第114話 記録尽くし
上杉が日本に戻った時、大介はとても失望したものだ。
確実に自分と互角以上に戦える、数少ないピッチャーの一人。
いや、上杉に勝った状況のことを考えていけば、いまだに上回っているとは言えない。
同じチームであったので、対戦の機会はなかった。
だがそれでもあの気配を感じているだけで、身の引き締まる思いがあったのだ。
MLBは巨大な組織であり、属する選手も日本よりもはるかに多い。
単純にマイナーのレベルでさえも、日本よりもはるかに分かれている。
NPBではようやく三軍を作るチームが増えてきたが、MLBの下部組織は、独立リーグを含まなくても一つの球団に対して10倍ほどは存在する。
これでも昔に比べれば、少なくなったほうなのだ。
それなのになかなか、傑出した存在は出てこない。
スポーツにおいては仕方のないことだが、自分のポジションを取るには誰かを引きずり降ろさなければいけないし、自分のポジションを守るために誰かを蹴落とさなければいけない。
日本においては根性論で、メンタル的に向いていない才能が潰れていく。
アメリカにおいては根性論はないが、ハングリー精神は日本よりも旺盛だ。
タフでなければ生きていけず、しかもそれが何度となく試される。
本来ならばもっと、輝く舞台に立つべき才能はいたのかもしれない。
自分が一歩間違えば、この人生からは外れていたであろうから、大介は強くそう思う。
スピードだけなら武史に匹敵するストレートを投げるピッチャーが、マイナーにいるという。
また高校生でありながら、103マイルを投げるピッチャーもいるのだとか。
それらがちゃんとMLBの舞台に上がってくれば、大介としても戦える相手が増える。
だがまずは後ろからやってきた、年下の日本人との決着をつけるべきだろう。
白石大介の弱点。
もちろん蓮池はそれを聞かされている。
だがそういった弱点は、備えていれば打てるものだ。
しかし現在のNPBでは最高の左のスライダー使いと言われる真田は、確かに甲子園では大介をほぼ封じている。
蓮池も高校入学時は、スライダーをメインの変化球として使っていた。
ただプロ入り後は毎年バージョンアップをするかバージョン変更をしていかないと、蓮池でも打たれてしまうレベルであったのだ。
ここでスライダーを投げるメリットは、リスクに見合ったものだろうか。
(どのみち、ムービング系は通用しないか)
高速スライダーを使って、大介を打ち取る。
メトロズ打線を封じておけば、点を取るのは打線の仕事だ。
それでも武史から点を取るのは、非常に難しいとは思うが。
プロになれば、割り切らなければいけない場面が色々と出てくる。
ここは打たれる危険性を考えてでも、大介に自分のスライダーが通用するか、試しておかなかればいけないだろう。
(七回二失点までなら、敗戦はピッチャーの責任じゃない)
そう考えた蓮池は、まずは外のボール球で視線を誘導する。
そしてスライダーを、当たる軌道から内角を攻めるように。
ゾーンから逃げていくスライダーは、その後に使うべきだ。
このボールに対して、大介がどう反応するか。
大介は間違いなく途中までは、自分の体に当たる軌道だと、ボールを見ていた。
だがボールの変化については、これまでの経験から当て勘が働く。
(カットじゃない)
カットボールならば、大介の体を狙ったデッドボール。
だからそれをバットで弾くのは、NPBでもMLBでも散々にやったことだ。
早めに体を開いたら、しっかりとボールの変化が見られる。
(バットはゆっくり)
変化したボールは、ちゃんとゾーンの内角に入っている。
つまり充分に打てる球だ。
こつん、という感触が体の中に残った。
パワーが上手く、バットを通してボールに伝わった証拠だ。
角度のついたボールはライトへ。
失速しない軌道のまま、スタンド最上段を超え、ライト側に設置されたスクリーンに激突した。
幸いにも破壊されることはなかったようだが。
スピードのある球を打てば、そこに反発力が生まれて遠くへも飛びやすい。
だが蓮池のスライダーは、高速スライダーではあるがそれでもスピード自体はそこまでではない。
ただボールにかかっているスピンの運動量を考えれば、やはりエネルギーは大きい。
大介としては久しぶりに、上手く打てたホームランだな、と思う次第である。
動揺した蓮池から、さらに一点を奪ったメトロズ。
だがあんなホームランを打たれて、どうにか立て直せる精神力もすごい。
(けっこう図太いんだなあ)
打たれ慣れている武史としては、そう思いながらマウンドに登る。
