第六十五話 天灯




四対よんついの人払いの術式を込めた札ですが……正しくは札の形ではありません」


「札の形でない? 」


 私は後藤の言葉に眉を寄せる。生力由来であれ、妖力由来であれ、術式の札は武器とは違い形が決まっている筈だ。持ち運び易いように、又は気づかれにくいように、イメージ通り長方形の紙が多い。それ以外の形なんて聞いたことが無いが……。


「私が後藤殿と制作したのは、四対の天灯てんとう形の札です」


 気を取り直した黎映から、天灯と聞いて私が思い浮かべたのは、紙を貼り合わせた袋の底部で油紙を燃やし、浮力を持たせて飛ばす小型の気球だ。 中国南部や台湾で、息災などを願う行事に用いられる。私は何百個もの天灯が夜空に浮かび、炎の色が暖かく彩る光景を思い浮かべた。だが最近では、天灯祭りの後、火のついた天灯が畑に何十個も落ちてきて畑を燃やした……なんてニュースもあったらしく、LED化が進んでいるらしい。

 私は黎映と後藤が作った天灯を想像する。……生力由来の術式の天灯だから、畑を燃やしたりなんて事は無いと思うけど。ズレた心配をしている自覚はあった。


「どうやって使うの? とりあえず、生力がもう込められた天灯なんでしょ」


「そうです、後藤殿の生力を使わせて頂きました。大変有難く使わせて頂きます」


 後藤に頭の上がらない黎映を見て、私は少し後悔する。


「……私の生力を分けてあげれば良かったね。あ、今からでも後藤を回復しようか? 」


 私は嬉々として運転席の後藤の肩に触れようとするが、後藤は慌てたように拒否する。


「いけません! これから何があるか分からないのに生力を消費しては! 黎映殿でなく私の生力を使ったのだって、それが理由なんですから」


 私は後藤に怒られ、しおしおと手を引っこめる。回復しようとして拒否されるのは中々無い経験だった。黎映はそんな私を苦笑して見つめた後、説明を続ける。


「天灯は狙った四つの場所に結び、同時に浮かばせる必要があります。空中から広範囲を覆い、人払いの術式の後、結界が発動します」


「結界も、なんだね」


「はい、外部から一般の方の侵入を防ぐ為です。妖は侵入出来ても出られません。鴉と兄を逃がさない為……でもあります」


 黎映は複雑な面持ちで、自身の組んだ手に視線を落とす。伊月誠が、黎映の説得を聞き入れるかは一か八かと言ったところだろう。説得の為の時間を掌握すれば、少しでも人側に引き戻す可能性を高められる。


「鴉が千里の前に現れるのは、時計塔の前に午後七時四十五分だったな。四つの天灯を浮かばせる為には、それぞれ分散する必要があるが、俺達は最悪の事態に備え、千里を守らないといけない。……どのくらい前に天灯を浮かばせるんだ」


 智太郎は警戒するかのように、低い声音で話す。


「天灯の継続時間は四、五時間程ですが、少しでも時間を稼ぐ為に設置時間は十分前が良いでしょうか。その位の時間があれば、皆千里の元へ駆けつけられるはずです」


「十五分前だ」


 振り返った黎映の冷ややかな赤と白の双眸と、智太郎の花緑青の瞳に浮かぶピリついた火がぶつかる。黎映は少しでも天灯の継続時間を長くさせたいが、智太郎は私の元に鴉が現れる前に、天灯の設置時間を早くさせたい。少しでも早く皆を集結させたいはずだ。


「……いいでしょう。何れにしても、後藤殿を抜いたとしても、五人いるのです。誰かは初めから千里と居ることが出来るはず」


「ごめんなさい。その事なんだけど、綾人と美峰は一緒に居て欲しい」


 私の発言に、皆一斉に視線が集まる。主に、驚愕と拒絶なのは分かっている。


「駄目だ」


 一番に反対したのは、やはり智太郎だった。


「美峰と綾人が私を守る為に来てくれたのは本当に感謝してる。だけど、やっぱり一番に優先して欲しいのは、二人の安全だから」


「千里ちゃん……」


 美峰の複雑そうな声に、私は唇を結ぶ。二人とは言ったが、本当は美峰の事である。天灯を設置した直後は、皆、各個人に、個別に接触できるチャンスも生まれる。私はその時に万が一黎映が、美峰の中の青ノ鬼に接触してしまったら、と不安なのだ。黎映が私達に見せている姿が、まだ本当とは信じきれていなかった。私の言いたいことは、黎映以外の皆には伝わったはずだ。これ以上黎映の前で深堀できない話題だとも分かっているので、智太郎と私の視線が譲れない意思を込めてぶつかる。


「……各天灯の距離はどのくらいですか? 」


 そんな智太郎と私に、耐えかねたように綾人が黎映に問う。


「直線距離で約800m~400mです。実際の移動距離はルートにより異なるでしょうが」


「成程。……道はそんなに複雑そうじゃないですね。一番遠い800mでも徒歩10分。400mだと5分。実際は妖力をのせて疾走するから、余裕で間に合いそうだ 」


 綾人がスマホでマップを確認すると、明るい笑顔で私達二人を見つめる。智太郎は苦い顔で綾人を見つめ返す。


「……途中で妨害が入らなければな」


「その可能性は、皆あるけど……。千里から一番近い距離に智太郎、その次に俺達ならどうかな? 黎映は申し訳ないけど……一番離れた距離をお願いします。それでも5分の余裕はある。疾走すれば、もっと時間を稼げる。未来視の時刻と黎映の実力が確かなら何の問題も無いですよね」


