第三十二話 鬼
花瓶に生けられた青い牡丹は夢に見たよりも、鮮やかに深い色に感じる。
こうして目の前で見てみると、思っていたよりも大きく感じる。
葉と花びらが薄くて繊細だ。
「青ノ鬼の過去を視てもらえれば、智太郎を助けられるヒントがあるかも知れない。……智太郎まで助けられないのは嫌だから」
綾人が唇を噛み、俯く。
「この青い牡丹は、弐混神社で初代から大切に育てられている花です。青ノ鬼を鬼憑りする時もこの花を使って行います。青ノ鬼の過去夢を視る事が出来るかもしれません」
玲香が僅かに躊躇った後、真っ直ぐに見つめる。
その目尻が僅かに赤いのと過去夢という言葉で、総一郎から、雨有が生きていた事を聞いたのだと確信した。
「玲香さん……私、雨有さんの過去を視ました。彼は過去夢の能力を持っていたんですね。……私の能力は鴉から与えられたものです。おそらくは私の過去夢は元々雨有さんの物」
玲香はどう思うだろう。
綾人は私を責めることは無かったが。
玲香の唇がわずかに震える。
「貴方も夢で視たかもしれませんが、雨有は自分の能力に苦しんでいました。私達では雨有を救うことは出来なかった。だから、雨有はきっと、能力から解放されて良かったのだと思います。むしろ私は心配です、いつか貴方が雨有のように過去の記憶に苦しめられないか」
私は、過去夢を自覚した両親の死から始まり、雨有の日常を覆い尽くす程になった、過去夢の苦しみを視た。
いつかあんな風に私がならないと、誰が確約してくれるだろう?
「今のところは、大丈夫です。コントロールできてるとは言い難いですが」
「俺の手は離さないでおけ。何かあればすぐに中断できるように」
もし、私が過去夢を解きたくなれば、
そう思うと安心することができた。
「分かった」
私は微笑んで頷く。
あたたかい体温はきっと私を支えてくれる。
「無理はしないでね」
心配そうに見つめる美峰に頷く。
「大丈夫。皆がいてくれるから」
私は青い牡丹に手を伸ばす。
思えば、自ら過去夢を視るのは初めてだ。
(……来て)
あの金の光は私を導いてくれるだろうか?
内心焦燥感に駆られながら青い牡丹に触れる。
植物特有の僅かにひんやりした感触に心臓が高鳴る。
その時、視界の端にあの金の光がちらつき、ほっとする。
来てくれた、と安心したのもつかの間……視界に青が急速に染みていく。
こちらを見つめる智太郎の顔も見えなくなっていく。
いつしか青い牡丹が視界いっぱいに咲き誇り、私は青い牡丹に覆われた空間の中、あの金の光に手を伸ばしていた。
―*―*―*―《 過去夢 展開 》―*―*―*――
「人間と生きたい? 正気か、貴様」
私は気がつくと、囲炉裏の炎の横、会話をする男二人の記憶を視ていた。
声の主に角が二本生えているのを理解すると、ぎょっとした。
それだけでは無い。
強く輝く赤い瞳の男には何故か覚えがある。
翔に似ているのだ。
この妖が、青ノ鬼に違いない。
だが、はっきりと確信するには、何故か違和感がある。
理由は分からないが……美峰に鬼憑りした存在とは、何かが
「しかも、人間共に『
鬼は舌打ちをし、忌々しい、と吐き捨てる。
「私も妖と人が無闇に殺し合うのは無意味だと思っている。だからこそ、
そう鬼に言ったのは聞き覚えのある声。
深い黒の髪と瞳に、背には同じく黒い翼……黒曜だった。
私は驚愕した。
何故青ノ鬼と一緒にいるのか。
「違う。そもそもそこからお前とは考えが違うのだ。人間は
「己穂を説得すれば、きっと人間達も争いは無意味だと気づくはずだ」
「説得など無意味だ! あの女の首をとれば良いのだ! ……やはりお前とは相容れない。戦いを共にした仲だったが、ここまでだろう」
鬼は首を横に振り項垂れる。
黒曜は僅かに口を結ぶと、部屋を出ていく。
きっとこの時代は、かつて妖が跋扈し人間を堂々と食らっていた時代。
桂花宮初代当主の手記にあった、妖と人との戦乱の時代なのだろう。
雨有の記憶でも、黒曜はその名を口にしていた。
疑問に思うのもつかの間、視界は血塗られた戦場に変わる。
折れた槍や甲冑の残骸と共に、人間や妖の死体が重なる光景が延々と続いている。
特に人間の死体の欠損は激しく、手足を残して食い尽くされたと思われるものもあった。
人間を喰らっている妖の頭部を吹き飛ばしたのだろう。
頭のない妖の死体の下に、腹を喰われた人間の死体が重なっていた。
私は気分が悪くなり、思わず瞼を閉じたくなったが、視界は閉ざされない。
頭のない妖の死体を踏み、誰かが進む。
それは先程の鬼だった。
身体に矢が刺さっている。
無くなった右目を押さえた手に、血が伝っている。
遠く後ろから、人間達の怒鳴り声がする。
「この俺が……人間なんぞに……」
人間達の声はだんだんと近くなっていく。
鬼を追ってきているのだ。
やがて鬼は、森の中に逃げ込むと、人間達の怒鳴り声は離れていく。
鬼は木を支えに力なくしゃがみ込む。
「これが俺の最期か……」
鬼は苦笑し、目を閉ざそうとする。
鈴の音がする。
鬼の前に、見覚えのある瑠璃色の千早を羽織った誰かが現れる。
木漏れ日の中、鬼を見下ろす彼女は……私が綾人の夢で視た女性だった。
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