第百六十話 香り知らぬ花


『雪華の少女』の『雪』:智太郎

 ▷▷ ❪❪隠匿❫❫

 『濡羽色の花嫁』の『なな』:千里

 『若葉色の花嫁』の『千里』:黒曜


隠匿外/演者

『紅の花嫁』:翠音

『黒豹の女』:綾人

『色獄の主』:炎陽

『紅の復讐者』:紅音

 

――*―*―*―〖 智太郎目線 〗―*―*―*――


 『濡羽色の花嫁』の彼女から、受け取った“白い菊の練り切り”の甘さは……忘れかけていた郷愁を呼び起こす。

 初めて“花の練り切り”をくれたのは、父であるわたるだった気がする。頭を撫でてくれていた力強い掌から、俺は確かな愛情を受け取っていた。檻の中の幸せだったとしても、咲雪かあさんとうさんは俺の中へ柔らかい笑みを遺してくれていた。

 

 俺を裏切ったのだとしても、亡き家族から役割を引き継ぐように……“花の練り切り”と共に俺へ愛情を与え続けてくれたのは千里だ。花の名前、色と光。暗い檻の中、無知だった俺に『外の世界』を見せてくれた。


 今、原初の妖である炎陽のかいなの中である事を盾に『若葉色の花嫁』を演じる千里は他人を拒絶している。ようやく『隠世 猫屋敷』に辿り着き、彼女に会えたはずが近づく口実も得られない。俺の焦りは募っていくばかりだったはずなのに……。


 “白い菊の練り切り”を渡してくれた彼女が、桜色の唇に浮かべた柔らかい微笑に、懐かしい愛情を感じる。

 

 闇色の面紗ベールで、その風貌までは明確に分からないが、青紫あおむらさき紅紫色こうししょくに艷めく濡れ羽色の長い髪は、知らない存在である証なのに。警戒心すら抱かないまま、どうして心動かされてしまったのだろう。

 

「貴方の名を、教えて頂けませんか? 」

 

 目の前の彼女を知りたくなり、俺は自然と問いかけていた。


「なな……名……? 」


「……『なな』さんですか? 」


 何故か口ごもった彼女はすかさず頷く。飾りだと思っていた翼の耳がぴょこぴょこと動揺に羽ばたき、彼女は本当に妖なのだと確信する。

 

「そうっ、それです。貴方こそ、何と言う名前なのですか」


 嘲る綾人に『智太郎姫』と馬鹿にされた記憶が蘇るが、まさかそのまま名乗る訳にはいくまい。


「私は……『雪』です」


 似通っている前世の姿にちなんで名乗るが、『なな』は言葉を失う。


「名前まで……凄く似てるから……驚いてしまいました。貴方は私の大切な人と生き写しのようです」


隠世ここに訪れてから、誰かに似ていると良く言われます。そんなに、私の容姿はありふれているでしょうか」


 紅音あかねに、少女に扮した今の自分を咲雪と重ねられた事を思い返す。母である咲雪に重ねられるのはまだ理解できるが、二度目ともなれば……自分が誰かの『鏡』にでもなったようだ。あまり良い気分とは言えない。

 何故か『なな』は、くすくすと笑う。指の背で唇に触れる上品な仕草に、小さな既視感を覚える。


「貴方の容姿がありふれていたら、世界の品質クオリティは冗談みたいに高すぎます。まぁ……美しきえさと妖達が集う、この『宴』自体……私にとっては良くも悪くも夢のようですが」


 そう言って『なな』が見つめたのは、『若葉色の花嫁』と『紅色の花嫁』をかいなに抱いた炎陽が手招く……紅音だった。こうべを垂れるも翡翠の双眸に鋭光えいこうを宿す紅音が、復讐の幕開けを宣言してしまえば……『若葉色の花嫁』に接触する好機チャンスは無くなってしまう。

