外出は禁止されたが。


 感嘆を禁じ得なかったのは料理の豊富さで、どこの宿でも実にふんだんに材料を使い、多種多彩な料理が出た。我々は何故にこんなに歓迎されるのかと訝しんだが、宿の主人曰くごく普通のメニューだとの事で我々は更に驚かされた。


 野蛮な帝国での過酷な旅を覚悟していたのだが、未舗装路面で馬車が揺れる以外は快適な旅を続け、国境を越えて十二日目。我々は帝国の首都に入場した。


 帝国の首都は物凄く高い城壁に包まれていた。聖都の城壁よりもかなり高い。厚さもかなりのものだ。帝国の首都はこれほどの防御を必要とするほど戦乱に見舞われているのだろうか?もしかして有力貴族の内乱に悩まされているのかも知れぬ。我が国の貴族と癒着していた大貴族もいたな。それなら何か付け入る隙があるかも。などと私は考えた。


 帝国の首都の賑わいは、悔しいが聖都よりも上だった。断然人が多い。聞けばなんと百万もの民が住んでいる由で、本当であれば聖都の倍近い。美しさ壮麗さでは断じて聖都の方が上だが、賑わい活気という点では悔しい事だが比較の余地がない。


 そんなに人が住んでいるのに都市環境は悪くない。都市内部は完璧に舗装され、下水道が完備されているのか汚物も見当たらない。我が国の地方都市よりも遥かに清潔だった。


 私達は宿に案内された。かなり上等な宿であったが、今度は外出は完全に禁止された。帝国首都の視察を行おうと考えていたので不満であったが、差し向けられた帝国の使者から事情を聞いて納得するしかなかった。なんと先の戦役で、我が国と癒着した貴族の手引きで、我が国の暗殺団が帝国首都に侵入し、皇太子妃を襲ったのだという。幸い皇太子妃は刃を逃れたが、その事件は一般市民にも聞こえていて、現在市民の我が国への感情は大変に悪化しているのだという。我が国の者だとばれたら暴行を受けかねないのだとか。


 何という事をしてくれるのか、と私は頭を抱えた。これから私が交渉を行う相手は帝国の皇族である。その皇族を直接襲ったなどとは聞いていない。もしも皇太子妃が襲われたことに帝国の皇帝が怒り狂っていれば交渉どころでは無いかも知れない。捕虜の者達とまとめて私達も勝利の凱旋式を飾る血祭りに上げられるやも。私はこの時ばかりは情報を下さらなかった法主猊下の事をお恨み申し上げた。


 我々は十日ほど待たされ、漸く帝国政府から許可が出て、帝国の宮殿に行く事が出来た。


 帝国の宮殿は異常な規模だった。宮殿の城壁に開いた壮麗な門を潜ると巨大な庭園に入るのだが、とても庭園という規模ではない。遥か彼方に更なる城壁が見えるのだが、外城壁と内城壁のこの部分だけでも地方都市がすっぽり入る大きさだ。実際、庭園だけでは無く遠くに市街地のようなものまである。宮殿の中に街が?我々は混乱した。


 随分馬車が走って内城壁にたどり着くと、そこの瀟洒な門で我々は身体検査を受けた。我が国の特使に対して無礼だと怒っている者もあったが、つい先頃に戦争したばかりなのだから警戒されても仕方なかろう。皇太子妃に刺客が向けられた件もある。


 そして漸く我々は帝国の宮殿の本宮殿にたどり着いたのだった。本宮殿は青い屋根で統一された複数の建物からなる巨大な宮殿で、建物の高さは聖都の聖宮群よりも低いが、何しろ建物の数が圧倒的に多かった。そして庭園は緑豊かでよく整備されており、青空の下に広がる大宮殿と大庭園は兎に角見栄えが良かった。常に薄曇りで庭園に花などほとんど咲いていない聖宮と比較して流石の私でも落胆を禁じえなかったくらいだ。


 我々特使七人はは宮殿の本館であるという建物に通され、ずいぶん長い事歩かされた挙句に通された控室でまたしばらく待たされた。これは聖都でも良くある事なので私達は怒りはしなかったが、何しろここは敵地で我々は帝国の皇族を怒らせている。その状態で帝国の宮殿のど真ん中にいる訳だから、私は平静を装いつつも内心は生きた心地がしなかった。もっとも、待たされている間にきちんとお茶は出たし、侍従と思しき男性が数人控えていて過不足無く対応してくれていた。


