第101話 無敵と無敗
サンフランシスコまで移動して、その日に試合。
わずかな調整の具合で、ピッチャーの仕上がりは全く違うものになる。
第一戦のジュニアは、あまり調子がよくないながらも、しっかりと試合を作る最低限の仕事はする。
もっとも最低限の仕事だけをしていれば、あっという間に消えていくのがこの世界である。
過去を糧とし、そして無駄に囚われない。
基本的に前ばかりを向いて、それでいて手から何もこぼさないというのが、無茶だがやるべきことである。
こぼれていく手の中には、必ず何かが残っている。
その残ったものが多いか少ないかには、運の影響もある。
メトロズのピッチャーはこの数年、圧倒的に打線の援護を受けてきた。
特に大介の得点への影響力は、打点だけではなく出塁に盗塁などで、三割以上を占めているかもしれない。
守備力の高さまで含めて、影響力はきわめて高い。
そんな守備による援護まで、今では投手を評価する上で、計算されたものになっている。
MLBは統計である。
様々な計算を持つセイバー・メトリクスは、未だに進化と変化をし続けて、しかも基準が数種類あったりする。
だが絶対に価値の変わらないものもある。
それが奪三振とホームランだ。
「よ、い、しょ」
タイミングを合わせた大介の打球が、ライト方向に飛んでいく。
第一戦も6-7とそこそこの打撃戦であったが、第二戦もその覚悟をしてきてくれているらしい。
大介に対しても、内角に投げてきた。
引っ張った打球はスタンドの中には入らなかった。
スタンドを越えて、場外の海の中へ落ちていく。
海面に漂うボールを、待っていたボートで拾いにかかる者が多数。
季節的に暖かいこともあり、スプラッシュ・ヒットのホームランを待っていたのだ。
大介の飛距離ならば、この打者不利のはずのスタジアムでも、さほどホームランに苦労することはない。
やはり重要というか問題なのは、相手が勝負してくれるかどうかなのだ。
そして第一戦で打撃戦を挑んでくれたサンフランシスコも、その特大アーチを見れば、大介への認識を改めてしまう。
大介の打つホームランは、ただスタンドに入るというものではないのだ。
金属バットを使っていた高校時代、甲子園で場外ホームランを打ったし、プロ入り後も何度も場外ホームランを打っている。
MLBの球場も意外と、場外ホームランは出たりする。
右方向だけではなく、さすがに難しいのではと思われる左方向へのホームランも打っていて、それでも普通に場外に飛んでいくことがある。
ホームランはともかく、場外となると相手のピッチャーの糸が切れる。
自分のやってきたことを、根底から否定された気分になるらしい。
「大げさな」
そう述べるのは今日の先発の武史で、武史としては別に場外ホームランも、打たれておかしくないものだ。
球速があり、スピンの運動量がある武史のボールは、実はそこそこ飛んでいきやすい性質を持っているのだ。
それがあまりホームランにならないのは、それこそ速すぎて当たらないのと、ホップ成分が大きくて当たっても凡フライになるため。
たっぷりと上空から落ちてくるボールは、それはもうキャッチしやすいものだ。
先制点を取ってリードしてもらえた武史は、今日は気分が高揚している。
トローリーズ相手のカードでは、ローテの都合で仕方がないものの、投げることがなかった。
だが武史の目から見ても最強と思われるメトロズの打線を、あそこまでしっかりと抑えたのだ。
メトロズはいまだに、打撃優位のチームであると思われている。
そしてそれはおおよそ正しいのだが、その偏見を止めるにはピッチャーが投げて抑えるしかない。
守備力がどうとか、そういうものとは関係なく。
サンフランシスコの強力打線を、さらなる力で沈黙させる。
武史は本質的には、野球を適度に楽しむ人間だ。
だがたまにはノリによって、立ち上がりから調子がいいこともある。
もっとも肩が本格的に暖まるまでは、無理はしない方がいいのだ。
出力の高い筋肉は、腱や靭帯に負担をかける。
インナーマッスルを鍛えることによって、それもある程度はカバーする。
しかしどれだけ鍛えたとしても、無茶は禁物であるのだ。
高校一年生、夏。
武史が確かに無茶をしていたな、と感じるのはあの夏の試合だ。
ポンポンとホームランを打たれて、珍しくもムキになってしまった。
リミッターを解除した武史のボールは、150km/hをやすやすと突破した。
