第百十話 愛の妖による、混沌への論理


 【午後八時四分】

      

 黒曜 青ノ鬼 

 癒刻時計塔前 雪原にて


 《黒曜視点》



 智太郎から千里を取り戻す前に……余計な邪魔が入ってしまった。久しぶりに顔を合わせたと思えば、青ノ鬼あおのかみは、私の神経を逆撫でる。

 この男は、昔から口が達者だった。原初の妖では無いというのに恐れ知らずなのは、未来視の能力のせいだけでは無いだろう。

 

 だが、今は人が混じった妖と化し、二つ巴の魂だけで人の身に憑く青ノ鬼は……私に対して不利なはずだ。

 

 それなのに青ノ鬼は、瑠璃色の長着と胡粉色の袴を着た黒髪の少女のかんばせに変わらぬ嘲笑を浮かべた。

 額に青く輝く二本の角を顕現させて青い左目を爛々らんらんと輝かせる。


 己穂との約束が導いた今の私を、この男は間違っていると否定した。一体何が間違っているというのか。

 過ちを重ねて来たからこそ……今の私は築き上げた道を歩んでいるというのに。


「己穂の眷属だから、私が甘んじるとでも……? 」


 嘲笑を浮かべる青ノ鬼への苛立ちは、そのまま顔を顰めた私の構える刀を疼くように唸らせた。

 刃から苛立ちの唸りを解放するかのごとく、青ノ鬼へ黒い焔の一閃を放つ!

 

 黒い焔の刃の軌跡を、袖を翻しひらりと舞踏するように左へ避けながら、青ノ鬼は小さな唇に微笑の弧を描く。

 

「そんな事は思ってないけど。だけどこの身は、千里の友人の物でもあるんだ。……傷つけたりしたら、千里が悲しむよ? 」


 青ノ鬼は千里の名を出せば、私が躊躇すると思っているようだ。だが生憎、逆効果だ。青ノ鬼が千里を盾にしている事自体……私の神経をざらざらと不快に逆撫でする。

 

「……その口を黙らせるべきか」


「やだよ、僕のチャームポイントなんだ。あ、古い時代に固執するきみは『チャームポイント』なんて言葉、分からないか……」


 私が暗い殺意すら込めて睨みつけたというのに、青ノ鬼は小馬鹿にするように黒と青の双眸を細め、少女の振りをして、弧を描く唇の片端に人差し指をあてた。

 逆撫でされるどころか、逆立つ神経に針を突き立てられたようだ! 脊髄をじくじくした激流が逆上る!

 

「やはり滅する! 」


 青ノ鬼の嘲笑を掻き消すように私は咆哮した!

 

 広げた両翼に黒い焔を纏わせ、羽ばたきと共に生じた天高く昇る炎舞で、青ノ鬼を閉じ込める。

 

  炎舞の向こう、青ノ鬼は少女の影となる。青ノ鬼が立つ白銀の大地は衝撃波を与えられ、焼尽される。夜を喰らう熱風が冬を支配した!

 

 だが……茜色纏う黒い焔の内側から……青い光が滲み始める。黒い焔に呑み込まれること無く、青い花吹雪の隙間から、崩れぬ嘲笑を向けた青ノ鬼に舌打ちをする。

 

「千里ときみが再会する時間を稼いであげたのは、僕なんだけどな。感謝されこそ、殺される理由なんか無いね。それより、きみは自分の逡巡と向かい合うべきだと思うけど? 永い時を間違い続けてきた事実とも」


「確かに私は過ちを繰り返してきた。だが、許されない罪だと理解したからこそ、私は償わねばならないと自覚した。私は 己穂との約束を果たし、妖と人の対立を終焉に導く! 約束への逡巡など、存在しない! 」

 

「手段は違えど、同一の目的を持つきみと僕は、妖と人をより良い未来へ導く努力をしてきた。……だが僕がきみに問いただしたいのは、己穂との約束じゃない。……逡巡するきみの想いだ! 」


 青ノ鬼はついに嘲笑を解き、牙を剥くように怒号を放った! 燃ゆる黒と青の双眸の鮮烈な輝きで、私を睨む。

 

 私の鳩尾みぞおちから鳴り響くような本能からの警告が、たぎらせた血流で心臓を削るかのごとく廻転させた。

 

 少女のかんばせを怒りに染め上げた青ノ鬼は袖を振り上げる!

 青ノ鬼が一手を打つ前に、私は猛り狂う心臓から顕現けんげんさせた茜色纏う黒い焔で、天高く夜を引き裂いた!

 青ノ鬼の青い花吹雪の嵐と、私の黒い焔の業火が、轟轟と唸りを上げながら、白銀の大地を激震させて衝突する!

 生じた衝撃波は、寒風も粉雪パウダースノーも巻き上げ、冠雪被る杉林さえも激しく軋ませた!

