第95話 プライド

※ 本日はALの時系列が先になります。



×××


 プライドという言葉にいい感じを受けるか悪い感じを受けるかで、おおよその人物の判断は出来る。

 大介にはプライドというものはない。

 高校の時点から木製バットを使い、毎年のように三冠王を獲得し、毎年なんらかの記録を更新していく。

 既にその前に、越えるべき道はほとんどない。

 彼の歩んだ後に、道は出来る。


 わざわざ反発の少ない木製バットを使っていたのは、ある意味傲慢かもしれない。

 だがそれで結果を出したわけであるし、大介が木製バットを使い出した二年の秋以降、白富東は一度も負けなかった。

 敬遠のようなボール球でも、打てる球ならスイングして打ってしまう。

 もう少しフォアボールを選ぶべきだという人間は、大介よりも高い出塁率を残せるというのか。

 実績が全てを黙らせる。

 だがそこにプライドなどというものはない。


 プライドというのはある程度、そこで意地になって立ち続ける、といった類のものであろう。

 しかし大介は常に進むために、足場を固めるためのプライドなど必要ない。

 必要なのは目の前にぶら下げられたニンジンだ。

 プライドを誇りではなく、意地とでも訳すのならば、それは大介にもあるだろう。

 まず目指すのは、個人のではなくチームの勝利。

 もっともチームで勝利するためには、大介は塁に出て走ったり、ボール球を無理に打ちに行ったりする。


 この数日の大介は、わずかに焦っている。

 ア・リーグの方でまた、比較しなければいけない選手が出てきたからだ。

 以前から噂には聞いていた、ミネソタのペドロ・ブリアン。

 アナハイムから打力で勝ち星を上げ、直史からも打った。

 どうせポストシーズンではあの義兄は、あっさりと封じてしまうのだろう。

 だが今の時点では、ちゃんと直史から点を取っている。


 失点すらも計算、というのは直史ならやりかねないことだ。

 だが基本的に直史は、失点こそチームの敗北につながるので、ヒットはともかく回避するはずなのだ。

 プロになってからの直史に、明確な形で自責点をつけたのは、本当にわずかしかいない。

 ヒットの連打での得点というのはなく、自責点はほぼホームランだけと言えよう。

 大介も数本のヒットは打ったが、得点には至っていない。

 初柴、西郷、織田といった日本時代からの知り合いが、直史からホームランを打っている。

 この三者に共通していることは、日本代表で直史と同じチームになったこと。

 だがその括りで一番優れているはずの大介は、一度もホームランを打てていない。


 


 テキサスから移動し、アトランタ相手の三連戦。

 今日も大介は初回の先頭から、勝負を避けるようなピッチングをされる。

 さすがに申告敬遠はないが、バットの届かない位置に投げられては打てない。

 倒れこみながら打つという無茶も、大介は場合によってはやっている。

 だがそれは単打であっても、ヒットが出れば試合が決まるという場面だ。

 試合の初回、第一打席ですることではない。

 それは分かっているのだが、あからさまなボール球には腹が立つ。


 潔く申告敬遠をすればいいのだ。

 それに腹を立てた大介は、四球目のボール球を振りに行った。

 スタジアムがどよめき、相手のピッチャーの目に敵意が宿る。

 分かっている。やりたくてやっているのではないのだろう?

 ベンチが命じているから、仕方なく勝負を避けているのだろう?

