第116話 怪物の領域

 マイアミとのカード、メトロズは勝ち続ける。

 ウィッツ、オットー、スタントンの三人で三連勝。

 メトロズはその勝利数を、122勝へと伸ばした。

 もはやこの領域に、到達するものはいないだろう。

 マイアミ陣営のアウェイであったにもかかわらず、三試合は盛り上がった。

 そして大介の記録も伸びている。


 残るは10試合。

 ホームラン記録はおそらく更新不可能で、盗塁は自己記録は更新の可能性あり。

 得点はおそらく更新可能で、打点は明らかに無理。

 フォアボールは微妙だが、おそらく敬遠数は更新する。

 日米通算ならば、恐ろしい記録になりつつある。

 しかもこれだけの記録を残しながら、今年は全てスタメンで出場している。


 だいたいプロに入った選手が最初に痛感するのは、プロとの体力差である。

 そしてNPBからMLBに来ても、体力というかタフネスさは、かなりの問題となる。

 実際にはちゃんと節制していれば、どうにかなるのは直史が証明している。

 競技の中で重要なのは、トレーニング、練習、栄養補給、そして休養である。

 直史はこの中の休養に、最も重点を置いていた。

 そしてウエイトトレーニングは基本的にしない。


 ちなみに大介や武史は、トレーナーの指示を取捨選択して、それなりにやっている。

 だが大介も武史も、そもそも直すべき点がほとんどないのだ。

 むしろ二人のNPB時代、SBCで受けていたsトレーニングの方が、よほど進んでいたりする。

(さすがと言うかなんと言うか)

 SBCのそれぞれの選手に合わせたプログラムを、もう少し一般化したもの。

 それが現在のMLBのトレーニングになっている。


 武史の場合は必要なのは、とにかくインナーマッスルだ。

 そして下半身の蹴り出しを、上手くリリースまで伝えること。

 アメリカ人は上半身だけで投げるというが、別にそんなことはない。

 そもそも上半身を支えるために、より大きな筋肉を持っている下半身。

 これを上手く使わなければ、バッティングもピッチングも、最終的なパワーにはつながらない。


 トラックマンを使うことによって、気付いたこともある。

 去年上杉は、メトロズに所属していた。

 なのでそのピッチングと、武史のピッチングを比較することが出来る。

 基本的に上杉のボールの方が、スピードは出ていたのは間違いない。

 ただスピン量はやや武史の方が上で、回転軸もより地面とは並行になっていたのだ。


 サウスポーから投げるので、角度が一般より違って見えるのもある。

 武史のボールは、ホップ成分が上杉よりも高かったのだ。

 スピードの落ちた上杉は、ホップ量も武史は低い。

 だが武史よりも防御率などが上なのは、考えながら投げているから。

 読みと駆け引きという点では、まだまだ武史は及ばない。

 そもそもそういったものが、武史は必要としてこなかったのだが。




 ワシントンとの第一戦を、武史は先発する。

 マイアミから戻ったその日は休みで、次の日が試合であった。

 到着から即試合というものは、武史にとってはあまり気分がいいものではない。

 NPBのようにロースターとベンチ入りメンバーを別にして、ピッチャーはあまり移動しないようにしてほしいものだ。

(失敗したかなあ)

