七章 究極と至高
第128話 予感
※ 七章は基本的にAL編が前編、NL編が後編となります。
×××
おそらくこの試合は、ロースコアゲームになる。
そんなことを言ったら誰であっても「当たり前のことを何言ってんだ?」という視線を向けられるだろう。
ただある程度の見識があれば、2-1か3-1あたりでアナハイムが勝利するのでは、と予想できる人間はいただろう。
いや、アナハイムは一点も取られないだろうと、いつの間にか西海岸に増えていたナオフミストは、強く主張したかもしれないが。
実はネットにおいては、既にそう強烈に猛烈に主張しているナオフミストが出没している。
なぜか英語は翻訳ソフトをかませたような文章で、同じIDで日本語で日本のSNSなどを徘徊しているかもしれないが。
ジュニアが頑張って、どれぐらいのことが可能になるだろうか。
アナハイムの打線は、今季の平均得点が、レギュラーシーズンでは5.59であった。
ジュニアは平均よりもいいピッチャーではあるが、それでもハワードやスレイダー、ハーパーといった選手よりは格下だ。
ただ野球は打球がどう飛ぶかで、点が入ったり入らなかったりする。
ある程度運の要素はあるのだ。
ただ、直史はよほど運が悪くない限り、無失点に抑えるピッチャーだとも思われている。
本人はかなり運が良くないと、大介周りでは点を取られると考えているのだが。
(一回の表はなんとか無失点にしてほしいな)
そう考えてショートを守っている大介は、実のところまだ迷いがある。
自分一人で点を取っていくべきなのかどうか。
去年のことを思えば、当然ながら一人でどうにかするべきだ。
とりあえずパーフェクトを潰しておくとか、最初の打席はリードオフマンに徹するとか、そういった後ろ向きな考えはいらない。
自分一人で打って、自分一人で点を取る。
直史が本気になれば、シュミットも三振か内野フライに打ち取ると、それぐらいの覚悟を持っていないといけない。
(ただ、こいつがなあ)
アナハイムの先頭打者アレク。
高校時代からの先輩後輩であり、NPB時代は日本シリーズでも対戦している。
MLBでは中距離打者の印象が強いが、NPBでは30本打ったシーズンもあるのだ。
30本打つ選手が、一番バッターをやっていた。
あの頃のジャガースが強かったのは、それが許されていたからであろう。
チームの育成環境よりも、選手起用がMLBに近く効率的であった。
ただ首脳陣が変わってからここのところ、また弱くなっているが。
最近は主力の流出も多かったため、仕方のない部分も大きい。
ショートに打ってくれば、絶対にアウトにしてやる。
そう思う大介は、ほんのわずかな前傾姿勢で守る。
ゴロを打ってくるなら、確実にキャッチする。
頭の上を越えるような球でも、ジャンプして取ってやろう。
しかしアレクは初球を打って、ボールはサードの頭を越え、三塁線に近いところに落ちる。
先頭打者として、厄介な相手を出してしまった。
ランナーとしてのアレクは、盗塁もしっかりと決めてくるのだ。
走ってくるかな、と大介は考える。
二番打者は樋口で、こいつも厄介なバッターである。
打つ気配を見せずに、バッターボックスでは力を抜いて立つ。
絶対にその気になれば、もっとヒットを打てるはずだと大介は確信している。
そしてその打たなければいけない時には、確実に打ってくるバッターでもある。
長い甲子園の歴史の中で、決勝で逆転サヨナラホームランを打った唯一のバッター。
またプロ入り以降も決定的な場面で、決勝打を打つことが多い。
(でもここはまだ、そういう場面じゃないよな?)