 やがて漸く私達は呼ばれて小さな謁見室に入り、彼女と対面したのであった。そう帝国皇太子妃であるラルフシーヌ様とである。私は驚いた。私の目算ではまずは帝国の高級官僚か、良くても大臣が出て来ての交渉を想定していたからである。いきなり皇族、しかも我が国の刺客に暗殺され掛かったという皇太子妃が出て来るとは。そもそも我が国の常識ではこういう大きな政治の場に皇太子妃とはいえ女性が出てくる事はあまり無いのだ。


 数段高くなっている所に据えられた椅子に腰かけている皇太子妃ラルフシーヌ様の前に私達は並んで出て、我が国の流儀で両膝を突いて両手を胸の前で組んだ。帝国とは違うだろうが我が国では最上級の敬意を表す作法で、本来は大司教以上の聖職者にしか行わない。その様子をラルフシーヌ様は面白そうに見ていた。私が代表で挨拶をする。この挨拶だけは我が国の言葉で行った。


「至高神の恩寵を受けし神に愛された地上の楽園であり神の御子たる法主の愛に包まれし国より、至高神の愛し子であり全人類の指導者であり救済者たる法主猊下の命を受け、そのお言葉を届けに参りましたゴスペラ・ランマミュート伯爵でございます。我が国では大臣の地位をもって遇されております。帝国の皇太子妃ラルフシーヌ様のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」


 ラルフシーヌ様は銀色の髪と大きな金色の瞳を持つ、極めて眉目秀麗な女性だった。背はやや高めで、手足は長い。深みのある青い生地にびっしりと金糸で刺繍を施した豪奢なドレスを身に纏い、そこここに金細工に宝石を散りばめた装飾品を身に付けている。特に軽く結った髪に飾ってある金の髪飾りは明らかに我が国で造られた逸品で、とんでもない大きさのルビーが飾られていた。派手な装いだが反面、腕にしているブレスレッドは地味な翡翠で、ドレス自体のシルエットもすっきりとしている。そのあたりから何となく性格が読み取れる気がした。


 我が国の装飾品をこれ見よがしに着けている事から考え、頭から我が国を拒絶する気は無いのだと見る。ただ、その顔には笑顔が無く、無表情、というよりはあまり関心が無いという表情だった。皇太子妃など恐らくはどこかの大貴族の令嬢出身であろうから、毎日遊び暮らしているに違いない。それなのに面倒な政治の場に何らかの理由で駆り出されてしまったのかも知れぬ。


 我々は持って来た贈り物をラルフシーヌ様に贈呈した。もちろん現物はここには無く、宮殿に入る時に対応した官僚に引き渡しているので目録だけだ。私が渡した目録を無表情な侍女が入念に確認し、ラルフシーヌ様に渡す。贈り物の中には女性向けの宝飾品も何点かある。私はここぞとラルフシーヌ様に帝国語で声を掛けた。


「その目録にあります『エブラシアの瞳』と申しますブローチは、巨大な真珠を使用したもので、我が国の国宝級の逸品であります」


 真珠は南の海で何らかの方法で算出する大変珍しい宝石で、大きいものは更に希少だ。今回はしぶる法主猊下を説得してあえて贈呈品に加えたのだ。我が国の誠意を見せると共に、我が国はこれほどの宝石がゴロゴロあるんだぞ、と威勢を示す狙いもある。


 しかしラルフシーヌ様は軽く頷いただけだった。私はちょっと拍子抜けした。ただ、後からこの事については私の失敗を知った。どうやら真珠は帝国の南の方の海で算出するらしく、この時贈呈した真珠も恐らく帝国産だったようなのだ。私は帝国の皇太子妃に帝国産の真珠を贈ってしまったのである。この真珠の件については私が後々までラルフシーヌ様に揶揄われるネタの一つになった。


 ラルフシーヌ様は目録に少しだけ目を落とすと、興味が無さそうにそれを侍女に渡し、やはりやる気が感じられ無いような表情のまま言った。


「贈り物は受け取りました。遠路遥々ご苦労でした」


 そして軽く溜息を吐くと続ける。


「皇帝陛下と夫である皇太子より、其方たちの対応を任されました皇太子妃ラルフシーヌです。夫より『くれぐれも穏便に、丁寧に、感情に任せず、威圧せず、無茶な交渉はしないように』と申しつかっております。なので、仕方が無いのでなるべく穏便に交渉をしようかと思います」


 は?何だか不穏な言葉を聞いて私は少し動揺した。その言葉を信じるなら、ラルフシーヌ様は「穏便でなく、乱暴に、感情に任せて、威圧的に、無茶苦茶な交渉をやろう」としたのを皇太子に止められたという事では無いのか?