武史の防御率は、もちろん直史には及ばないが、1点台を切っている。
つまり二点も取ってもらったこの試合は、普通に投げても勝てるような試合だ。
ただし今季、一試合に二点取られている試合もある。
防御率はあくまで目安で、実際の数値はもっと偏っているのだ。
ヒューストンは打線の得点力もトップレベル。
やはりア・リーグは西地区からも、2チームが出てくるだろう。
アナハイムには5勝8敗で負け越しているが、それでも勝率の高さは余裕で五割を超える。
あとはシアトルが逆転する可能性を、どこまで残しているかだ。
戦力的にはヒューストンが上なのだが、シアトルは調子を上げてきている。
ただお互いにアナハイムとは、六試合ずつの対戦を残している。
あとはある程度の運がある。
アナハイムの先発ローテは、強さにある程度の差がある。
その強いところと当たりそうなのが、シアトルの方なのだ。
わずかながらヒューストンの方が、ピッチャーの弱いところと当たりやすい。
もっともそれはシアトルとヒューストンも、どれだけ強いピッチャーを当てられるかが関係してくるが。
それはともかく、まずは目の前の対決である。
蓮池との第二打席、大介はもうスライダーに対する警戒感はオフにする。
あれだけを狙っていれば、それは確かに打てるだろう。
だがそうすると他のボールを、確実に打っていくのが難しい。
あらゆるボールを想定した上で、あのスライダーもちゃんと打つ。
そこまでやってようやく、大介としては蓮池を攻略したと言えるだろう。
蓮池はスライダーの使い方を変えてきた。
空振りを取るための、逃げるスライダーだ。
一般的にはこちらの方が、失投してデッドボールになることは少ない。
しかし大介にとっては、内角に入ってくるスライダーの方が怖かった。
背中側から突然現れるように見えたものだ。
サウスポーのスライダーとしては、大介はいまだに真田以上のものに出会っていない。
スピードや変化量など、上回る部分を持つスライダーはあるのだが。
蓮池のスライダーに関しても、ボールに逃げていく球を、タイミングと角度をつけて弾き返す。
するとレフト線に沿ってボールは転がり、ツーベースの長打となった。
(プライドは高いけど、本多さんみたいな蛮勇はないか)
それはピッチャーとしては必要なことなのかもしれないが、蓮池があと一歩踏み込むのが足りないものでもあると思う。
蛮勇、無謀、根性論。
こういったものの反面教師として、正しいメンタルトレーニングがある。
だがその中でも、育ってくる者はいるのだ。
それを言い訳にして、芽吹かなかった数多くの才能をなかったことにするのは、別に野球だけの話ではない。
蓮池は冷静なピッチャーだった。
三打席目の大介とは勝負せずに、後続を絶つことが出来た。
だがその時点で既に、メトロズを相手に三失点。
先発としては充分な役割であるが、相手が悪かった。
序盤にランナーを許したものの、中盤からは無敵状態に入る。
武史もヒューストンの打線は警戒しているが、逃げるという選択肢はない。
ただ坂本が念を入れたリードをしたため、フォアボールを出してしまっている。
球数が多くなったので、八回で交代させようというのが、メトロズの方針となった。
それでも14奪三振というのが、今日の武史である。
七回までを投げた蓮池は、三失点。
対する武史を考えると、自分との差について考えてしまう。
確かに球速差はあるが、それだけではないだろう。
ナックルカーブとチェンジアップが、効果的な働きをしている。
プロ入り後に感じたことだが、蓮池は全力で毎試合を投げていては、体がもたない。
普段はある程度セーブしていて、必勝を求められたときにこそ全力を出す。
もっともこの試合は、全力でいっても勝てたかどうか。
メトロズ相手には、勝てないことは承知の上。
対戦するピッチャーのレベルも考えれば、ここは無理せずに戦力を温存すべきだ。
FMの指示を、ある程度蓮池は守った。
敬遠をしたことによって、七回三失点という結果が残せたのだろう。
ベンチに座って試合を見届けるが、これはいったいなんなのか。
(佐藤直史と白石大介が揃っていた時代にも、大阪光陰はほぼ互角レベルで戦うことが出来た)
蓮池は大阪光陰の監督である木下から、そう聞いている。
(だけど実際は一人もランナーは出せず、失点しなかったのもかなり運があってのことだ)
直史はいないが、武史と大介の組み合わせというのは、凶暴すぎるのではないか。
ライガースの場合も、大介、真田、西郷とそろっていたあたりは、かなり絶望的な戦力ではないかと思ったものだが。