 かと言って無闇に軽率な行動をとれば、『宴』のあるじたる炎陽の機嫌を損ねて殺されるだろう。抵抗も出来ないまま好機チャンスを失おうとしている今に、俺は唇を噛んだ。


「『雪』は『若葉色の花嫁』と話したいのでしょう? なら……私と手を組みませんか」


 闇色の面紗ベールを纏う『なな』は、ふいに妖しい微笑を浮かべた。仮面を使いこなす彼女に、させられていたのかと俺は肌が粟立つ。『隠世』で気を抜くだなんて、どうかしていた。


「妖の貴方が、新参のえさである私を選んでくださった理由は何ですか」


「そうですね……。私の大切な人と生き写しの貴方に同情した、ということにしてください。美しい容姿の『雪』は幸運だったのです。繰り返される『隠世』の日々に飽いてしまった私に、貴方の願いの果てを見せてください」


「……良いでしょう。ならまずは、『若葉色の花嫁』が居る炎陽達の輪に近づかなくては」

 

 早速立ち上がろうとする俺の腕を引いた『なな』は、再び座らせる。訝しみ彼女を振り返ると……『なな』は首を振る。


「今、彼らに近づいてはなりません。復讐の怨念が支配するあの場は不穏です。部外者である私達が輪に入るには、不自然過ぎる。空気も読めぬ異分子は、話もしてもらえず弾かれてしまうと思いませんか? 」


「なら……一体どうしたら」


「まずは御しやすい周りの輪から溶け込み、自然に炎陽様達へ近づきましょう。『若葉色の花嫁』も心を開いてくれるはずです。『雪』を連れて来た客人が居るあの輪ならば……馴染みやすいはず」


『なな』が示した輪は、青ノ鬼と綾……そして伊月家兄弟が酒を交わす場だった。『若葉色の花嫁』と再会を簡易に確かめた青ノ鬼は、彼らの輪に居たらしい。


「炎陽様は『若葉色の花嫁』が、いたくお気に入りのようですね。一時とはいえ、青ノ鬼からあるじを取り上げてしまわれるなんて」


『なな』はどことなく同情するようにため息をつき、『若葉色の花嫁』を見つめた。花嫁達にとって、必ずしも寵愛は喜ばしい事では無いのか……?


「『なな』も他の花嫁達のように炎陽様の所に戻りたいはずですよね? 」


「そ、そうね……。炎陽様の機嫌が良ければ……」


 闇色の面紗ベールで明確には見えないが、『なな』は視線を畳に彷徨わせている気がした。やはり花嫁にとって炎陽の寵愛が嫌だなんてことは有り得ないだろうから……そう見えたのは、たまたまなのだろう。『若葉色の花嫁』である千里が抵抗しない理由は、炎陽の『魅了』の力のせいかもしれないと……俺は花嫁達に囲まれた炎陽を睨んだ。


している場合ではないですよ、『雪』。さぁ、宴を愉しまないと」


 立ち上がった『なな』に手を引かれ、歩み始めた俺は我に返る。新たな輪の中へ導く『濡羽色の花嫁』である彼女の、闇色の面紗ベールが捲れ……紅紫色の中に青紫を宿す変彩金緑石アレキサンドライトのような杏眼と、一瞬だけ直に視線が交わった。俺は雷に打たれたように、まなこを見開く。


 ―― 杏眼が……千里に似ている。

 

 その菱形の星の瞳孔は間違いなく妖の物。だが……目の端に僅かに金の色彩。人である千里の目は金色だった……。だから金木犀に例えられ、金花姫きんかひめと呼ばれていたのだから。


 偶然だ、と俺は焼け付くような好奇心を閉ざす。千里は妖となっても人の姿を保っている。だからこそ今、千里は『若葉色の花嫁』として炎陽の隣に居るのだ。


 ならば目の前の『濡羽色の花嫁』は何者か。だが正体を追求してしまえば、微笑する彼女はだろう。俺が知らねばならないのは『若葉色の花嫁』のはずだ。

 

 だから俺は……『宴』の参加者の中に、居るべきはずのの姿が見当たらない事を考えないようにした。

 

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