 動揺を押し隠してとりあえず私は法主猊下の親書を差し出した。官僚が受け取り、侍女がチェックするという手順を踏んで書簡がラルフシーヌ様の手に渡る。親書は我が国の言葉で書かれているのだからラルフシーヌ様には読めまい。なので私は暗唱していた内容を読み上げようと口を開いた。


「法主猊下のお言葉を代読させて頂きます。まず・・・」


「必要ありません」


 ラルフシーヌ様はぴしゃりと言って私の言葉を遮った。は?思わず私は硬直するが、ラルフシーヌ様は私には目もくれず、法主猊下の書簡を真剣な顔で読んでいる。な、なんだと?帝国の皇太子妃が我が国の言葉を理解出来るというのか?私も驚愕したが随行している他の者達も動揺していた。だが帝国の官僚や侍従、侍女も当然という顔をしている。あ、私は理解した。帝国がこの交渉に皇太子妃を当てた理由をだ。彼女が我が国の言葉を理解出来るからこそ彼女はこの場に居るのに違いない。


 これは、まずい。


 案の定、書簡を読み終えて顔を上げたラルフシーヌ様の表情には怒りが浮かんでいた。彼女は金色の瞳で私を睨むと、手に持った書簡を掲げながら言った。


「なんですかこれは?」


 私は内心冷や汗を搔きながら返答する。


「法主猊下よりの帝国との和平を願う書簡でございます」


「ほうほう。なるほど。和平、ね」


 ラルフシーヌ様は皮肉を言うように唇をゆがめた。


「其方達の国では『偉大なる至高神の教えを理解出来ぬ野蛮人共。今すぐ正しい教えの元に立ち返り、我が教導に従うのなら許してやろう』というのが和平の申し入れになるのですか?」


 ・・・そうなのだ。確かにその書簡にはそう書いてあるのである。これはある意味仕方が無い事で、法主猊下にしてみれば帝国との和平を望んではいても、野蛮なる帝国に遜った事は言えないのだ。もしも下手に出るような書簡を出し、それがどこからか漏れて我が国の者に伝わった場合、法主猊下が我が国の聖職者や貴族達から弱気を責められる事になるだろう。なので猊下としては先ほどラルフシーヌ様が読んだような居丈高な書簡を書かざるを得ない。


 しかしながらそれでは法主猊下も帝国との和平が成立しない事は流石に分かっていらっしゃる。なので私にこの書簡を渡す時に「そなたが帝国の者には翻訳して聞かせるように」と仰ったのだ。つまり、書簡の内容を柔らかく、穏便に、帝国を刺激しないようなニュアンスで翻訳して聞かせる予定だったのである。まさか我が国の言葉をスラスラと読める帝国の皇太子妃がいるとは思わないではないか。私は冷や汗をたらしながら必死に弁解を試みた。


「い、いえ、ラルフシーヌ様。それは誤解でございまして、猊下の真意はけしてその様なものではございません」


「ほう?これをどう読んだら違う意味に読み取れるのかしら?教えて頂ける?」


「ええと、そのですな・・・」


 私は冷や汗を流しながら必死に打開策を考えた。考えたのだがどうにも思い付かない。懸命に考えている内に・・・、私は何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。


 何だってこの私がこんな苦労をしなければならないのか。戦争を起こした馬鹿どもの尻拭いなど私の仕事ではないし、捕虜になった馬鹿どもなど助けてやる義理など私には無い。法主猊下からのお願いと言ったって限度がある。命懸けで野蛮な帝国にやって来て、敵国の皇太子妃に冷や汗を掻きながら自分の責に無いことを弁解するなど、一体全体どうしてそんな苦しみを私が負わなければならないのだ!