 

「私の想いの逡巡だと……? 己穂への躊躇いがあるとすれば、戦の渦の中心に立つ己穂が人のまま、その手を取ることは、波乱を連れた運命さだめを呼ぶとおまえが告げたからだ! 」


 私の答えに、青い花吹雪の隙間から不快な表情を隠さない青ノ鬼は、私をめつけた。


「君は根本的に思い違いをしているが……君が抱いているのは千里への逡巡でもある」


「千里への逡巡など……」


 有るはずがない、と続けることは出来なかった。

 十年の時を越え、金木犀の下で再会した千里を目にした瞬間……私を支配した感情の名を、本当は知っていた。

 

 

 まるで金木犀の花吹雪が形を成したかのように立つ、千里の存在に……私は確かな今を感じたくて歩み寄っていた。

 動揺に瞬いた千里は、漆黒の翼を広げた私を秋暁しゅうぎょうに輝く明星の双眸に映すのに、私に与えてくれた名を呼ぶことは無かった。

 だが私の瞳を反射して、黒曜石の夜の欠片を飾った金の瞳に、鮮烈な槍のような衝動が心臓に突き刺さった。

 

 鼓動と共に広がる鋭い痛みに支配された私は……瑞々しい果実のような桜色の唇へ、縋るように口付けていた。

 心臓は痺れるような甘さで満たされ、震えていた。

 己穂が命をもって変えた運命を……この身をもって知った瞬間だった。


 

 私は顰めた顔を片手で覆う。逡巡へ向かい合い始めた私に、青ノ鬼は自らが変わることで見た世界を告げた。

 

 

「今の時代は、己穂の最期の願いによって、人と妖が手を取り、半妖達も数多く生まれた。僕も人と妖の愛によって生まれ変わったんだ。 戦乱の時代とは違う! 妖として人の手を取る事を躊躇う必要など、最早ない。人と妖の対立は、終焉へ向かっているのだから! 」


 鋭い寒風が肌を引き裂くような警告を感じ、我に返る。漆黒の翼で飛翔したが、足に焼き付くような痛みが走り、唇を噛んだ!

 青ノ鬼の花吹雪の鞭が掠めていったのだ。焼け付く痛みは自らを罰する物か。……それとも正す物か。

 私は感じた自責に歯向かうように、青ノ鬼へ咆哮した!


「だが人と妖の対立はまだ終わっていない! 私達がこうして対立している、今が事実だ! 」


「人を守ろうとした己穂の心情すら、きみが未だ理解していないからだ! 妖を庇護するのもきみにとれば、同種だからに過ぎないんだろう? 妖狩人の総本山である桂花宮家の、真の初代当主であり、妖のおさたる原初の妖のきみがだ。……全く、喜劇にもならないよ」


 首を振り、黒と青の双眸で再び私を射抜いた青ノ鬼は、飛翔する私を追うかのように、青い花吹雪を三日月のような風の刃に化して放つ!

 

「答えから逃げるな! 約束の目的と、おまえ自身の想いは別だ! 己穂がおまえに命すら捧げたのは、本当に約束を交わすためだけだと思っているのか……? 理解していないなら……僕は己穂を殺したきみを、殺す」


 青ノ鬼は、身の内に潜めていた憎悪を晒すように、低く唸った。私は漆黒の翼を翻し、鉄紺てっこん色の正絹シルクの夜空を貫く焔の疾風となったが避けきれず、青い風の刃により、漆黒の片翼は切り裂かれた!

 信じ難い灼熱が背を走る激痛に、一瞬肺が硬直した私は寒風に肌を刺され、冷たい雪原に墜ちた。

 粉雪パウダースノーを煙る雪原は鮮血に染まっていき、黒い雪が降るかのように、ゆらりと羽が舞い落ちてくる。

 背を走った激痛は、一呼吸ごとに霞み、やがて消失した。

 だが、冷たい雪に濡らされ、白に染められた屈辱は燻る。

 

「死など恐れはしない! 人と妖の戦いの渦その物になった己穂と私は、戦いに終止符を打った。その結果……私では無く己穂が負け、死すべきだった私が生き残ってしまっただけだ。……己穂が私に命を捧げる理由など、あっていいはずが無い! 」


「己穂がきみを愛していたからに決まっているだろう! だから己穂は命を捧げてでも、きみに生きて欲しかったんだ。じゃなきゃ、己穂を殺したきみを、僕が生かしておく訳がないだろう! 」


 青ノ鬼の言葉に、鼓動を抉られた私は、秋暁しゅうぎょうの空の下に舞い戻ったように脳裏へ鮮烈な記憶が甦る。

 

 私の一閃に心臓を貫かれたのに……己穂は、ほのかに唇を緩めていた。まるで、望んでいた結末が訪れたように。

 

 吸い込んだ寒風が、現実の私の肺を刺した。

 

「己穂が死んだのは……彼女自身が選んだ結末だったというのか……。裏切り者である私に、己穂の命をかける価値など無いというのに」


「己穂だけじゃない! 君は約束の為に、行動理由であるはずのきみ自身の想いすら裏切っている! ……僕も美峰に頬を張られるまでは、気づかなかったけどね。永い時を生きるいにしえの妖より、真理に辿り着くのは儚い時を生きる人だなんて、古の妖さいきょうの名が泣けるだろう? 」


