第百十一話 言伝は割く
【午後八時七分】
千里 智太郎 綾人
杉林にて
《千里視点》
青ノ鬼と黒曜の戦いが生じさせる衝撃波が、私達を見下ろす杉林を軋ませ、怯えるように雪を落とす。
地響きが、私達が登る山から雪崩を起こすのではないかと、雪鳴りを引き連れる歩みを重くさせた。
首を竦めて立ち止まった私に……隣で歩いていた智太郎も歩みを止める。
振り返った智太郎は、対の雪華のように繊細な睫毛の奥……私を繋ぎ止めるように、強い輝きを放つ
「……怖いなら、言えばいいんだ」
気がつけば、私を救い上げるように、智太郎の左手が私の右手に繋がれていた。
銃を構えつづけた硬い掌から与えられる体温は、小鳥の心臓のように脈動する私の鼓動を締め付けた。冷たい息と共に肺を甘やかに刺すのは、享受した想い。
私はその想い故に、智太郎に告げる答えをもう決めた。智太郎は、受け入れないだろう。それでも、私の覚悟は譲れない。
「言う前に、智太郎はいつも気づいてくれるから」
目的地に向かう今だけはこのままで、と私は隠すように微笑を返した。智太郎は自嘲するように僅かに苦笑した。
「そうかもな」
青ノ鬼が参戦することで黒曜から逃れた私達は、合流する前に綾人が発見したという、山小屋に向かう事になったのだ。今は誰も住んでいない山小屋だが……落ち着いて話をするには最適だろう。目的地まであと少々だと言うので、私達は山小屋を探す為に妖力による疾走を歩みに変えたのだった。
歩みを止めた智太郎の向こう、私達が着いて来ない事に訝しんだ綾人は拗ねたように唇を片端に寄せて結んだ。
「……二人、俺が居ること忘れてない?」
「むしろ、眼中に無い」
一刀両断するように即答した智太郎に、わざとらしく綾人は、ドン引き、のポーズをした。
「酷っ! なんで智太郎は、そんなに俺に辛辣なの」
「勿論、面白いからに他ならない」
「はいはい、どうせ俺は智太郎の玩具ですよーーっ 」
ため息を深く吐いて肩をがっくりと落とした綾人を、一瞥した智太郎は小さく呟く。
「さっきもそうだが、綾人にはいつも感謝してる。……親友として」
「え、え!?……理想の幻聴が聞こえたんだけど! 今のは
困惑と喜悦の絶妙な間で、綾人が顔を引き攣らせる。
「……人を何だと思ってるんだ、お前は」
綾人が、低く唸る智太郎の地雷をこれ以上下手に踏む前に、フォローする事にした。
「うん、バッチリ
「千里が言うなら、智太郎に親友認定されたのは、間違いなく
そう言うと、綾人は笑みを仕舞い、歩んできた杉林を裂く雪道の向こう側を見つめると、双眸を再び
私も、胸に打ち込まれた楔から繋がる鎖のような危惧に引かれて振り返る。
視えていても、不安の暗雲に胸を支配されるのは綾人も変わらないだろうけれど。張り詰めた顔のまま、綾人を見つめた智太郎は問うた。
「戦況はどうだ」
「拮抗してると思う」
「鴉が青ノ鬼に翻弄されているうちが花だな。俺との戦いの時もそうだが……鴉には躊躇いがあった」
黒曜は、己穂と人を殺めないという約束をした。
だが……人の身体に妖の魂を宿した状態の青ノ鬼は、人と妖の境界線上にいるのだ。
黒曜は青ノ鬼を妖と認識したなら、人を混じえた妖である青ノ鬼は、原初の妖である黒曜に不利だろう。
私は、智太郎と繋ぐ右手が僅かに震えてしまう。
「御先祖様は、美峰を鴉に殺させたりしないよ。果たしたい目的があるのに美峰と共に死ぬなんて、俺が絶対にさせない。……早く向かおう。御先祖様が時間を稼いでくれている間に」
微笑しようとしたのだろう。だが綾人は、唇を痙攣させただけだった。一刻も早く、美峰の元に駆けつけたいだろうに……彼は私達の為に貴重な時間を割いてくれたのだ。
私は少しでも綾人に応えるように、頷いた智太郎と共に雪鳴りを引き連れる歩みを早めた。
丁度その時、綾人が驚愕の声と共に左の杉林を指さす。
「あった! 山小屋だ」
綾人の指さす先……杉林にひっそり隠れるように、深雪に埋もれかけた山小屋があった。但し、正確には山小屋と言うより……捨てられた小さな物置小屋と言った所だろう。
綾人が紺碧の
深雪の重さに耐えかねて、潰れてしまわないか不安になる程だった山小屋だが、昔、人に手入れされていた姿を取り戻したようで、先程よりも不思議と立派に見えた。
「よし! これで大丈夫そうかな」
紺碧の二つの角を顕現させ、綾人は腰に手を当てた。
綾人が美峰の元に疾走する前に、私は言伝を頼むことにした。山小屋に着いたら、綾人に必ず告げようと決めていた。
「綾人。鴉に伝えてくれない? 私は、貴方の
途中から合流した綾人は、私の言葉の意味を知らないだろう。だが、私の覚悟は伝わったはずだ。
呆然と紺碧に染めた双眸を見開く綾人が私に言葉を返す前に、繋いだ私の手を引き寄せた智太郎は、
「突然、お前は何を言い出した! ……駄目だ、綾人! 行くな! 」
「綾人……美峰をお願い。私がもっと早く答えを出していれば巻き込まなくて済んだのに、ごめん」
私が目配せすると、青ざめた顔のまま綾人は操り糸を引かれるかのように、ぎこちなく踵を返す。
躊躇いは綾人の声を小さくさせた。
「……ごめん、智太郎。本当はこれ以上、半不死の妖と美峰に戦って欲しくなんかないんだ。千里の答えが変わらないなら、俺は行くよ」
「ありがとう……綾人」
紺碧の
綾人は
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