 開き直った私は顔を起こすとラルフシーヌ様を正面から見据えた。


「ラルフシーヌ様。その親書は、法主猊下の『建前』でございます」


 私のぶっちゃけた意見にラルフシーヌ様が流石に驚いたように目を見開いた。


「建前とな?では本音は別にあると?」


「勿論でございます。何故ならば我が国は帝国との交易が無くば国が立ち行きませぬ」


 私は我が国の土地が痩せていて食料自給力が低く、帝国からの食料品の輸入が無いと全国民に食糧が行き渡らず国が飢えるという事情を説明した。


 そして我が国で生産される宝石細工や鎧兜、器具などの最大輸入先が帝国である事も説明し、帝国との国境が閉じれば我が国の経済が隅々まで大打撃を受けるのだと訴えた。


 私の説明を聞いてラルフシーヌ様は呆れたように言った。


「よくそれほど帝国に依存した状態で、帝国に喧嘩を売って来たわね?」


「世の中、道理が分からぬ馬鹿は沢山おります。それに、間違っていると分かっていても建前が前面に出る場合がございます。ラルフシーヌ様にも心当たりがございますでしょう?」


「まぁ、ね」


 ラルフシーヌ様はふふんと笑い、少し身体を起こした。


「良いでしょう。本音を曝け出した其方に免じて私も本音を言いましょう」


 ラルフシーヌ様はそこから言葉を我が国の言葉に切り替えた。少し訛りはあるし難しい語彙は使えないようだったが、意味はしっかり通じた。


「私としては帝国の無辜の民を殺戮し、その労働の結晶たる実りを奪い、剰え私はともかく可愛いカルシェリーネの命を狙った法主国に同情の余地などないと考えます」


 ラルフシーヌ様の表情は厳しく、金色の瞳には怒りが満ちていた。


「そのうち法主国は滅ぼすのだから、このまま国境を封鎖し食料品を輸出せず、全国民が飢えて死ぬのを待てば良い、と思っております。それからなら容易に征服出来るでしょうから」


 私を含め我が国の者の顔面が引き攣った。


「恩知らずたる法主国など助けるに値しません。至高神を信じて飢えて死んで教えの通りに死んだ後に幸せになるとよろしいでしょう。全員がいなくなった後に出向いて我々が全能神の加護によって土地を肥やし、現生で幸せになるとします」


「お、お待ちあれ。ラルフシーヌ様!そんな事は・・・!」


「とまぁ、これが本音です。ですが世の中建前で動く事も多いのですよね?」


 と言ってラルフシーヌ様はニヤッと笑った。とても淑女のする表情ではない。老獪な商人のような表情だ。


「ですから私も建前を話しましょう。帝国としては余った食糧を買ってくれて、帝国のものよりも優れた細工物、器具を作ってくれる法主国との交易を全て止めるのは本意ではありません」


 帝国が我が国との交易を必要としているというのは交渉における好材料だったが、ラルフシーヌ様はこれを建前だと言い切った。なのでこれをどの程度交渉に活かすかの判断が難しい。


「ですから帝国としては今回の件について適正な賠償が施されるならば、国境の封鎖を解き交易の再開を考えるのもやぶさかではありません」


 そして彼女は私の事を金色の瞳でギロっと睨んだ。


「さて、法主国は何を下さるのですか?」


 私はさっきとは違う種類の冷や汗を掻きながら、法主猊下が示された和平案を口に出した。すると、ラルフシーヌ様は大袈裟に驚き、金色の目を見開いた。


「法主国の方は冗談がお上手です事。そんな条件では帝国の人間は麦一粒さえ出しません」


 あっさり和平案は蹴られた。私は落胆したが、最初の交渉で話が決まるとも思っていない。


「では、ラルフシーヌ様は和平の証として何をお求めですか?」


 相手に要求を出させて、その上で値切って妥協案を出す。そういう交渉の常套手段のつもりだったが、ラルフシーヌ様はそんな常識が通用するような方では無かった。


「今すぐ法主がここに来て、皇帝陛下に全領土を差し出しなさい。さもなくば今度は私が征旗を翻し陣頭に立って法主国に攻め込みます」


 あまりの発言に私は怒るよりも呆然とした。間抜けな顔をしている私を見てラルフシーヌ様は面白そうに笑うと言った。


「ごめんあそばせ。本音が出てしまいました。建前でしたね?そうですね。私から要求すると本音が漏れ出てしまいますから、そこはあなた達が考えると良いのでは無いかしら?」


 私はラルフシーヌ様に圧倒され、謁見を終え宿に下がってから、要求に関してラルフシーヌ様に煙に巻かれた事に気が付く有り様だった。


 私は宿で同行の者達と和平の条件について話し合った。勿論、ラルフシーヌ様に提案したものだけが、私が法主猊下から許された賠償条件では無い。最悪、領土の割譲までの許可を頂いていたのである。しかしながらこちらの手の内を全て晒す必要は無いし、なるべく賠償は少なくしたい。我々は次の交渉ではこの位の賠償を提案してみよう、と決めた。