そう思っていたところ、ジュニアのボールに素直に合わせたスイングをしてきた。
軽くあわせて、レフト前に落ちるような。
だがサードはともかく、ショートの大介なら追いつくか。
おそらくMLBの選手の中で、最も短距離のダッシュ力に優れた大介。
だがそれでもさすがに、そんなボールはキャッチ出来なかった。
これでノーアウト一二塁。
アナハイムの打点王にしてホームラン王の、ターナーを迎える。
相手のピッチャーが直史であるならば、出来ればこちらも無失点に抑えてほしい。
無茶なことを言っているのは分かるが、それぐらいの覚悟をもって投げていたのが、NPB時代の真田であるのだ。
今年の日本シリーズはもう終わっているが、真田もよく頑張ったものである。
上杉が周囲を巻き込んで限界以上の力を出させなければ、今年こそ沢村賞を取れたかもしれないが。
メトロズには真田とほぼ同レベルの、武史がいる。
その武史に、中二日で投げろというのは、さすがに無茶だと大介も思った。
ベンチで聞かされた予定は、中五日の第三戦に投げるということ。
アナハイムのピッチャーはスターンバックとヴィエラ、そしてレナードあたりまでが厄介だが、リリーフはやや弱いところがある。
ただ、直史を打たずに勝って、それでワールドチャンピオンと名乗れるのか。
(あいつのことだから、下手すれば第六戦と第七戦、連投してくるぞ)
過去に実績があるので、荒唐無稽とは言えない。
アナハイムは三番のターナーが、これまたレフト前へのヒット。
微妙な打球で二塁のアレクがホームまでは帰らなかったものの、ノーアウト満塁。
「なんだこりゃ……」
大介も思わず呟いてしまったが、こんなことがワールドシリーズの第一戦にあるのか。
アナハイムのピッチャーは直史だ。
一点でも取られてしまったら、九割がた負けるのではないか。
四打席勝負するとして、一点を取れるかどうか。
大介の前後が打ってくれていないと、それは分からない。
そして四番のシュタイナー。
ターナーが敬遠されても、このシュタイナーが確実に打点を稼ぐのが、アナハイムのスタイル。
ノーアウト満塁は、案外点が入らないとも言うが、それはMLBのバッター相手には当てはまらない。
(内野ゴロでホームゲッツーならともかく、それはないだろうな)
こういう時に、確実に外野フライを打つのが、メジャーのスラッガーだ。
そして予想通りに、レフトへツーシームを掬い上げた。
やや深く守ったレフトが、キャッチしてからがメジャーのパワーとスピードの見せ所だ。
ライトに比べればやや肩の強さは必要ないと言われるレフトであるが、ホームにまで中継いらずのバックホーム返球。
だがそれよりも早く、アレクは滑り込んでホームベースを叩いた。
そして大介の視界の端では、三塁をうかがいながらも、樋口が二塁に戻れる位置にいた。
無理に三塁を狙わない、冷静な判断である。
続く五番は、またも左方向に打ってくる。
だがライナーの打球を大介が飛びついてキャッチし、まずはこれでツーアウト。
そして六番を今日初めての三振に取り、ようやくスリーアウト。
なんだかもう一試合が終わってしまった気もするが、ここからが反撃開始である。
ランナーを三人も出しながらも、一点しか取れなかったと思うべきか。
メトロズからすれば精神衛生的には、ランナーを三人も出しながら、一失点で済んだと思うべきなのだろう。
ただこの一点は、致命的な一点になりうる。
去年と今年、メトロズは直史から一点も取れていない。
ただ直史から一点を取ること自体、ほとんどの人間が出来ていないわけだが。
去年の自分は間違っていたと、今の大介は分かっている。
プロ入り後の直史の失点を見れば、そのほとんどがソロホームランであるのだ。
あとはエラーに運の悪い内野安打が絡んだ時ぐらい。
去年のワールドシリーズ、大介はそれなりに直史からヒットを打った。
だが点は一点も入っていない。
つまりホームランを打たなければ、得点にはならないのだ。
そして一点でも取らなければ、野球の試合には勝てない。
一回の表で既に、一点を取られている。
この裏でなんとか、取り返すつもりの大介である。
(さて、考えていたらダメだよな)
大介が狙うのは、とにかくホームランのみ。
後ろに頼れるチームメイトがいるなどとは、この対戦に限っては考えてはいけない。
直史と樋口であれば、どんな状況からでも無失点にもっていっておかしくない。
もっとも大介はFMからは、なんとしてでもまず塁に出ろ、と言われているが。
それでは意味がないのだ。
初柴、西郷、織田、ブリアン。
中距離打者にスラッガーと、それぞれに共通しているのは、打率も高いバッターであること。
確実に狙って、確実に運ぶ。
パワーだけではおそらく、スタンドまでは届かない。
初球からどうやって投げてくるか。
無心で立つ大介に対して、投げられたのはカーブであった。
遅いカーブではなく、落差と速度で圧倒するパワーカーブ。
キャッチされた位置が低かったため、ボールと判定される。
これは上手く当てたとしても、ホームランにするには難しい。
体にホームランを打つことを命令し、あとは自分の感覚に任せる。
どれだけ自分を信じられるかで、打てるかどうかは決まる。
二球目はストレートが、アウトローに投げられた。
無理に打っていけば、あるいはこれも打てたのだろう。
だがボール球には、体が反応しなかった。
これでカウントはツーボール。
ボール先行ともなれば、また逃げるのかと思うのが普段の大介だ。
だがそれはない。直史は逃げない。
合理的な選択をするなら、大介を敬遠した方が、圧倒的に有利な状況もあるはずだ。
しかし直史が対決を選ぶのは、大介としては自分が圧倒的に有利な状況だと分かっている。
勝負をしてもらうだけで、大介には有利なのだ。
それが分かっているならば、ホームランぐらいは打っていないといけないのだ。
(歩かされても俺の負け)
そう考えていた大介の内角に、カットボールが入ってくる。
コースはボール球だが、バットの届く範囲内。
大介は体を開いて打っていったが、打球はライトのファールスタンドへ。
タイミングが全く合っていない。
今のカットボールは遅かった。
つまり次は、速いボールが来るのか?