 綾人が微笑みの下に有無を言わせない冷気を込めて、黎映に確認する。黎映が時刻を偽っている可能性に、私は眉を寄せた。左の黎映と目を合わせないように俯く。だが、鴉と私の未来を視たのは黎映だけだ。私達は黎映の言葉を信じるしかない……。青ノ鬼も未来視の能力があるが、完璧に自由に扱える能力じゃ無いはずだ。そうでなければ私は今黎映と共にここには居ない。


「構いません。ならば午後七時半には、皆で天灯を設置しないといけませんね。千里は時計塔、智太郎は偉人の銅像、綾人と美峰は街なかのガス燈、私は反対側の川沿いが良いでしょう」


「……日付は今日なの? 今は、痛む? 」


 私は不安を押し込めて、黎映を見つめる。時間が近くなれば、未来視の魔眼の痛みが生じる筈だが……今はどうなのだろう。面紗の奥、張り詰めた表情の黎映は、私の視線に気づくと、品のある微笑を唇に浮かばせる。その微笑みに随分警戒心が薄れてしまった自分に気がつく。……それはまずい。困惑して俯くが、黎映は気にした様子も無く答える。


「少々痛みますが……これは数日前からと同じ痛みです。向こうに着いて暫くした頃には分かるはずですから、少しだけお待ちくださいね」


 黎映が痛みに慣れてしまっている事に、私は胸の内に異物を抱えたようなチリチリとした痛みに苛まれる。伊月家から自由に出れるようになったのは伊月誠が当主になってからという事だから、最近の筈だ。痛みを抱え、自由が無い生活……私と似ているようで異なる。私は少なくとも能力で物理的な傷みを伴う事は無かったから。結局私が黎映に返せたのは無難な一言に過ぎなかった。


「傷みが強くなったら、無理しないで」


 何故か黎映からは返事が無い。私は外した事は言ってない筈……と黎映を確認すると、動揺したように赤と白の瞳を瞬かせていた。


「そのように心配して頂いたのは初めてです。初めて心配して頂けたのが、千里で良かった」


 黎映は愛嬌のある笑顔で、嬉しそうに口元を綻ばせた。初めて会った時にも浮かべていた情深い笑みだった。


「……ズレた喜び方だよ、それ」


 思わぬ表情に動揺したのは私の方。そのせいか、少々意地悪な返し方をしてしまった。警戒心を忘れたくなかった、というのは言い訳に過ぎない。


「そうかもしれませんね。私はもう少し外の世界を知らなくては」


 黎映は自嘲するように、自身の口元に指の背で触れた。

 ……四歳年上なのに、言葉遣いとは裏腹に、素直な子供みたい。


「もう少しで、インターを降ります」


 運転席の後藤が私達に告げる。確かに先程、癒刻の看板が見えたような。外は寒いけど……そろそろ凝り固まった身体を伸ばしたい。


「今日じゃなかったら、温泉入れるかなぁ……」


「観光に来たんじゃ無いけど、美峰」


「分かってるけど少しは期待させてよ、綾人。せっかく部屋まで予約したんだし」


 浮かれる美峰と、呆れたような綾人の会話を聞きながら再び窓の景色を見つめると、広々とした田畑を、雪が綺麗に染め上げた銀世界が広がっていた。知らない景色のような気もするし……見たことがある景色なような気もする。既視感のある様で無い白い景色は、桂花宮家と癒刻温泉を繋いでいる。目的地は山間部だ。もう少し市街を走るのだろう。


「あと何分で着くんだ、後藤」


 私の心情を代弁したように、智太郎が後藤に問う。


「……あと一時間程です」


「ええー!! まだ距離あるんだ……」


 ガックリと肩を落とす美峰に私も同意する。身体が凝り固まっているのは皆同じだろう。私は首筋が痛い気がする。窓を見つめ続けたからかも。……原因は隣の二人なんだけど。


「既に皆身体バキバキだから、着いたら休憩だね。後藤も休まないと」


「そうさせて頂きます。……流石に疲れました」


「運転ありがとう、後藤」


 あちらに着いたら、後藤にお土産を買ってあげようと決めた。父様達にもいるよね。……少しの間だけど、余裕があって良かった。


「車から出たいようで出たくない……」


 智太郎の震えた声が耳に届き、振り返るとガックリと絶望を浮かべた智太郎がいた。


「雪掻きから解放されたのに、また、雪深い所だもんね。寒がりには辛いか……」


「除雪された所を歩くだけだから、いい」


「せっかくだから、少しゆっくりできるといいね」


 自分自身の言葉に、午後七時四十五分という期限が重くのしかかる。皆、和やかなこの時を過ごせるのは、今だから。空が暗くなるに連れて、私達は生死をかけた運命に導かれていくんだ。私はこのまま天灯の燈が目立たなければいい、と有限の時を噛み締めるように、窓の外に広がる空と大地を白に染め上げた世界に願った。



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