もっともそれが無茶であったことは、試合の後にはっきりと分かったものだが。
立ち上がりを攻めるのが、武史相手には効果的。
特にストレートの伸びがまだいまいちであるため、ホームランを打てることもある。
そう思っていたサンフランシスコの選手たちは、認識を改める必要があるだろう。
初球のアウトローを受けた坂本は、フォーシームとチェンジアップ、そしてナックルカーブだけでこの守りを組み立てる。
素直に従った武史は、三振を三つ奪って、一回の立ち上がりを終えた。
もっともこれで調子に乗ったら、また打たれてしまう可能性がある。
そう油断をしないようにしている武史だが、バッテリーを組む坂本は逆に、これはまたいけるのではないか、と考えている。
ムービング系を使っていないのか、と尋ねるピッチングコーチに対して、今日は最初からストレートが魔球化していると報告。
確かに一回から、普通に105マイルは出ていた。
ただそれでも今までは、試合の序盤は同じ105マイルでも、球質が違ったはずだ。
具体的にはスピン量が、まだ低かったはずなのだ。
もっとも実際にボールを受けているのは坂本である。
事前の試合のプラントいうのが、選手の調子によって変えられるのは、よくあることなのだ。
坂本としてはムービング系は、むしろ試合の後半に使いたい。
それに奪三振が多い武史が、初回から三つのアウトを三振で取った。
27奪三振、狙ってみようか、という気分にもなる。
さすがにそれは不可能だと思う坂本だ。
そもそも上杉の達成した、九回までで26奪三振という記録も、坂本がお膳立てしたものである。
振り逃げなどをしなければ、奪三振の数は25で止まっていたはずなのだ。
しかしパーフェクトなどをされてしまえば、あのワールドシリーズは流れが変わったかもしれない。
それを考えた上での、坂本の奇策であった。
二回の裏からも、武史のボールは衰えを見せない。
上手く緩急を使っているので、空振りが球速以外でも奪えるのだ。
これはひょっとして、と坂本は本能的に感じている。
彼は計算高い人間だが、直感にも優れた人間だ。
追い込んだらストレートという組み合わせは、あまりにも単調である。
だが高めに外したり、アウトローいっぱいに投げたり、同じストレートでも色々と投げ分けることは出来る。
去年の上杉もであったが、球速のあるピッチャーは制球が悪いという、従来のパワーピッチャー像は崩されつつある。
むしろ全パワーを球速に与えるならば、その方向もしっかりと定まるはずなのだ。
スピードとコントロールの関係は、マイナスの比例関係だと思われていた。
だが力をボールに伝えることを、正確に再現できるようになれば、そうでもないということは分かってくる。
問題なのは、コースをしっかりと投げ分けることだ。
いくらコントロールがいいと言っても、そのコントロールがど真ん中だけであるなら、それは打ちやすいものになる。
コマンドの能力があまり高くないのであれば、むしろコントロールはある程度散らせばいいというのが、高校野球レベルの話になる。
ベルトより下のコースに、ある程度の球威で投げ込めば、それなりにアウトが取れる。
そういうレベルの野球というのも、確かに存在するのだ。
だが武史は、ゾーンの狙ったところへ、しっかりと投げ込むことが出来る。
上杉も同じことが出来たが、理屈も同じとは限らない。
ただ武史の投げるボールが、坂本の要求したコースに投げられるのは事実。
そして左右の打者のアウトローの出し入れまで、武史には可能だ。
これだけのコントロールは、なかなか持っているピッチャーはいない。
さすがに三振がずっと続くわけではないが、内野フライの多い試合になった。
それもやたらと、キャッチャーフライが多い試合に。
空振りも取れるし、アウトローは見逃すしかない。
下手にカットをしようとしても、バットにボールが当たらないのだ。
そんなボールをカットしようとすれば、バッティングフォームが崩れることさえある。
高めのボールでは空振りが奪える。
ゾーンに入っているのか、それともボール一個外れているのか、そのあたりの見極めが難しい。
そしてインハイも効果的だ。
アウトローと組み合わせれば、これでもうバッターはボールを打つことは出来ない。
完全なるパワーピッチャーの投球内容だ。
そして二巡目にもなれば、少しムービング系も混ぜていく。
