第五十四話 雪月夜の場所の名は
ちっとも、そんな話をして無かったはずなのに……いつの間に恋人同士になってたのか分からない。それとも、お互いが両想いなら自動的に恋人になるものなの!? 残念ながら、恋愛経験0の私には分からない。少なくとも、綾人と美峰の場合は違ったような気がするんだけど……。 罪も告げずに……こんな予定じゃ……! ぐるぐると頭の中が混乱している私に対し、智太郎は飽きれたように言い放つ。
「何でお前が、驚いてるんだ」
「何で智太郎は冷静なのよ……! 」
馬鹿、と呟くと智太郎は箸を置き、私の耳元で囁く。完全にフリーズした私に智太郎は告げる。
「黎映がそもそも何故ここに来たのか忘れたのか。伊月誠の裏切りによる婚約破棄の、謝罪だろ? あいつに付け入る隙なんて与えるな」
ああ、成程……そういう事……。私はようやく理解し始める。……残念というか……良かったのか。私は脱力感を覚えた。
「どうやらまだ照れがあるようでして」
乾いた笑いで誤魔化す智太郎を、私は遠い目で見つめる。そんな適当な演技で騙される訳……。
「初々しいですね……! 憧れます……! 」
騙されてる! 黎映は面紗の下の瞳をキラキラとこちらに向けていた。伊月誠が当主になるまで、自由が無かったと言っていたから、私と同じで黎映も世間知らずらしい。悪徳商法にはご注意を……! と黎映に、心の内で
「そんな事より……黎映さんは」
智太郎の言葉に、黎映は首を横に振る。
「私の事は、千里と同じ様に黎映で結構です」
黎映は結局、千里と呼ぶのを止めないらしい。
智太郎は眉をぴくり、と不快そうに動かしつつも問う。
「黎映。俺は、お前の事を信用していない」
黎映は息が詰まったように、顔を顰めつつも……頷く。
智太郎が黎映を見つめる横顔は厳しいものだった。
「でしょうね……疑うのが道理だ」
「大ノ蛇栄螺堂に封印されていた大蛇と
黎映は面紗の下の瞳を伏せつつも、僅かに微笑んで答える。
「千里の守り人の智太郎なら、協力して頂けると思っておりました。……私が、鴉と千里を視たのは、古い時計塔の下でした。……その場所の名は、
「
後藤が険しい顔で告げる。
「癒刻温泉と言えば、雪景色が有名だったはず。……丁度、人が特に集まる時期だ」
智太郎も、後藤に同意する。
私も実際には見ていないけれど、写真で見た癒刻の景色は印象的だった。雪月夜の下、どこか郷愁を感じさせる温泉街が冠雪を被り、ぼうっと暖かく光る光景は幻想的だ。
温泉街を見下ろすのは、守るかのように聳える雪深い山と……瓦屋根を被る時計塔。珍しい木製の時計塔の足元は薄く雪が張り付いている。温泉街の間には暖かな光を反射する川が流れ、温泉街同士を繋ぐ赤い橋達の上には、氷柱を生やすガス燈が温泉街を飾るかのように続いていた。
温泉と時計、と聞いて奇妙な既視感を感じてしまう。先程の出来事は予知じみたものだった? いやいや、まさか偶然だ。私は予知能力など無い。
「それで、
「時計塔の針は、午後七時四十五分を指していました。日付は……正確には分かりませんが、私の未来視ははっきりとしたもの程、近い日付に実現します。恐らく、数日中かと」
智太郎に、黎映は俯きながら答える。
「明日にでも出発した方がいいな。……今日という可能性はあるのか」
「流石にそれはありません。……そんなに近ければ、私の右目が痛みに苛まれるでしょうから」
黎映は右目を押さえる。
未来視で視た時が近づく度……痛みに苦しんできたのだろう。この世を呪っていた、と私に告げた原因の一つでもあるはずだ。
「私は人々に被害が出ないように、術式を込めた札を作ります。強力な物がいるでしょうな。……黎映殿、お力添え頂けますか」
後藤が黎映に視線を送ると、黎映は頷く。
「勿論です。札は広範囲に必要でしょうから……
黎映の面紗の奥、赤と白の瞳から強い意志を感じる。人を守る意志は、家門が違えど同じだと共感した。
「分かったわ、お願い黎映。……私も父様に話す事があるから」
「千里様。翔星様には言伝を致しましたが……千里様からもお話して頂いた方が宜しいかと」
後藤は唇を結ぶ。
父様は一応納得はしたが、私の意志を再確認したい。そう言ったところだろうか。
「ありがとう、後藤。私からも父様に話してみる……けど」
「どうした? 」
智太郎が怪訝そうに私を振り返る。
いや、大した事じゃないんだけど。
「……全部食べてからでいいよね? 」
小首を傾げて恐る恐る聞いてみる。肉豆腐と大根の煮物は完食したけど、根菜のきんぴらはまだだった。癖になるし、好きだから残したくない……。
「……早くしろ」
がっくりと肩を落とした智太郎の皿の中身は既に無くなっていた。
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