【8-14】

「魔物が人間の子どもを育てる? ……そんなこと、あるわけがない」


 マレシスカの言葉を反芻したジルベールは、戸惑ったように首を振る。

 確かに、ジルベールは魔王の能力を活かして、魔物たちが自発的に人間を襲わないように統制している。だが、だからといって、人間に好意的に動くように指示をしているわけではない。それは魔王の役目から大きく外れたことだからだ。ジルベールとしてはそうしたくとも、魔王としての役割がそれを阻む。


 ──しかし、もしも、本当に魔物がその子どもを育てているのだとしたら、それは魔王の統制が弱まってしまったことを意味するのではないか。……つまり、自身の魔王の「器」としての能力が低下しているのではないか。……すなわち、死期が近づいているのではないか。ジルベールはそう考えてゾッとした。

 ジルベールは、自身の死に恐れを抱いているわけではない。ただ、魔王の魂に支配されてしまった己が大切な者たちを傷つけるのが、──特に、この手でミカの命を奪ってしまう未来が怖い。それを回避するべく、カマルティユに「頼みごと」をしてはいるが、それは結局、彼が魔の者としての掟に反してしまうことになり、最悪の凶事が起こり得る可能性も低くはないのだ。


「そうよねー……、魔物が子育てなんかするはずないわよね!」


 ジルベールの顔色が悪くなっていることに気づいていないのか、マレシスカは暢気な口調で言う。魔王は、言葉ではなく頷きで返事をした。


「まぁ、その子がどんな環境で暮らしているのかは分からないけど……、小柄だったけど特別な痩せっぽちでもなかったし、ちゃんと育ってはいるんじゃないかしら。賢い子だったし、それなりの教育を受けているような気がするわ」

「そうか……、それならいいんだが」

「ただ、自分の父親への興味が並大抵じゃないから、魔力が強い魔王に興味を持って、この城に来ちゃう可能性はあるかもね。……そのとき、ジルは追い返せるかしら?」

「……」


 悪戯っぽい表情で首を傾げるマレシスカを、ジルベールは不機嫌そうに睨みつける。彼女も予想しているだろうが、この魔王は子どもを追い返せるような性格ではないのだ。幼い頃からマレシスカが何度もこの城を訪れているのを許しているように、水色髪の子どもが来たとしたら、それなりの出迎えをしてしまうだろう。──魔王としてそれは間違っていると分かっていても、どうにもならない。


「……知らない子どものことなど、どうでもいい。ミカの食事の用意をしなければ。あの子は、昨日の昼からずっと殆ど何も食べていないに等しいんだ」


 ジルベールがあえて突き放すような口調で話題を変えると、マレシスカはハッとしたように表情を改めた。


「そうだった。ジルの隠し子の疑惑も晴れたことだし、ミカのために料理しましょ! 調理に必要な魔法はジルに助けてもらっていい?」

「ああ、構わん」

「助かるわー! いちいち杖を振らなくても魔法が使えるなんて、本当に便利よね。料理のときなんて、特に羨ましくなっちゃう」


 あっけらかんと言ってのけるマレシスカには、まったく悪気が無い。ジルベールがなりたくて魔王になったわけでもなく、かつて人間だった頃には当然ながら杖を持って魔法を使っていたという事情など、何も考えていないのだろう。ただ、彼女がそういう素直で馬鹿正直な言動をするのは幼い頃からのもので、ジルベールもマレシスカの性格は熟知しているため、溜息と共に聞き流した。


「……それで、何を作るつもりだ?」

「うーん、そうねぇ……、ミカは食べる元気が無さそうなんだよね?」

「ああ。果物でさえ、齧るのも噛むのも辛そうだった」

「果物? ……あっ、本当だ! この辺じゃ採れない果物なんじゃない? 珍しいわね、わざわざ調達してくるなんて」


 マティアスから贈られた果物が籠に盛られているのを見て、マレシスカは驚いたように目を瞬かせる。そして、ジルベールは内心で「しまった」と焦りを感じていた。

 城近辺で採れないものは、マレシスカが行商に来なければ手に入らない──、と彼女は思っているはずだ。もしも、これが王子からの贈り物だと知ったなら、気を悪くするだろう。マティアスと揉めたことがあるのだから、下手をすると傷つきかねない。

 動揺を顔に出さないように努めているジルベールの様子を特に気にすることもなく、マレシスカはのほほんと笑う。


「よっぽど、ミカのことが心配だったのね! 夏の美味しい果物だったら食べてくれるかもしれないって思って、わざわざ採取してきたんでしょ? まったくもう、過保護な魔王様ねー!」

「……」

「そんな渋い顔をしないでよ。馬鹿になんかしてないわ。むしろ、微笑ましいもの。……でも、そうね。せっかく良い果物があるんだし、看病食の他に、アレを作っちゃおうかな」

「……アレ?」

「あたしの故郷にはね、熱を出した子どものために作ってあげる、冷たくて美味しいおやつがあるの。噛まずに喉に流し込んで食べられるから、今のミカにもピッタリよ!」


 そう言って、マレシスカは片目を瞑って笑ってみせた。

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