 体力的にはともかく、精神的にきつい。

 武史は正直なところ、もう日本に帰りたいと思っていた。


 五年契約などをしたが、QOL、つまり人生の充実度を上げるためには、日本にいた方がよかったなと思う。

 樋口が抜けたことで、レックスの選手の総年俸は、それなりに空いたはずなのだ。

 武史としてはアメリカに来たのも、流されてのこと。

 ただ一つだけ、しっかりと考えていることはある。

 一度ぐらいは兄である直史と、完全にガチンコの勝負をしてもいいかな、というものだ。


 高校時代の紅白戦では、それなりに対決することがあった。

 大学時代は直史は、あまり練習に出ていなかったので、そんな機会がなかった。

 あまり練習もしていないように見えるのに、圧倒的なパフォーマンスを見せられて、さぞ早稲谷の先輩や同級生は、苦々しい思いをしていただろうな、と武史は今更思い至る。

 そしてプロ入り後も、同じチームであったので、紅白戦ぐらいしか対決がない。


 レギュラーシーズンであった、たった一度の対決。

 武史に負け星はつかなかったが、結局のところ先に降ろされたことで、勝ったのは直史だと判断する方が正しい。

 もっとも他の人間から見れば、とてつもなく高いレベルでの、わずかな差となるのだろう。

 そしてその認識は正しい。

 絶対に埋まらないが、間違いなくほんのわずかの。

「そういやサイ・ヤング賞ってリーグから一人ずつ出るんだよなあ」

 試合中にのんびりと、そんなことまで言ったりしている。


 NPBの沢村賞は、両リーグを集めた中から、一人のピッチャーが選ばれる。

 この10年以上はずっと、セ・リーグからしか選ばれていない。

 それも上杉と佐藤兄弟だけで、ずっと独占している。

 そんな中で武史は、デビュー年と去年、二度獲得している。

 上杉のデビュー以来、沢村賞はほとんど上杉のもので、わずかに調子が悪かった年に、武史が獲得したのだ。

 そして次に他の誰かが獲得したのが、デビュー年の直史。

 上杉が故障したために、二年連続で直史が沢村賞を獲得。

 去年はその直史がいなかったため、またも武史が獲得。

 まるでメッシとクリロナがバロンドールを独占しあたかのように、三者においては沢村賞の独占が起こっている。

 いや、別に忖度などはなく、純粋にそう選ぶしかないという、成績を残されていたのだが。

 潰しあいをほとんど行わなくて済む、パのピッチャーが一度も選ばれていないあたり、投手の不均衡と呼ばれたりもした。


 長いMLBの歴史の中には、兄弟でサイ・ヤング賞を受賞したという選手もいる。

 だが同じ年に、それぞれ別のリーグで獲得したという事例はない。

 直史はもう獲得は確実だとして、武史はどうなのか。

 それもまた当然ながら、確実だと言っていいだろう。


 この試合の中でも、三振を奪うごとに、大きなざわめきがスタンドから聞こえる。

 過去の記録をはるかに更新し、前人未到の領域へと。

 毎回奪三振により、その数は500へと近づいていく。

 無理に三振を奪うつもりはないが、追い込んだら三振を奪いにいく。

 ストレートか、あるいはチェンジアップで。


 ストレートを完全に空振りするのはいいが、チェンジアップを空振りするのは嫌らしい。

 自分のバットを自分で叩き折って怒りを発散させているが、道具は大切に使おうと言われている日本人である武史には、嫌悪の対象でしかない。

(やっぱりノーヒットノーランは難しいけど、こいつら三振多いなあ)

