第百二十六話 炎暑の裏


 黒曜に私の魂への執着を無くさせる事は出来ない。己穂わたしが死んで長い時が過ぎても想い続けてくれたのは、根源の感情がきっと愛だったから。同じ魂を継いだ千里わたしを見つけてくれたのも、そう。


 ――黒曜から唯一の『人』への愛情を奪う事など、私には出来ない。

 

 過去夢で己穂として再会して思い出した。千里わたしは、かつて黒曜の優しさが好きだったことを。幼い頃に感じていた慈愛は確かに有った。思い出は薄紅桜の下で裏切られ、いつの間にか黒曜の優しさを憎んでしまっていた。だけど始まりは、己穂として出会い生まれた純粋な愛からだった。

 

 今の私はどうか? 己穂であり千里である私は、黒曜をどう想っているのだろう。与えられた憎しみも、慈愛も等しく抱いている。私が過去夢で探し続けていた、人と妖の狭間……愛と憎悪の狭間に立ち続ける方法。それは黒曜への想いの答えを出す事なのだと、今の私には分かる。その答えが、雪の運命を左右する事も。


「外は肌を焼く暑さですね……夏には逆らえません」


 縁側から庭先を見つめていた己穂わたしは、涼やかな雪の声に振り向く。白銀の柔らかな髪が、白夜月はくやづきの様な透明感のある頬をふわふわと擽っている。雪華の様な睫毛を瞬かせた銀の双眸の彼女は日焼けどころか暑さには一切無縁に思えて、私は苦笑した。


「雪は肌なんか焼けないでしょ? 焼ける前に暑さで溶けちゃうんじゃない」


「雪は名前程やわじゃないと否定したい所ですが、肌が焼ける前に本当に溶けそうです」


 暑さにうんざりしたように溜息をつく雪が可愛らしくて、私は微笑する。


「寒さだけじゃなくて暑さにも弱いなんて、冬にも夏にも負けちゃうね。本当に……」


 智太郎と同じ。その言葉を過去夢に阻まれる前に呑み込んだ。どちらにしろ雪に伝わったところで、来世を知らない彼女には意味が無い。


「己穂は何の季節が好きですか? 」


「季節?……うーん、やっぱり秋かなぁ。黄金の季節は私達に実りを与えてくれるでしょ。それに、美しい錦秋きんしゅうは穏やかな気持ちにしてくれる。……雪は何の季節が好きなの? 」


 唐突な質問に殆ど条件反射で答えると、雪は悪戯な笑みを浮かべた。魅力的な微笑に心臓を掴まれた様で、私は思わず逃げるように俯く。智太郎の前世でも、彼女は違う存在だ。


「暑いのには少々弱いですが……雪は夏が好きです。生命力に溢れた植物達が炎陽にも負けず、若草色の反旗を翻しているようで勇気を貰えるから」


「意外、雪は冬が好きなのかと思った。……まるで太陽が怖いみたいだね」


 私は自然と智太郎の妖力の根源を思い出す。智太郎の心臓は白い太陽だった。灼熱の日差しが与えた、迸る生命いのちは激しさのあまり『人の器』を崩壊させてしまう所だった。白い太陽に刺したわたしの紫電の欠片で奪い続ける事により、繋がりを生じさせた智太郎の妖力は、恐らく今もわたしの心臓に繋がっている。私は無意識に、脈動する自らの心臓に手を当てていた。

 

「そうかもしれません。燃え盛る太陽は恐ろしくもありますが、生命力を私達に与える根源でもある。太陽から与えられた灼熱の日差しは、やがて形を成して私達のかいないだかれる実りとなる。……貴方の愛する秋に繋がっていくのです」


 俯いていた私の頬にそっと触れ、雪は銀の双眸で私の視線を奪う。たおやかな掌は私の前に現れた白い猫のように温もりを纏っていた。瞳孔が揺らいでしまう私に、ほのかに苦く微笑する雪は内なる小さな棘に耐えるようだった。


「隠している事があると言ったら……貴方は雪を受け入れてくれますか? 」


 雪は原初の妖『猫』の血を継ぐ妖であることを、己穂わたしに隠している。彼女は、智太郎と同じ原初の妖の血を継いでいた。黒曜の過去夢から千里わたしは知った。雪はかつての己穂わたしを欺いていたのだ。妖と戦う『現人神』である己穂わたしを。だけど、今の私が彼女をどうして責められようか。千里わたしは雪の生まれ変わりである智太郎に罪を秘匿し続けてきたのだから。かつての己穂わたしは、雪になんと答えたのだろう。黒曜の過去夢では、雪は最期まで己穂わたしに秘匿を告げる事は無かった。

 私は下手になってしまうと理解していたけれど、雪に微笑を返した。


「私は雪の秘匿を受け入れる。私が秘匿を告げるまで待ち続けてくれた人が居たから……私も雪が話してくれるまでずっと待ってる」


 雪は耐えかねたように柳眉りゅうびを寄せると、私を抱き寄せた! 重なる鼓動に一瞬頭は真っ白になるも……肩を揺らして小さく震える彼女に気がついた私は、胸を締め付ける衝動のままに雪を抱きしめていた。


「ずっと貴方に拒絶されるのが、怖かった。彷徨い続けていた私を助けてくれた貴方は、暖かい居場所までくれた。貴方を裏切り続ける自分が憎いのに、臆病者の私は向き合う事から逃げてきたのです」


 震える声を抑えるように小さく泣く雪は、罪を秘匿し続けてきた千里わたしと同じ。胸を温めるのは愛しさだった。

 私は過去夢を視るまで、自分が己穂であり千里である事から逃げてきた。黒曜に拒絶された自分自身を受け入れるのが怖かったから。全くの別な存在だと思う事で、自分を守ってきたのだ。だけど結局、核は繋がっていた。智太郎と雪も魂は同じ。違う存在だとしても、やはり面影は繋がっている。


「逃げてもいいよ。いつか私に明かしてくれるのなら。私も雪と同じ臆病者だから、逃げたくなるのはよく分かる」


「……まだ少し、逃げてしまうかもしれませんが。待っててください。必ず伝えますから」


 私は答えの代わりに雪の背中をあやす様に撫でた。私の胸を締め付ける炎花えんかの蔦は、一つの答えにたどり着こうと日盛ひざかりに足掻いていた。

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