おそらく今年もナ・リーグは、メトロズがリーグチャンピオンとなるだろう。
トローリーズなども強いが、メトロズは打線が強力すぎる。
平均的なピッチャーが、エース級の役割をなすほど、援護が大きいのだ。
去年はいなかった、絶対的なスーパーエースの存在。
ただそれでも大介は、アナハイムに勝つ確信などはない。
おそらく武史にもないであろう。
セイバーの手が動いていると、ツインズは言っていた。
おそらく彼女が計画しているのは、MLBが盛り上がることだ。
その後にどう動いて、彼女が利益を得るのか。
そこまではさすがにツインズも分からなかったと言うか、むしろたくさんの方法がありすぎるのだ。
それに彼女の最終目的も、はっきりとは分かっていない。
ヒューストンとの試合が終われば、次はフィラデルフィアに、シンシナティと地元での連戦が続く。
両チーム共に、もはやポストシーズンの可能性はなし。
それがむしろ良かったのか、ピッチャーもバッターも個人成績を伸ばしにくる。
つまりピッチャーは、大介と勝負をしたがったわけだ。
ここから大介のホームラン数が、飛躍的に伸びる。
勝負さえしてくれれば、普通に打ててしまうのだ。
二試合に一本どころか、これまでの鬱憤を晴らさせるような、一試合に一本のペース。
もちろん実際のところは、一試合に複数のホームランを打つこともある。
ただこういった打撃戦になると、ピッチャーのピッチングも雑になる。
味方が点を取ってくれるので、自分もそれに相応しいピッチングを。
そんなことを考えていると、逆にホームランを打たれたりするのだ。
フィラデルフィアもシンシナティも、ホームランの打てるバッターがいないわけではない。
ただし武史は、そんなことは関係なく、三振を奪いまくる。
試合の終盤で100球を超えても、武史のパワーは衰えない。
そしてそのスタミナは、シーズンを通しても失調することはなさそうだ。
ただ一試合あたりに、それなりのヒットを打たれてしまうことはある。
もっともホームランにまでは、そうそういたるものではない。
直史の異常さにばかり世間は引かれるかもしれないが、武史は三振を奪うだけではなく、直史と同じように今季は負けがない。
シンシナティに勝利した時点で、23勝0敗。
化け物の親玉が本当に化け物すぎるが、武史もまたレギュラーシーズン500奪三振が見えてきた。
残り三試合で、44奪三振を奪えるか。
ここまでの平均を考えると、充分に可能であると思う。
メトロズ首脳陣は、アナハイムとのゲーム差を考える。
同じ地区ではないものの、勝率の上下は決めなければいけない。
ウィッツとスタントンが黒星を喫したため、アナハイムとのゲーム差が3となった。
それでも残り試合数を考えれば、どうにか逃げ切れるとは思うのだが。
勝つことが最大の目的と言いながら、記録をアシストする必要もあるだろう。
九月に入ってからの大介は、既にホームランを九本打っている。
累計66本で、残りは18試合。
もしも二試合に一本打っていけば、75本にはなるわけだ。
そしてここにきて加速したホームラン数を考えれば、あるいは81本を超えるのではないか。
さすがにそれは厳しいとは思いつつも、大介のやることである。
ただし、もう一つの記録の方は、かなり難しくなってきた。
打率のシーズン記録の更新である。
0.420まで下がっている。
ホームランを打とうとして、野手正面への打球が増えたりしていた。
打率記録を抜けと、世間は期待していたかもしれない。
だが相手が勝負してくれば、それを打ち返すのが大介だ。
九月の出塁率が六割を切り、また相手チームは勝負を避けてくるかもしれない。
大介が考えるに、人間の打率の限界というのは、このあたりにあるのではないかと思う。
ポストシーズンになれば、さらに打率を高める怪物であるのに。
残り18試合となって、注意すべきはアトランタとの六試合だろうか。
アナハイムとのゲーム差は、3となっている。
これに追いつかれないように、首脳陣は選手を起用していかないといけない。
アナハイム相手には出来るだけ、ホームでのアドバンテージなどもほしいのだ。
レギュラーシーズンの終わりが見えてきた。
壮大なる前座の終わりと言ってもいいだろう。
この記録尽くしのシーズンの果てに、どんな結果が待っているのか。
それは神の決めることではなく、人間が自分の力で勝ち取るものであろう。
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