 フルスイングが主流の現在において、MLBは三振が多くなる傾向にはある。

 パーフェクトを二回とノーヒットノーランを一回達成していて、それでも武史は別に誇ろうとはしない。

 直史の今年の成績が、あまりにも凄まじすぎるからだ。


 まるで大学時代の、相手を蹂躙すると言うよりは、リーグ全体を破壊するような。

 MLBにおいて直史のピッチングは、NPB時代よりも奪三振を少なくしながらも、平気でマダックスを記録していく。

 それに比べると武史は、あまりにも平凡に近い。

 どの口が言っているのだろうか。


 九回を完封し、わずか二安打に抑える。

 そして注目されていた奪三振は17個。

 合計が491個となり、500奪三振まであと9個。

 次の最後の登板で、おそらく達成できるだろうという数字になってきた。




 第二戦のジュニアは珍しく打線が噛み合わず、大介もホームランを打てなかった。

 リードしてリリーフにつないだのだが、そこで逆転される。

 アナハイムも負けていたので、勝率差が縮まることはない。

 だがこの時期に主力の先発が負けるというのは、あまりいい状況とは言えないだろう。


 第三戦のウィッツは勝利したが、大介のホームランは出ない。

 そして何より打率が、0.42を切ってしまった。

 ここから残った試合で、打率を上げることは出来るのか。

 出来るのだろう。だがそれは可能であるというだけで、実際に現実的かはあまり意味がない。

 だがそんな中で、大介の記録が更新された。

 それは敬遠記録である。


 去年の自身が達成してしまった、191敬遠。

 それを一日に三つの敬遠をもらって、193敬遠となった。

 193敬遠などというのはNPB時代なら打席の三分の一は潰されるというほどのもの。

 それだけ勝負を避けられながらも、ホームランを打っている。


 そして敬遠され、盗塁の数が100を超えていれば、それだけ得点の数は増える。

 シーズン291得点は、これまた去年の自分を更新するもの。

 だが残り七試合で、ホームランは69本。

 81本はおろか、一年目の自分の74本にも届かない可能性が高い。


 そしてメトロズのシティ・スタジアムにアトランタがやってくる。

 ダブルヘッダーを含んだ四連戦であるのだ。

 九月で色々なピッチャーを試すことが出来るので、幸いにもダブルヘッダーによるピッチャーの消耗はそれほどでもない。

「う~ん」

 PCの画面をいくら睨んでも、残り試合数が増えるはずもない。

 それを同じように見つめるツインズも、今年は色々と越えられない記録があるな、と思う次第である。


 メトロズという一つのチームに、投打の極みに近い、二人の選手がいる。

 これはほとんど他のチームにとっては、弱いものいじめと似たようなものなのではないか。

 ただこのメトロズに対し、対抗できそうなチームもあるのだ。

 同じリーグであればトローリーズが、これまた100勝をオーバーしている。

 そしてアナハイムは、ついに120勝に到達しようとしている。

 去年のメトロズは、アナハイムよりも多くの勝ち星を上げながら、ワールドチャンピオンに到達することはなかった。

 野球はチームスポーツであるというが、同時に先発ピッチャーの役割が最も重要なポジションでもあるのは間違いない。


 その直史が、一人で三勝したのだ。

 一人で三勝してしまうなど、尋常の技ではない。

 NPB時代の直史を知っていれば、それぐらいはするだろうな、と思ってしまうところだが。


 ニューヨークのメトロズファンのみならず、全米、全世界のベースボールファンは、色々と記録が達成されてしまう、今年のMLBが面白い。

 玄人受けするセイバーのスタッツではなく、明らかに誰もが分かる数字によって、その脅威が説明される。

 果たしてこの記録はどこまで伸びていくのか。

 記録が途切れるのはいったいいつになるのか。

 東海岸と西海岸で、とんでもない記録合戦が行われる。

 そして期待するのは、この両チームによるワールドシリーズでの決着だ。


 野球の不確実性を考えれば、他のチームが勝ち上がる可能性はある。

 だがそれでも運命は、この二つのチームを選ぶと思うのだ。




 九月下旬、まずはオットーとスタントンの投げる、ダブルヘッダーが行われる。

 昼の第一戦、大介はホームランが出ない。

 だがまたも敬遠されて、その数字が伸びていく。

 アトランタとしてはこのシーズン終盤も、勝率争いのために必死であるのだ。

 勝率を落とさなければいけないが、落としすぎるとサンディエゴあたりが追いついてくる可能性がある。

 第六シードになって、ボストンと対戦した方がいい。

 それがアトランタの考えである。


 もしも勝率が四位か五位になると、対決する相手はサンフランシスコ。

 そこで勝ったとしたら、メトロズと対戦する。

 今の戦力のままでは、ポストシーズンが短期決戦とは言え、メトロズに勝てるとは思えない。

 だがもしも全力のポストシーズンで、メトロズの主力に故障者が出たら。

 そしてトローリーズを倒して勢いに乗っていれば、メトロズに勝てるかもしれない。

 本当に勝てるかどうかは、そもそもトローリーズと戦う時点で、サンフランシスコに勝っていることが前提になる。

 どちらも強いチームであり、本当に勝てるのかは微妙なところだ。


 この二年、リーグチャンピオンシップはメトロズとトローリーズの二者によって行われている。

 それでもメトロズの打線の怖さは、同じ地区なので思い知ったアトランタである。

 わざと負ける。まさかこんなことをしなければいけないとは。

 もちろん選手の間には、こんなことは伝えていない。


 第一戦はメトロズの主砲大介は不発であったが、それでもメトロズが勝利した。

 そして夜には、第二戦が行われる。

 あと六試合で、どれだけのことが出来るのか。

 大介としては残り六試合では、フォアボールの記録も抜けないのではと思っている。


 レギュラーシーズンも終盤で、地区優勝も決まって、本来なら調整期間のはずなのだ。

 それなのに記録を求められて、マスコミの取材は多くなる。

「めんどくせーな」

 ベンチに座る大介は、野球自体は楽しんでいても、周辺が騒がしすぎるのには辟易していたの

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