第143話 バランス

 直史は高速で回転する独楽に似ている。

 一見すると動いていないように静かだが、実はその運動量は多く、それによってバランスを取っている。

 三回の裏、傾きかけた流れを、あっさりと元に戻す。

 既にリードしている状態からは、どちらにも天秤を傾けたくない。

 ひたすら波を立てず、凪の中で試合を進行させる。

 それが直史のピッチングである。


 同じ圧倒的なピッチングでも、武史などには躍動感がある。

 なので試合も、相手が同じような支配的なピッチャーでない限り、ちゃんと味方が点を取ってくれる。

(……明日まで先発してきたりしないよな?)

 素直に直史との対決は回避したい武史である。

 何せ彼も、まだMLBにおいては、無敗の記録を持っているのだから。


 四回の表も、ウィッツは慎重に投げて無失点に抑えた。

 常識的に考えて、この試合が彼は、今年最後の登板である。

 そして契約も、今年で切れる。

 ジュニアと違って、このポストシーズンの試合さえも、次の契約の交渉材料になるのだ。


 そして四回の裏、メトロズの先頭打者は大介。

 ここいらあたりで一つ、ノーヒットノーランは消しておきたい、と普通なら考える。

 だが大介は、そんな安い考えは持っていない。

 狙うのはホームランである。

 それぐらいの気迫がないと、直史にプレッシャーを与えることは出来ない。


 第一打席は上下左右、どちらかにある程度ずれていれば、それで長打になっていたぐらいの打球であった。

 しかしホームランを打てなかった時点で、大介としては敗北なのである。

 なぜなら大介が、ホームランを狙っていたからだ。

 自分の理想とするバッティングをしなければ、直史には勝てない。

 思い込みと言われればそこまでかもしれないが、思い込んで己を追い込む。

 そんな大介に投げられた、第二打席の初球。

 大きく曲がるカーブが、完全にワンバウンドして樋口のミットに入った。


 直史にしては、コントロールがアバウトだ。

 アバウトな次には、シリアスで来るのか。

 投げられたボールは、遅い。

 カーブだ。だがこれは、おそらく外いっぱい。

 大介は振ることはなく、ストライクと判定された。


 追い込まれるまでは、微妙な球には手を出す必要はない。

 ホームランに出来るなら、微妙な球でも手を出していいのだが。

 外いっぱいのカーブで、しかも球速は遅い。

 これでは打っても、ホームランにはならないだろう。


 遅い球を二つ続けた。

 カウントはまだ追い込まれていないが、決めにくる可能性はある。

 基本的には、ヒットを打たれるぐらいは許容しているのだ。

 直史と樋口の戦略は、最終的に試合に勝つこと。

 大介を抑えた上で、試合に勝つことではない。


 ゴロを打たせるボールが来るのか。

 そう思っていたが、リリースされた瞬間の軌道は、真ん中近くに入ってくるもの。

 だがそこからさらに一瞬先には、外に逃げていくボールだと分かる。

 ツーシームかと思ったが、球速があるのに大きく変化する。

 高速シンカーだな、と分かった上で大介は空振りした。


 これでストライク先行になってしまった。

 そして外に投げた以上、次は内角を攻めてくるのか。

(さて、どうするか)

 そこそこ速いのに、大きく変化するシンカーを使ってきた。

 沈むボールの次は、伸びるボールを使ってきそうではある。

 ストレートを厳しく投げてくるか、それともスルーを使ってくるか。

 ここで一番困るのは、スルーチェンジを投げられることだろうか。

(でもまだボール球を投げることも出来るんだよな)

 そう思っていたところの四球目は、まさにインコース。

 そしてこれは、珍しくも縦のスライダー。

 大介はこれを、軽く振ってカットした。

 カットではなく本来は、スタンドに叩き込んでやりたかったのだが。


 インローのボールを投げたのだから、次はアウトハイか。

 高めのストレートが来る可能性を、大介は意識する。

 しかし五球目、直史の投げたのはスローカーブ。

 外いっぱいのそのカーブを、大介はカットする。


 ホームランに出来るようなボールを、このバッテリーは投げてこない。

 だがそれでも、大介は打っていく。

 カットし続ければ、もっと際どい球で勝負せざるをえなくなる。

 ゾーンの中に入ってくる、おそらくはストレートかスルー。

 スローカーブの後なら、そういったボールはより効果的になる。


 そして第六球。

 直史が投げたのは、今度ははっきりゾーンに入ると分かるカーブ。

 大介はスイングのトップを作り、しっかりと力をためる。

 これなら打てるか、と思ったのにボールが来ない。

(超スローカーブ!?)

