第86話 『再会』

「先生は……そうか、外乱イモータルを殺すことそのものが目的で……」


 彼女は、イドラのギフトに明らかな興味を示していた。

 気づいていたのだろう。マイナスの刃であれば、イモータルを殺し得ると。

 そして、イモータルを塵へ還せば、現実世界から地底世界を観測する際の外乱が減少する。コピーギフトの製造を軌道に戻せる。

 そういうことだったのだ。


「零は、ずば抜けて優秀なやつだった。チームは違うし歳も下だが、俺はあいつに憧れてた。畏怖……に近いかもな。とにかくいつも冷静で、スキルの複雑な55号を完璧に操ってた」


 懐かしむように、惜しむように、悔やむように、カナヒトは壁に背を預けて言う。

 カナヒトもまた、多くのアンゴルモアを屠り、苦境を何度も脱却してきた優秀な戦闘員だった。だからこそチーム『片月』ではリーダーを務めている。

 しかし、作戦に選ばれたのは彼ではなく、若いウラシマだった。

 その胸中に去来するのは嫉妬などではない。

 ただ、代わってやれるなら代わってやりたかった。


 一人目が帰ってこなかった暗澹あんたんたる洞穴の口に、どうして二人目を向かわせねばならない? それも若い女をだ。

 事実ウラシマは、無事に帰ってはこなかった。犠牲になったようなものではないか。

 無理にでも自分が行くべきだったのでは? ……そんな無理を通す権力があるわけない。

 ならばサポート役として同行すれば? ……アンゴルモアの侵攻も続く中、チームのリーダーを二名も割けはしない。

 作戦を強引に中止にしていれば? ……クビでは済まない上に、最悪そのせいで人類が滅ぶ。

 答えの出ない問いは、四年が経過した今もカナヒトの中で疼くような痛みを発し続けていた。


「浦島君の55号・ワダツミに、羽生君の32号・凝華連氷。どちらも観測された本家のギフトから数値上の劣化をほとんどしていない、傑作コピーギフトだ。ワダツミはソニア君が所有しているようだが、時に、凝華連氷の方の行方を知ってはいないかね?」

「ぎょーかれんひょう、って……たぶん、アイスロータスのことですよね、イドラさん?」

「ああ、英雄ハブリが持ってたって言うなら、きっとそうだ」

「ふむ……時間が経つ中で呼び名が変わったか。君が所持しているわけではないのか?」

「悪いけれど。今は、とある教会が厳重に保管しているはずだ」

「そうか。惜しいが、仕方あるまい」


 凍結フリージングの起動コードにより、氷を生み出す祝福された天恵ブレストギフト

 その正体は、過去にこの現実世界から持ち込まれた複製天恵コピーギフトだったのだ。だから誰にでも使うことができた。

 そして同じく、ソニアのワダツミも。現実世界の人間であるウラシマによって持ち込まれたコピーギフト。

 ブレストギフトとはコピーギフトのことであり、ワダツミとアイスロータスはそれぞれ55号と32号。どちらも地底世界外乱排除作戦という、未知のジャングルに足を踏み入れるよりなお危険で過酷な、まったく未知の異世界へ挑むエージェントに許された武装だった。


「……だけどまだ疑問が残る。先生が……ウラシマさんが僕らの世界に入ったのは4年前。時間の流れが32倍なら、それは僕にしてみれば128年も前になる。やっぱり年代が合わない。僕が出会ったウラシマさんは、とてもそんな歳じゃなかった」