 しかしながらラルフシーヌ様は簡単な交渉相手では無かったのである。


 ラルフシーヌ様とはこの後数回、交渉のために面会した。謁見は最初だけで、後はサロンや庭園での茶会に招かれ、優雅に茶と菓子を振る舞われながらの交渉が行われたのである。我が国の常識では外交交渉がこのような場で行われるなど有り得ない。それに私には女性との茶会の経験が無い。女性の社交など未知の世界だ。しかも帝国の。更に困った事に、何度かはラルフシーヌ様だけではなく他の貴婦人まで参加し、珍獣のように観察されながらの交渉を強いられる事さえあった。


 これではまともな交渉など出来ない。しかもラルフシーヌ様は賠償条件が気に入らないと聞いても聞かなかった事にして、違う話題に移ってしまうのだった。彼女は我が国の文化について興味があるようで、我々の語る我が国の話を興味深く聞いていた。特にどのような狩りがあるのか、どのような獲物が穫れるのかについて、執拗に我々に尋ねていたものだ。


 我々は慣れない茶会に疲れ果て、ズルズルと隠していた賠償条件を引き出された。最終的にラルフシーヌ様が「まぁ、仕方ないでしょう」と賠償条件に納得した時には、領土割譲に加えて交易時の国境税の十年停止まで呑まされていたのである。


 ラルフシーヌ様との交渉が終わると、官僚団と具体的な賠償の方法と捕虜の引き取りの手順を打ち合わせる。これは普通に会議室で行われたのでラルフシーヌ様との茶会に比べれば夢のように楽だった。


 そして全て決定してから、漸く我々は帝国皇帝の謁見を受けた。階の上に据えられた玉座に座した帝国皇帝は威厳ある大男だった。その直ぐ横によく似た若い男性が立っている。あれがラルフシーヌ様の夫である皇太子だろう。


 帝国皇帝は型通りの口上を述べ、我々にねぎらいの言葉を掛けた後、言った。


「ところで、私は近い内にこのセルミアーネに位を譲る予定だ。和平も成った事だし、法主国の代表者にもセルミアーネの即位式に出席してもらいたい」


 私の背筋に戦慄が走った。な、何だと!譲位が行われ、皇太子が即位するということは、ラルフシーヌ様が帝国皇妃になるという事ではないか!皇太子妃である今でさえ、この私が翻弄されたのだ。皇妃になって更なる権力と権限を手に入れたらどうなるか。皇太子に止められたという「穏便でなく、乱暴に、感情に任せて、威圧的な、無茶苦茶な交渉」が行われたらどうなるというのか。


 私は震え上がった。うむ。私はもう二度と帝国には来るまい。二度とラルフシーヌ様には関わるまい。私は固くそう誓いながら、帝国首都を後にした。


 のだが、特使の一人がラルフシーヌ様が「ゴスペラはなかなか話が分かりますね」と私を褒めた?のを聞いていて、それを法主猊下に伝えたらしいのである。それを聞いた法主猊下は「帝国の次期皇妃に気に入られたのなら」と私を帝国担当大臣に任命してしまったのだ!何ということか。私は法主猊下に何度も辞退を申し上げたのだが、全て却下され、結局私はこれ以降何度となく聖都と帝国首都を往復する羽目になったのである。


 案の定、何か両国間に問題が生ずる度に、私は皇妃になったラルフシーヌ様と何度も交渉する事になった。権限を増して容赦が無くなった彼女と胃が痛くなるような交渉をする事を強いられたのである。その過程で、その瞳が金色の内はラルフシーヌ様の怒りは全然大したレベルではないと思い知らされる事になった。瞳が赤く輝いた時のラルフシーヌ様は本当に無茶苦茶だったのだ。しかも我が国の「建て前」のために私は何度も怒り狂う彼女の前に立たされたのだった。至高神よ。これは何の試練なのですか?私がどんな罪を犯したというのでしょう!


 まぁ、そんなに何度もラルフシーヌ様と交渉したおかげで、私は女性向けの茶会には慣れ、甘い物にも慣れた。その分だけは交渉は楽になったものだ。だか、おかげで私は聖都に戻っても甘い物が手放せなくなり、周りの者から変わり者扱いをされる事になったのである。

 


 


 


 


 

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