第98話 そちらの方角を
対ワシントン四連戦。
メトロズは全く慢心することなく、容赦することもなく四連勝した。
第四戦に先発したのは武史。
「なんか丁度いいぐらいに調子が悪い」
不思議なことを言う武史であったが、どういう意味かは試合が進むにつれて分かってきた。
奪三振がいつものペースより遅い。
バットにボールを当てられることも多い。
しかしそれでもジャストミートがなく、打ったボールはフォーシームならフライアウト、ムービング系ならゴロと、あまり粘られることがないのだ。
「マダックス行けるかな」
初回にいきなりヒットを打たれていたものの、それをダブルプレイでアウトにいていたため、投げた球数が少なかった。
そしてエラーで出たランナーも、大介がダブルプレイでアウトにしてくれた。
つまり27人のパーフェクトで終わるペースで進んでいったのだ。
結果的には98球で完封し、奪三振も少なめと言いつつ16個も奪った。
失点しなかったことで、マダックス達成。
これで武史としても、今季二度目のマダックスである。
「てーか、こんだけ上手く球数節約出来ても98球って、兄貴は何やったらあんなになるんだよ」
いや、お前はそれを目の前で、何度も見ているのだろうに。
ピッチングスタイルの違いである。
武史もツーストライクまでは、それなりに当てられるボールを投げるのだ。
だが直史のムービング系が当てさせるのに対し、武史のムービングはミートをさせないためのもの。
打ってもゴロまでにしかならないのと、打ってもかろうじてファールにしかならないもの。
直史の場合はゴロを打たせるため、二球目までに決まる。
武史の場合はファールでストライクカウントを稼ぐと、スリーストライク目はギアを上げて投げる。
なので三球目か、それすらもどうにか当てて、四球目のチェンジアップでアウトになることが多い。
MLBに来てから、実は武史の奪三振率は、高くなっている。
NPBの場合はホームランを狙うのではなく、ミートを狙ってくるパターンが多かったからだ。
おかげで平均球数が少なくなり、中五日にも対応出来ている。
ホームランは確かに打たれたが、それほど多くもない。
フルスイングというのは、空振りがしやすいというのは確かだろう。
フライボール革命とはまた別に、スイングスピードを高めることが、バレルでボールを打つことと共に、重要なこととされていた。
物理学的な例の法則を思い出せばいい。
パワーは質量と速度の二乗に比例する。
現在の野球のスイングは、体重を一度思い切り前に踏み込んで、前足で下半身を止めてしまう。
するとその生み出されたパワーは、上半身の腕が前に出ることで放出される。
スイングのスピード=パワーは、こうして生まれる。
ただイチローのスイングは、ちょっと違うパターンが多いのだが。
長打ではなく野手の間にちょこんと落とす場合、パワーはそこそこで充分だ。
ボールがストレートであれば、バットをしっかりと保持するだけで、内野の頭は越えていく。
大介が出来るがしない、そして織田やアレクが状況に応じてしているのが、このスイングである。
ワシントンとの試合を終えたメトロズは、ロスアンゼルスにやってきた。
昨年の地区優勝、今年もサンフランシスコとわずかな差で二位の、トローリーズとの対決である。
四連戦となるこのカード、トローリーズは第二戦で本多が投げてくる。
今年もトローリーズは大きく補強を行っているのだが、このナ・リーグ西地区は厳しい。
サンフランシスコに加えてサンディエゴが、本来ならポストシーズンに進出出来るような、勝率を誇っているのだ。
サンディエゴも大型補強をし、サンフランシスコも金をかける。
金をかければ強くなるというわけではないが、かければ強くなれる可能性は高くなる。
アリゾナとコロラドは、しばらくは我慢の時だと負けを許容している。
こういうときMLBは、選手の成績にチームの成績を結び付けないので、選手側からすればありがたい。
NPBなどは90年代であっても、チームがBクラスだったから、などという理由でタイトルホルダーの年俸を変更なしとしたりしたのだ。
だいたいNPBの年俸が上がらなかったのは王貞治の責任で、上がるようになったのは落合の功績である。
王貞治にしても、覚醒前の時期にちゃんと使ってくれていたのを恩に感じ、一発で年俸更改をしていたらしいが。
後にチーム側からも、本当にあれでいいのかと思っていたとかいうコメントが出て、王の方もそれならもっと上げてくれよ、と思ったらしいが。
選手の年俸に関しては、一時期はNPBはほとんどMLBと変わらず、むしろ二軍の待遇などは、明らかに日本が優れていた時期もある。
それが圧倒的にショービジネスとしてMLBは成功したので年俸も上がったのだが、そのあたりはNPBからMLBへの選手の流出も関係している。
だいたい日本の野球は、アメリカの野球より、10年から20年は遅れているのだ。
そんな中で千葉の高校は、下手なプロより金をかけて、最強のチームを作ってしまったりしたわけだが。
NL西地区はこれまた地獄だが、メトロズはそれに充分対応できる。
もっともその大補強の最大の部分である武史は、ワシントンとの第四戦に投げたので、トローリーズ相手に投げることはないが。
わずかながらアナハイムとの勝率の差が開いているため、メトロズは今、無理をする必要がない。
もちろん油断なく、高い勝率を維持する必要はあろうが。
ロスアンゼルスにいると大介は、東の方を見ることがある。
正確に言えば東南の方向であるが。
そちらはアナハイムのある方向であるが、実はこの時期のアナハイムは、遠征で東北東の方向にいる。
なので大介の視線の先は、単に感傷が向かっているだけなのだ。