 村へふらりとやってきた、優しい目をした旅人。

 おとぎ話に出てくる魔法使いのようなローブに身を包んだ彼女は、うら若く、見とれてしまうくらいに綺麗だった。

 本当に百年以上経っているのであれば、そもそも旅をできるような年齢ではないだろう。


「それに関しては……直接見てもらった方が早いかもしれんな。少し歩くが、医療棟に向かう。ついてきなさい」


 ヤナギはすっと立ち上がると、デスクを離れた。そこへ、カナヒトがどこか言いづらそうに意見具申する。


「あー……すみません総裁どの。この時間だとたぶん、病室にはあいつがいます。俺ちょっときまずいんで、ここで退散させてもらっていいでしょうか」

「まったく君は……もう四年も経つのだ。複製天恵を担ぐ者として、開発部部長との不仲はいい加減改善してほしいものだが」

「な、仲が悪いってわけじゃあないんすけどね。ただ、なんつーか」

「まあいい。行きなさい」

「失礼しますー……。んじゃ、お前らもまたな。ま、たぶんまたどっかで会うだろ」

「あ、ああ」

「さようなら……?」


 事情を呑み込めないイドラとソニアを置いて、カナヒトはそそくさと総裁室を出ていってしまった。


「許してくれ、ああ見えて彼は責任感の強い男だ。浦島君を地底世界へ送り込んだことが、未だに自分の中で納得できていないらしい」


 カナヒトが去っていくと、ヤナギも壁のセンサーに手をかざし、ドアを再び開ける。そして部屋を出る前に、促すようにイドラとソニアの二人を見た。

 なんのつもりかわからないが、見せたいものがあるというなら、従ってみるほかない。

 イドラとソニアはヤナギに続いて部屋を出た。

 そこから、また長い通路を歩き続ける。歩幅の大きなヤナギに、ソニアはついていくのがやっとという感じだった。


 階段を上り、渡り廊下を通って隣の棟へ。

 総裁室からはそれなりの距離があったが、通路の見た目がほとんど変化しないので、どこをどう進んでいるのかが把握しづらい。イドラにしてみれば、ここはまるで迷宮だ。

 しかし、棟を移れば廊下の雰囲気もかすかに変わった。

 白を基調として、個室の扉がいくつも並ぶ。それらは病室だ。

 さらに老躯の背に続いて奥へ進むと、人気ひとけのない一室の前でヤナギは立ち止まり、扉を開いた。やはり非接触センサーを使った自動ドアだ。


「わ……総裁?」


 中は狭く、ベッドが置かれて誰かが寝かされているようだった。見舞いなのか、女性がさらにもう一人。

 流石にイドラも、ここが病室であることは見ればわかった。


「……阿粒君の言う通りだったな。今日も見舞いかね、須藤君」

「は、はい。ええと、後ろの人たちは……子ども?」

「アンダーワールドから来た、彼女の意志を継ぐ者だよ」

「アンダーワールド? まさか……!」


 ベッドのそばの丸椅子に座っていた彼女は、弾かれたように立ち上がる。

 そして、ぐらりとふらついた。


「危ない!」

「……っと、ごめんなさい。朝からずっと、ここにいたから……」


 とっさにイドラが支え、立ちくらみに襲われたらしい彼女は転倒の憂き目に遭わずに済む。

 女性は細い銀縁の眼鏡をかけていて、レンズ越しに目と目が合う。

 間近で見てみれば、まだ若く顔立ちも整っている。ただ不摂生なのか、目の下のクマと、室内に籠もりきりなのが丸わかりの不健康に真っ白い肌が、美人という印象を薄弱にさせていた。


「……え?」


 しかし、イドラの頭の中から、彼女のことは消し飛んだ。

 女性の肩越しに視界に入る、ベッドに寝かされたもう一人の女性。

 かすかな寝息を立ててはいた。だがその姿は、眠っているというよりは、死んでいるようだった。

 そして事実、イドラはその女性の死に様を見たことがあった。


「なんで……なんで! そんな、馬鹿な!!」


 流れるような黒い髪。まぶたを閉じていても、知性を感じさせる顔立ち。長らく寝たきりだからか、彼女も肌は白く、心なしか体もいささか細くなっているようだった。

 だが見間違うものか。それは確かに、あの日死に別れた恩人の姿だった。

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