打たせて取るよりも、ファールを打たせてカウントを稼ぐのが目的のボール。
だがそれがゴロになって、球数を減らすことが出来ている。
六回までを投げて、余裕で100球未満のペース。
そしてここまで、パーフェクトピッチングが続いている。
思えばパーフェクトでマダックスで22奪三振と、鮮烈なデビューを飾ったのが武史であった。
三振の数だけは直史であっても、省エネと同時に達成することは出来ない。
これもまた、究極のピッチングに続く一つの過程。
全打者を三振に取るというのは難しい。
だが困った状況で、確実に三振でアウトが取れること。
たとえばノーアウトランナー三塁や、満塁の場面など。
直史もそういう場合、三振を奪う配球で投げていく。
だが武史の場合は、パワーだけでどうにかしてしまえるのも事実だ。
フォアボールが出る気配もない、ボールカウントが2で止まるピッチング。
ゾーンに投げてくるのが多いのだから、そこをどうにか狙えばよかろうに。
そう見ているものは思うのかもしれないが、実際に対決しているバッターは、それが難しいとは分かっている。
ツーシームやカッターなら、当てることぐらいは出来る。
だがフォーシームはほとんど当たらないか、当たってもフライになる。
あるいはもう、このフォーシームは捨てた方がいいのではないか。
ストレートを捨てるなど、作戦としては成立していないも同然だ。
七回からは強打のサンフランシスコの、三巡目の打席となる。
まだまだ球数には余裕があるが、実際のところは普段よりも、武史が疲れていることに気づいているのが坂本だ。
一回からフルパワーで投げているので、消耗も激しい。
武史の場合はナックルカーブやチェンジアップを投げても、使うエネルギーが少ないとは限らない。
メトロズとの試合で、180球以上も投げたピッチャーが、このぐらいで疲れるというのもおかしな話だ。
だが今日の武史のピッチングは、リミッターを解除しているのだ。
ムービング系を打った打球が、鋭く内野の正面に飛び、イレギュラーをして上手くキャッチできなかった。
ここでやっとランナーが出て、パーフェクトは途切れる。
だが記録はエラーであり、まだノーヒットは続いている。
ここからが重要だぞ、と坂本は配球を考えていく。
最終的にはピッチャーのパワー任せになることもあるため、あまり大きなことは言えないのだが。」
打線の方も順調に、これを援護していた。
大介は初回のホームラン以外は、上手く出塁することが多く、そこから点につながっていく。
8-0と完全に試合は決まった状況で、最終回に突入する。
九回の裏、エラー一個の準パーフェクト。
なぜかリアルタイムで視聴していた日本のファンは、やらかした野手に対して、特定の人物名を叫んでいたが。
下位打線に対しては、サンフランシスコは代打を出してきた。
ただそれは、慣れていない武史のホップ成分の強い球に、三振の打者を提供するだけであった。
ツーアウトまで来て、上位に戻るサンフランシスコ打線。
どこかの誰かさんは去年と今年、パーフェクトを量産しているし、ノーヒットノーランさえもある。
だがアナハイムと対戦しないサンフランシスコは、幸いと言うべきかその屈辱を味わっていない。
最後はかっこいい演出で、三振で終わらせよう。
そんな茶目っ気があるのが、坂本というキャッチャーである。
キャッチャーと言うよりは、エンターテイナーとしての面が強いか。
ただそんな提案に、珍しく武史は首を振る。
変なことを考えると、必ずやらかす。
さすがの武史も、それを自覚しているのだ。
アウトローを中心とした配球に、チェンジアップを付ける。
そして打たせたゴロを、セカンドがトンネル。
自分ではないが、やらかすやつはやはりいた。
もちろんこれはエラーとして記録される。
何か起こるだろうな、とは武史は思っていた。
なのでここで、集中力を切らしてはいない。
高めの釣り球でカウントを稼いで、そして最後にはアウトロー。
完全に振り遅れたスイングで、空振り三振。
かくしてエラー二つによる、ノーヒットノーランは達成された。
奪った三振の数は、21個。球数は97球。
珍しくもやらかさなかった佐藤家の次男は、中に誰かが入っているのでは、などというしょうもないことを言われたものである。
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