逆にと言うか一方と言うか、武史は北の方を気にしている。
トローリーズとの対決が終われば、次はサンフランシスコに遠征する。
この四連戦は10連戦の始まり。
正確には一日移動の休みがあるが、遠征が10試合続くのだ。
武史が気になるのは、とにかく移動の多さだ。
大介は関西のライガースであったからあまり感じないかもしれないが、東京のレックスにいた武史は、同じくタイタンズや神奈川のスターズ、それに交流戦でも千葉や埼玉に行くときは、移動の不便をあまり感じていなかった。
だいたいおうちでごろごろしていたのが、先発ローテの武史であったのだ。
おかげで恵美理としても、普通に子育てを夫と分担し、意外なことに武史は育児力が高かったりする。
家事は普通に苦手である。もっとも外注すればいいところは、どんどん外注しているのが武史の家なのであるが。
遠征で11日間も家を離れるというのは、今季最長の武史である。
佐藤家の血筋はだいたい、嫁でパワーを補給しているので、そのあたり不安が残るかもしれない。
直史はそれを気にしたわけでもなかろうが、メトロズとの試合では瑞希をニューヨークに呼んでいた。
そちらも嫁の援護でパワーを一割ずつ上げながら、勝ち星を得たのは直史であった。
トローリーズとの試合は、本当に自分は出なくていいのかな、と思う武史である。
NPBもローテーション制はほぼ固まっているが、予告先発はMLBと違って、前日というパターンが多い。
レックスに限らずNPBでは、先発が炎上して50球ぐらいで降板すると、相手の先発の予定を予想し、中三日などで投げさせたりすることもある。
基本的に武史は、そんなに崩れることはないし、崩れても100球ぐらいは投げるので、そういう無茶振りはされていないが。
NPBのピッチャー運用が過酷というわけではなく、中六日で100球というNPBの先発内容が楽なため、そういった調整が可能なのだ。
MLBは中五日なので、そんな余裕はなかなかない。
ただここまで武史は、完投した試合は94球から112球までの範囲に抑えていて、かなり波のないピッチングを続けている。
メトロズでは間違いなく、最も安定感に優れたピッチャーである。
メトロズとトローリーズとの試合は、レギュラーシーズンの今後と、ポストシーズンを占う上で、重要なカードとなる。
去年のリーグチャンピオンを決めるカードが、メトロズとトローリーズの対戦であった。
結果は四勝二敗でメトロズがワールドシリーズに進んだのだが、本多が先発した二試合で、メトロズは負けていた。
今年のメトロズは、去年よりもさらに勝率が高い。
平均得点は去年より0.4今のところ上昇している。
ただ今年のメトロズは武史の加入で、一気に平均失点が落ちたのだ。
武史の投げないこのカードで、果たしてトローリーズ相手にどういう試合を行うか。
トローリーズのピッチャーは、第一戦はやや弱い。
第二戦が本多、第三戦がフィッシャーと、そこで勝ち星を取りに来る計算だろう。
100マイルオーバーの本格右腕が二人。
メトロズの二番手ピッチャーが誰かとなると、安定感のあるベテランウィッツか、まだ成長中のジュニアとなるのだろうが、この二人はトローリーズの二人のエースにはやや劣ると思われる。
メトロズの第一戦の先発は、そのウィッツである。
打力ではメトロズが優越し、先発でもおそらく上。
そして遠征なので先攻はメトロズと、色々な勝つ条件が揃っていた。
実際に珍しく大介が普通のヒットで出塁し、そこから確実に一点を取る。
ウィッツは変化球主体の左のサイドスローで、上手く相手を打たせて取った。
試合の展開が、あまり劇的な場面のないものになった。
そういう場合に観客が求めるのは何か、大介はもう分かっている。
メトロズが三点差で終盤に入った第四打席。
アウトローではなく内を攻めた二番手投手のボールを、おもいっきり引っ張った。
トロール・スタジアムはMLBの球場の中でも、屈指のグラウンドの広さを誇る。
そして収容観客数も最大のわけであるが、そのスタンドの最上段に、大介の打球は突き刺さった。
派手なソロホームランは、まさに今日の見せ場の一つ。
味方が負けている試合なのに、トロール・スタジアムの観客は大喜びである。
ちなみに何がそんなに受けていたのかというと、大介は前のホームランで、日米通算のホームラン数が763本となっていた。
日本時代の成績も合わせるのか、という疑問はつくであろうが、MLB記録の通算762本を更新していたのである。
NPBの記録まで含めるなら、マイナー時代の成績も含めろ、などという論調は起こらなかった。
以前に日米通算安打の記録がMLB記録を抜いた時、そんなものは認めないと騒いだ姿が、とても醜かったのだ。
そもそも従来のホームラン記録が、薬物使用によるものだとは、誰もが分かっている。
また大介自身も、MLBだけに絞ったらたいしたことはないし、日米通算ではまだまだ日本のホームラン記録に、遠く及ばないと分かっているのだ。
大介は怪我の離脱が長かったシーズンでさえ、50本のホームランは打っていた。
そして日本の記録60本を軽く塗り替えて、MLBの記録もあっさりと塗り替えた。
それだけシーズン記録を作っておいて、今年でもうプロ12年目。
それでもまだまだ追いつかない日本のホームラン記録というのは、いったいどれだけとんでもないものなのか。
もっともアメリカはアメリカで、ニグロリーグの記録されていないホームラン記録が、おそらく800~1000本ぐらいと言われている選手もいる。
道の先はまだまだ先がある。
とりあえず第一戦を勝利するメトロズであった。
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