 こっちだって別に、アウトになりたいわけじゃない。

 ツーストライクになったら、さすがにスイングはしないさ。


 スタンドやあちらのベンチだけではなく、メトロズのベンチまで慌てている。

 大介のやっている抗議の空振りは、申告敬遠のなくなった現在は、もう見られないはずのものであった。

 ルール的に見れば、事象だけを見れば、明らかなボール球を振っている、選球眼のないバッター。

 だがもちろんこの行為の意味が、分からないはずはない。


 これは紛れもない挑発行為である。

 血の気の多いMLBのピッチャーであれば、ボールを当てにきてもおかしくはない。

 ただし大介はこれまで、明らかに当てに来たビーンボールを、普通に打ってホームランにしたこともある。

 五球目もまた外のボール球で、大介は空振りをした。

 これでフルカウントになる。


 そして五球目を待つ大介は、バットを片手で抱えて、そのまま下半身だけで構える。

 もしゾーンに投げられたら、さすがにスイングは出来ない。

 こんなことをされたらアトランタの地元なので、ブーイングも起こるだろう。

 そう思っていた両チームのメンバーだが、意外にもブーイングよりざわめきが大きい。


 それだけアメリカのMLBファンは、大介への敬遠に辟易していたということか。

 また本日のアトランタのピッチャーが、キューバ人であることも関係していたかもしれない。

 潜在的な差別感情を持つアメリカ人は、これがアメリカ白人か黒人がピッチャーであったら、大介にブーイングをぶつけていたかもしれない。

 だがキューバ人で、アトランタに所属したのが今年からで、チームを代表するエースでもない。

 ならば大介と勝負して打たれても、まだしもそちらの方が潔い。


 ピッチャーはアトランタのベンチを見つめる。

 勝負をするためのサインが出ていないかを確認する。

 普通にストライクゾーンに投げたら、見逃し三振が取れる。

 だがそんなことをすれば、間違いなくスタンドのブーイングは、ホームのアトランタに向けられる。

 ピッチャーは鬼のような形相で、ボール球を投げる。

 ため息をつきつつ、一塁へ向かう大介であった。




 大介の行為はこの時代、マスコミが伝えることもなく迅速に、世界中に拡散していく。

 果たしてこの行為は是か非か。

 本人が何かを弁解する前に、情報自体は広がっていく。

 ただ試合はメトロズが、ここから一気に爆発する。

 大介の行為を肯定するかのように、得点に結びつけたのだ。


 アトランタは目立った補強はしていないが、FAで離脱した戦力も少なく、若手の育成もしている。

 メトロズが圧倒的に強いとはいえ、東地区二位まではポストシーズンに出られるのだ。

 ただその戦略はメトロズと対決して勝率の差を縮めるよりも、メトロズ以外のチームから確実に勝って、二位を確定させるというものであった。

 よってこのメトロズとの対決では、あまりピッチャーを無理させないようにしている。

 メトロズの先発ローテは基本的に、全員がそれなりに勝ち星を狙っていけるクラスの力を持つ。

 アトランタが少し頑張ったところで、打線の差で圧倒される。

 勝ち星が稼げるエースは、少しスケジュールをずらしてでも、勝てそうな相手に。

 それがアトランタの投手運用であり、実際にそれは成功している。


 今年のメトロズは強い。

 FA前の若手が張り切っていて、今年でまた契約の切れる選手も、今年に集中しているため、来年以降はそれなりに弱くなる。

 だから今年はポストシーズン進出でいいと、アトランタの首脳陣は考えている。

 実際のところ今年のメトロズは、史上最強と言われた去年よりも、またさらに一段階強くなっていると思う。

 先発のローテにスーパーエースを獲得し、シーズン前からFAでクローザーを確保した。

 去年の雪辱を晴らす、その気持ちが強い。

 この試合もアトランタを圧倒し続ける。


 二打席目も歩き、三打席目の大介には、ツーアウトの場面から回ってきた。

 ランナーは一人だけで、おおよそ試合の趨勢は決まりかけている。

 大介をどう扱うか、アトランタとしては迷うところだろう。

 しかし既にピッチャーは二人目で、最初の打席の遺恨はない。

 そしてビハインド展開のリリーフに対しては、大介もそこまでのことは考えていない。


 もっともそれは、手加減するかどうかとは、全く別の話。

 アウトローいっぱいのボールを、大介は鋭く叩いた。

 ボールはレフト方向のスタンドに入り、大介の29号ホームランとなったのであった。




 大介のやったことは、やりすぎだろうか。

 なんでもアメリカのベースボールは紳士のスポーツであるため、相手へのリスペクトを欠いた行為には、報復がされる。

 デッドボールで報復をするスポーツの、どこが紳士的なのか、とても面白い見方である。

 ただ大介の場合は、自分にデッドボールが投げられても、軽く回避するか、そのまま打ってしまう。

 中途半端にびびらせようなどという程度だと、ホームランにさえしてしまう。


 大介にはこの行為に対して、当然ながらコメントが求められた。

 それに対して応える大介は、ネットなどでは案外炎上していないのが、かなり意外ではあった。

 ただ大介のバッティングを見てMLBファンになった人間は多い。

 そういった新参の意見は、古来からの慣習などは完全に無視してくる。


 大介としては、せっかくスタジアムまで見に来てくれるファンがいるのだから、それに応えるプレイをお互いにするべきだろうと思う。

「もしもピッチャーのプライドを侮辱するものだと思うなら、あちらのFMが最初から申告敬遠をしていればいいんだ。そうすれば少なくともピッチャーの尊厳は守られる。FMが批判は受け入れるべきだ」