 まさにそうであるのだが、大介は前のボールの、速度を確認していなかった。

 スローカーブにしては、ほんの少し早めであったことに気付いていなかった。


 リリースされたボールの角度を考えて、スローカーブだと判断する。

 だがそのタイミングは、大介の思っていたよりもさらに遅い。

 力が逃げていく。

 これはとても当てるだけで、スタンドはおろかヒットにもならない。

 カットするべく当てたボールは、ほぼ真上に上がってしまった。

 キャッチャーフライで、無難なアウトであった。




 二打席目は完全に大介の負けである。

 散々MLBの100マイルオーバーを打ってきた大介でも、タイミングさえ外されれば、80マイル以下でも抑えられるのだ。

 ホームランどころか、今のはヒット性の打球ですらない。

 単打まではいいと抑える直史にしては、あれは完全に打ち取る組み立てだ。

 樋口の組み立てであろうか。


 去年と今年、直史の手強さはどちらが上であるか。

 正直なところ、大介はどちらとも判定出来ない。

 キャッチャーが変わったことによって、そのピッチング内容には変化があるとは思う。

 安定感だけなら、今年の方が確かに上だろう。


 だがワールドシリーズの勝負で必要なのは、安定感ではなく爆発力なのだ。

「あと一打席か」

 最低でもあと一打席、大介には回ってくる。

 だがそこでホームランを打てても、おそらくアナハイムには届かない。

 もし明日の試合、最終戦で勝てたとしても、直史が三勝したとしたら。

 それはもう、負けたチームからMVPを出しても、いいような珍事ではないだろうか。


 シュミットにペレスも、直史を打てない。

 スクリーンや実際のボールを見て、直史のフォームをチェックする。

 直史が優れているのは、正しいフォームでいくらでも投げられるということ。

 そしてフォームをあえて崩しても、微調整してストライクに投げてくるということだ。


 コントロールの鬼は、簡単そうにメトロズ打線を封じていく。

 もちろん実際には、簡単なわけはない。

 凄まじいまでの計算を頭の中でしているのだろうが、それをダブルチェックするのが樋口だ。

 坂本は計略を考えるのには向いていても、あくまで機略に長けたもの。

 樋口の場合は計算で、統計も用いてコンビネーションを考える。




 五回の表は、アナハイムがまた攻めてくる。

 先頭打者は打ち取ったものの、アレクがバントヒットを成功させたのだ。

 ファーストの横であるのは、おそらくサード方向であれば、大介がダッシュでアウトにすると思ったからか。

 さすがにあの絶妙の転がし方では、大介でもアウトには出来なかったと思うが。


 そしてバッターボックスには、今日もしっかりと出塁している樋口。

 ただこの打席では、懐に飛び込んできた球を、しっかりと打ち返した。

(ワンナウト一二塁で、そしてこいつか)

 ショートの位置から、大介はターナーを眺める。

 アナハイム打線の中では、ナンバーワンの長打力を持つスラッガーである。


 大介が、そしてブリアンが登場したことで、ターナーの打撃成績はさほど注目もされていない。

 だが去年ブレイクしたこのターナーは、リーグでも三番目ぐらいのバッターとは言ってもいいのだ。

 厄介なのは、やはりアレクであり、勝負強いのは樋口であろう。

 しかし純粋に、一番恐ろしいのはやはりこのバッターなのだ。


 しかも右打者だけに、ウィッツの変則的なボールも、さほど苦手には思わない。

(ピンチではあるけど、交代するにもなあ)

 武史は今から準備しても絶対に間に合わないし、ここで三振を取れるようなピッチャーは他にいるのか。

 やはりここはとにかく、ゴロを打たせるしかないだろう。

 低めに集めて、あわよくばダブルプレイを。

 大介は打球の具合によって、自分の行うべきプレイを確認する。


 しかしウィッツは結局、ターナーを歩かせてしまった。

 これで満塁で、四番のシュタイナーである。

(ターナーよりはいいんだろうけど)

