【2-2】
「ご機嫌だね、カミュ。良い知らせって何?」
レシピ本を近くの棚に起きながら問い掛けると、カミュは頭を左右に軽く振りながら笑みを深める。その動きに合わせて、紅い髪がサラリと揺れた。
「キカさんがいらっしゃるようです」
「……キカさん?」
「はい。正式なお名前は、マレシスカさん。年に何度か食材を届けてくださるお嬢さんです。キカさんとミカさんって、響きが似ていますね」
「そうかもしれない、けど……、それより、食材を届けてくれる人って言った? 食材屋さんが来たの?」
カミュの言葉の中にある情報の中で僕が一番気になったのは、「食材」だ。食いついて尋ねる僕へ、彼はこくこくと頷く。
「ええ。あと半刻もすれば、いらっしゃるでしょう」
カミュの云う「半刻」は、地球の時計で表すと四十五分から五十分くらいだ。この世界では、魔法の時計のようなものがあって、時間帯によって色分けされており、「赤の刻」「青の刻」などと呼ばれるらしい。とてもざっくりした時間割で、人々もそれで不自由していないくらい大らかな時間感覚みたい。
待ち合わせ時間の約束なんかも「赤の前半刻くらい」とか「青の半刻あたり」とかゆるい感じらしくて、最終的に会えればオッケー的なスタンスなんだとか。分刻みで予定を決めがちな現代日本人には考えられない世界だ。
──でも、
「半刻……? これから行くっていう手紙か何か届いたの?」
「いえいえ、キカさんの馬車の音が聞こえておりますので」
「馬車の音……?」
そんなものは聞こえない。
ちなみに、「馬」は地球とディデーレ両方に共通している種族のようで、自動翻訳されている。実際に見たことは無いから本当に同じ動物かは分からないけれど、こうして時々見つかる共通点が面白い。
──まぁ、馬のことはおいといて。今は、馬車についてだ。
耳を澄ませてみても、馬車が近づいているような音は聞こえない。窓越しに外を眺めても、雪を被った木々が茂っているのが見えるだけで、何かが近づいているような気配も感じなかった。
「ミカさんには聞こえないかもしれませんね。まだ、それなりに離れておりますので」
「……カミュには聞こえるの?」
「ええ。魔の者は、人間に比べると感覚が鋭いほうですから。特に、視覚と聴覚は数倍でしょうね」
「そんなに? 魔の者って凄いんだね」
「いえいえ、そんな……、お褒めいただき光栄ですが、そのように目を輝かせていただける程ではないですよ」
照れたように言いながらも、カミュは嬉しそうにはにかむ。
「それに、ジル様は私以上に敏感でいらっしゃいますから。きっと今頃、キカさんに会うために身支度されているでしょう」
「……魔王って、普通の人とも気軽に謁見するものなの?」
食材を届けてくれる人の目的が行商なのか貢物なのかが分からないけれど、どちらにせよ、おそらく一般人と思われる相手の訪問に備えて身支度をする魔王というのは、なんとなくイメージと違うような……?
「そんなに気軽にというわけでもないですが、キカさんはジル様に会うのを楽しみにしていらっしゃいますから。ジル様としても、長旅をして食材を届けてくださるキカさんへ感謝の気持ちを抱かれているので、多少はお相手をなさるように心がけておられますね」
「魔王って、礼儀正しくて……親しみやすい存在……?」
僕が召喚されてから、この城への訪問者が皆無だったこともあり、この世界において「魔王」がどのような存在なのかが、いまいち分からない。ジルは「魔王」の話題には触れたがらないし、そんな主に従うカミュも深い話をしようとはしないし……。
僕がずっと抱いていた魔王の印象って、殺戮や破壊を望んで残虐な行為を繰り返す存在だったんだけれど、ジルはその真逆のイメージだし、そもそも常に城に引き籠もっているから世界そのものに興味が無さそうだ。
「ジル様が特別に礼節を重んじているわけではないですし、あの方は人と仲良くしたがっているわけでもないですよ。この世界の人々が魔王にそれを望んでいるわけでもありません」
無意識に首を傾げていた僕を見下ろして苦笑しながら、カミュは小さく首を振った。
「そうなんだ……、じゃあ、キカさんが特別?」
「特別といえば特別かもしれませんね。といっても、ジル様が彼女を特別扱いしているわけではなくて、キカさんが特殊なんですが」
「特殊……?」
どういうことか訊いてみようとしたとき、調理場の扉が静かに開く。振り向くと、そこには普段よりも少しだけかっちりとした服装のジルが立っていた。
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