(フォーシームストレート……)
最後には力勝負を選択することもあると、大介はもう分かっている。
そう考えていたところに、投げられたこれはスルーか。
体は自然と動いていた。
だがそれでも、前の球の感覚が、自分自身を騙していた。
バットはボールを捉えるが、わずかにミートポイントが後ろだ。
これはホームランにはならない。
(するんじゃ!)
振りぬいたボールは、ライナー性の弾道で外野にまで飛んでいく。
アレクが追いかけてグラブを伸ばすが、わずかにその先。
フェンスに直撃し、大介は一塁を蹴っている。
そしてスタンディングダブルで、二塁にまで到達していた。
一回の裏、いきない直史は、パーフェクトもノーヒットノーランも途切れた。
そして四球も費やして、それなのに打ち取ることが出来なかった。
スルーで詰まらせることは、おそらく狙い通りの配球であったろうに。
二塁ベース上で、大介は直史の様子を窺う。
だがその顔にはどんな感情の色も浮かばず、ただ樋口と頷きあうだけであった。
打たされた。
フェンス直撃のツーベースを打って、打たされたと言うのも不思議なことだろう。
スタンドは盛り上がっているし、ベンチも満足した顔をしている。
アナハイムのベンチでは、苦々しい顔をしている選手もいる。
だがバッテリーと大介は、この勝負が玉虫色だと分かっていた。
これがどちらの勝利であったかなど、今の段階では分からない。
しかしそれはすぐに明らかになるだろう。
メトロズの二番のシュミットは、樋口に似たところがある。
そして樋口よりも、長打力には優れている。
大介は今年、303回レギュラーシーズンでホームベースを踏んだ。
そのうち自分のホームランが71回であるので、あとは後ろのバッターの頑張りによるものだ。
シュミットの役割の最低限は、大介を進塁させること。
つまりこの場合は、右方向に打つことを優先する。
上手く外野の手前に、ぽとんと落としてもいい。
前提として重要なのは、しっかりとミートした打球を打つことだ。
ただしそのあたりのことは、アナハイムバッテリーもしっかりと分かっていた。
シュミットに対しては、まずゆっくりとしたカーブから入ってくる。
打とうと思えば、これは打てるはずの球だったのだ。
だがシュミットは見送ってしまって、これがストライクとコールされた。
ボール球じゃないのか、とは思った。
確かにゾーンは通っているが、キャッチした位置が低い。
だがスピードが全くなかったため、確実にゾーンは通っていると判断されたのだ。
ならば打てば良かったのだ。しかしそれを見越して、アナハイムのバッテリーはこんな配球をしてきているのか。
次は打つと狙っていたところに、直史が投げたのはスルー。
大介と同じようにわずかに詰まったシュミットであるが、大介のように外野に持っていくことは出来ない。
セカンド正面の痛烈な当たりで、この打球をセカンドはファーストではなく、サードに投げた。
右方向の打球なので、大介はゴロと判断した瞬間、スタートを切っていたのだ。
キャッチだけではなく、タッチも必要なアウトを取るためのプレイ。
難しいこのプレイは失敗したら間違いなく大ピンチを招くことになる。
だが守備職人のセカンドの判断は、間違っていなかった。
大介はサードでアウトになって、そのボールはファーストに送られる。
シュミットも必死で走って、かろうじて一塁はセーフになった。
なんだこれは、というおかしな展開が続いている。
いきなり一回の表からノーアウト満塁になって、直史が一回の先頭打者にヒットを打たれ、その俊足のランナーが進塁打のはずのゴロでアウトになっている。
判断がわずかに間違っていたのだが、普段は見られないようなプレイである。
「これで、あとは楽だな」
そう呟いた直史はゴロを打たせて、4-6-3のダブルプレイ。
結局三人で、この回の攻撃は終わったのであった。
初回から見所が多すぎる。
アナハイムの三連続安打と、そこからの犠牲フライでの先制点。
裏にはいきなり大介がフェンス直撃のツーベースを打って、そこから進塁打となりそうなゴロで逆にアウト。
一塁に残ったランナーはダブルプレイで、結局は三人で終わり。
三者凡退ではないが、結局直史の投げたのは、わずかに九球。
メトロズのベンチでは、FMが頭を悩ませているだろう。
波乱に満ちたワールドシリーズ第一戦。
一応はアナハイムの有利で、その序盤は始まった。
※ AL編129話に続く。
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