 左バッターということもあり、ここで勝負すると判断したのか。

 しかしキャッチャーのパスボールでも一点が入る三塁にランナーを進めたのは、さすがにまずいのではないか。


 内野ゴロでアウトを取るという点では、確かに満塁の方が守りやすい。

 だがホームランが出れば、確実にこの試合は決まってしまう。

 いや、そうでもないのか。

 一点でも取られれば、おそらくその時点でこの試合は決まる。

 直史から三点を取るのは無理だ。

 それこそ天候不順で、ボールが滑りでもしない限り。

 残念ながら今日も明日も、ニューヨークの降水確率は10%までである。


 なんとか一点までに抑えれば、アナハイムも直史を簡単には交代させられないか。

 大介はそんなことを考えていたが、まさにそういうプレイが起こった。

 シュタイナーの打った打球は、センター方向に飛んで行く。

 三塁のアレクは、完全にタッチアップの準備。

 だが二塁の樋口と、一塁のターナーは、動けるかどうかが微妙なのだ。


 まだワンナウトなので、スタートを切ることが出来ない。

 しかし落としたら一気に二点目というわけで、樋口はハーフウェイまでは進んでいる。

 だが結局、センターが追いついてキャッチ。

 アレクはスタートを切り、樋口は二塁に戻る。

 ここから三塁へのタッチアップを狙っても、中継がボールを止めて、挟まれてしまうだけである。


 三点目が入った。

 そしてランナーは、ツーアウトながらまだ一二塁。

 五番以降もアナハイムは、それなりの長打力を持つバッターが揃っている。

 ほぼホームランが期待できないのは、八番と九番くらいだ。

(三点差か)

 ミーティングにおいて言われた、この二試合を通じて、アナハイムに勝つということ。

 たとえ今日は直史に抑えられても、粘って球数を投げさせる。

 そして球数以上に、直史に消耗を強いる。

 これが少しでも出来ているのは、今のところ大介しかいない。


 試合はおそらく、これで決まった。

 だがワールドシリーズという舞台の中では、残りのイニングも消化するというわけにはいかない。

 直史以外であれば、三点差はまだ安全圏内ではない。

 しかしさらに点を取られるならば?


 幸いにもこの回も、ランナーは残塁でスリーアウト。

 アナハイムは本当に、タッチアップでの点を取るのが上手い。

 このあたりの攻撃においては、アナハイム首脳陣はいい作戦を立てている。

 ただピッチャーの運用では、結果的に失敗をしているわけだが。




 アナハイムは確かに、優位に試合を進めている。

 だが出したランナーの数に比べれば、得点は少ないとさえ言えるのだ。

 おそらくアナハイム側は、アレクには第五打席まで回ってくるだろう。

 五回までを投げて三点というウィッツは、どうにか及第点とも言えるだろうに。


 この先は継投が重要になる。 

 大介がそう思っている間に、五回の裏のメトロズの攻撃は終わっていた。

 ウィッツはまだ投げるのかな、と大介は思っていたが、その通りで六回の表もウィッツがマウンドに登る。

 おそらくこの回までだろう。

 そして負けてはいても、メトロズは勝ちパターンのピッチャーをつぎ込んでいく。

 リリーフ陣は明日も投げるとしても、連投だけで済む。

 何より明日の先発の武史は、150球ぐらいならば平気で投げるのだ。


 六回の表、ウィッツは三者凡退で終えることが出来た。

 ランナーは大量に出したが、それでも六回三失点で、クオリティスタートではある。

 さてこの六回の裏、メトロズの下位打線はどうするか。


 基本的に追い込まれるまでは、直史のボールには手を出さない。

 消極的な作戦であり、統計的には間違っている作戦だ。

 だが少しでも直史を、消耗させようというのは分かる。

 もっとも追い込んだら、あっさりと打たせて取るのが直史である。

 この六回もまた、一人のランナーも出ずに終わり、いよいよ試合は終盤戦に入る。


 七回の裏は、大介の三打席目から始まる。

 しかしその前の七回の表には、アナハイムはまた上位打線に回るのだ。

 もしもここでさらに追加点を取られたら、直史は七回でマウンドを降りるかもしれない。

 明日も投げることを考えれば、それは当然の選択である。


 アナハイムに追加点をやってはいけない。

 メトロズの七回は、ベテランのバニングが、マウンドに登った。

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