 儚い微笑を浮かべた青ノ鬼に、己穂が彼に託した想いを見た気がした。その微笑は……己穂の眷属である証だった。


「千里への想いも裏切っていると言いたいのか……」


「そうだ。想いは違えど、きみは僕と同じさ。自分の想いに目隠しをし続けてきたんだ。約束という、隠れ蓑に逃げ込んだまま」

 

 秋暁に輝く明星の魂を瞋恚しんいの焔が支配する夜に堕としたい、という願い。己穂から魂を受け継いだ千里が瞋恚の焔の夜に堕ちるのは、もはや時間の問題だ。

 

 後悔なんて、遅すぎる。だが何時だって私は……間違った後に悔いる事しか出来なかった。雪をこの手で殺めた時も。


「私は千里を桂花宮家という鳥籠に閉じ込め、彼女が望まない運命さだめへ導いた。己穂の記憶さえ、千里は拒否した! それなのに、千里の未来を乞い願うどころか……千里自身を望むことなど、あって良いはずが無い……! 」

 

「千里が自分自身のはずの己穂を否定するのは、きみが千里を否定したからだ。 前世だろうが、己穂は確かに今の千里にも繋がっていて、千里自身も己穂に繋がっている。己穂を愛しているなら、何故己穂自身でもある千里を否定するんだ! 」


「千里が己穂自身でもあるというのなら……私は罪を償うどころか塗り重ねてしまった。私は、見て見ぬふりをしていた罪悪感の為に……千里を突き放し、孤独に堕としたというのか……」


 己穂への誓った愛で、千里を愛する事を恐れていた。

 だが憎悪に染めてでも、手に入れたかった魂は……千里でもあった。約束を果たすという目的の為に、千里は己穂では無いと……自分の認識を偽ってきたのだ。

 

「混沌を受け入れてこそ、愛だろう? 僕は、千里と己穂……どちらも選んだ! きみは 精々、欠けた己穂へのお綺麗な想いを突き通すが良いさ! 」


 黒と青の双眸を猛々しく見開いた青ノ鬼は、つるぎのような一声で、私の中の過誤かごを貫く!

 

 青ノ鬼は袖で風を切るように、青い花吹雪の妖力を再び巨大な嵐に化した!


 貫かれた私の過誤は、最後の抗いに魂を焦がし、天を穿つ黒い焔の業火となり迸る!

 

 互いを喰らうかの如く、青ノ鬼の青い花吹雪の嵐と、私の黒い焔の業火は、轟轟と唸りを上げる!

 

 白銀の大地を再び震撼させた衝撃波は、私達の怒号すら呑み込み……刹那、世界から音も光さえも奪った!


 

 だが……寒風が粉雪パウダースノーを舞い上げる雪原に倒れたのは、青ノ鬼だった。

 金剛石ダイヤモンドの星々瞬く鉄紺てっこん色の正絹シルクの夜空を見上げた彼は、解放されたように白息しらいきで冬の夜を煙らせて、笑っていた。


 混沌の妖のはずの彼が浮かべる、混じり気の無い晴れ晴れとした笑みに、負けたのは私の方だった。

 だが青ノ鬼は自嘲するようにため息をついた。

 

「あーあ……やっぱり負けちゃったか……。でも、きみになら仕方ないよね。智太郎によれば、僕は愛の妖らしい。混沌たる愛の妖の僕が、憎悪の妖であるきみの友人だなんて……笑えるだろ? 」

 

「お前は……私を友人だと思ってくれていたのか」


 私は目を見張った。私はかつて鬼であった、青ノ鬼と対立し決別したというのに……彼は私を恨んでなどいなかったのだ。決別し、青ノ鬼と再会してからも……今思えば、彼の口から私を責める言葉は無かった。

 青ノ鬼の創造主たる己穂が、私を想っていたからだけじゃない。青ノ鬼自身が、私を許してくれていたからだった。


「じゃなきゃ、君に説教なんてするはず無い。 僕は智太郎より、友人のきみに千里と共に歩んで欲しいと願っているのだから」


「……友人たる青ノ鬼おまえの説教は無駄にしない。私は自分自身の想いから、もう逃げない」


 私は雪原に横たわる青ノ鬼へ、覚悟を誓う。

 己穂との約束は果たさねばならないだろう。

 だが……人である千里へ向ける、私自身の想いにすら振り回されているのに……人と妖を理解し対立を無くす事など、どうして出来ようか。

 人と妖の想いを真に理解していない私は、まず目の前の想いから解決するべきだと、青ノ鬼に気づかされた。


「絶対そうして。僕が心身犠牲にしてまで、きみを答えに導いたんだからさ。……もう口が回らない……。ああ……メロンクリームソーダ、飲みたい! 」


 駄々をこねる子供のように、両手足をばたつかせた青ノ鬼はすっかり俗世に染まってしまったらしい。人を混ぜた彼は、人の感覚に夢中になっていた。


「……青ノ鬼おまえの口は、既に十分回っている」


 私は呆れて、人としての生を謳歌し始めた友人に苦笑した。

 

 

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