 これはまったくその通りである。

 ピッチャーに対して勝負が預けられているなら、それは確かにピッチャーの責任である。

 だが申告敬遠もしないのに歩かせるなら、それはFMが悪いだろう。

 敬遠ではないですよ、という形だけを見せるために、外ばかりの打てないコースに投げる。

 これのどこにメジャーリーガーのプライドがあるのか、非常に疑問だ。

 もっともこの大介の回答は、ニュアンスがかなり難しいため、通訳が必死でマイルドに翻訳したものだが。

「ピッチャーを侮辱するってんならピッチャーに勝負させない監督の方がよっぽどひでえじゃん。申告敬遠って制度があるんだから、そういった泥を被るのは監督の役目だろ?」

 うむ、だいぶマイルドになっている。


 ただ大介の行為は、ある程度八つ当たりも含んでいる。

 それを同じチームの日本人、武史と坂本は分かっている。

 ミネソタ相手に直史がホームランを打たれて、今季初失点を喫した。

 武史や坂本からすると、もっとレギュラーシーズンの後半、そしてポストシーズンを見据えて、情報を探りにいったのではないかと推測が出来るのだが。

 点差が大きく開いてなければ、ホームランを打たれるようなピッチングはしなかっただろう。

 ただ高めのストレートという、去年の大介が仕留め損なったボールを打っているので、それも苛立ちの原因だろうか。


 大介の行為は、まだまだ続く。

 スリーボールになった段階で、完全なボール球を振っていく。

 これまでもそういうことはあったが、それは思いっきり腕を伸ばして、内に行ったスイングであった。

 だがこれは純粋に空振りだ。

 MLBのデータ班としては、こういうことをやられると正確な選球眼などに、ノイズが走るのでやめてほしいのだが。


 ただ現在地区二位のアトランタとしては、この空気はまずかった。

 ネットにあまり触れない大介が、自分では特に発言もしない中、その擁護者がアトランタのみならず、他のチームのピッチャーなども叩き始めたのだ。

 叩かれていないのは、それこそ全打席勝負している直史ぐらいか。

 または日本での対戦経験があるにもかかわらず、しっかりと勝負してくる本多のようなピッチャーもか。

 六月のトローリーズとの対戦で、本多がどう投げてくるのか。

 そこでもまた、ネットでの議論は高まるかもしれない。


 ただアトランタはこの三連戦、三試合全てで大介にホームランを打たれた。

 そしてチームとしても三連敗。

 やはりなんと言われようと、徹底的に勝負は避けておくべきだったのか。

 しかし大介の活躍がなくても、この三連戦は負けていた気がするが。


 62試合を消化した時点で、大介のホームラン数は31本となっていた。

 まさに二試合に一本のペースであり、このままなら去年を上回るかもしれない。

 一時期はペースが落ちて、さすがにあれが限界か、とも言われていた。

 だが出塁率がやや落ちたのに、長打率は変わらない。

 そしてホームランを産出するペースが上がっている。


 やはり怪物だ。それは認めなければいけない。

 そしてそれを踏まえた上で、どう対処していけばいいのか。

 大介をある程度抑えているピッチャーは、直史以外にもいる。

 また大介の打球も、野手の正面の飛ぶことはあるのだ。

 ただ直史の真似が出来るピッチャーなどいない以上、大介対策はやはり、敬遠が一番となってしまう。

 しかしこんな感じで大介が空振りをするため、ピッチャーの球数が自然と多くなるという、へんてこな副産物もあったりした。




 アトランタから戻ってきて、フランチャイズでベアーズとの対戦となる。

 大介は一度マンションに戻ったが、今日の夜の試合も放っておいて、録画している試合を見ることにした。

 直史がホームランを打たれた一戦だ。

「少し変だね」

「少しだけどね」

 ツインズとしても直史からホームランを打ったバッターは、注目の的ではあったのだ。


 アナハイムに負けをつけて、メトロズとの勝率に差をつけてくれたのは、むしろ感謝するべきなのか。

 ただポストシーズンで、直史以外が打たれてしまえば、アナハイムの敗退の可能性もあるのだ。

 去年のメトロズとの対戦も、結局は直史が一人で三勝していた。

 もしもアナハイムがワールドシリーズまで進出してきても、直史が疲弊していれば不本意な試合になる。


 ブリアンの話は、今年はインターリーグでも当たらないのだが、話には聞いていた。

 大介が二年連続でやってしまったため、あまり驚きにはなっていないが、彼も今、四割を打っている。

 打点は三位、ホームランは一位と、ア・リーグの今年のナンバーワンバッターであることは間違いないだろう。

 アメリカ出身でアメリカ育ちで、間違いのないアメリカ要素満載の人間。

 そして若いということが、彼を次代のスーパースタートして輝かせる要因となっている。


 なんだかんだ言いながら、大介は30歳になった。

 プロ野球選手としては、もうベテランと言っていい年齢だ。

 海の向こうからやってきた、とんでもないモンスター。

 それがことごとく旧来の記録を破っていくのを、古参のMLBファンの中には、複雑な思いを抱いていたものもいたのかもしれない。

「こいつ、サイン盗みしてるのか? 今はもう出来ないと思うんだけど」

 ツインズと同じ結論を、大介も出した。 

 ブリアンのスイングは明らかに、狙いを絞ったものだ。

 自分が仕留め損なったストレートを、スタンドまで運んでいる。

「サイン盗みはないと思うけど」

「クセもないと思うけど」

 そのあたりはツインズにも、分からないものであるらしい。


 現在のMLBは、サイン盗みは極めてしにくいように、キャッチャーからのサインも旧来のようには伝えていない。

 またミネソタのベンチや他のバッターを見ても、それはないだろうというのが結論だ。

 つまりブリアンは、とんでもなく読みが深いか、とんでもなく直感に鋭い。

 なので狙って、ボールを打っているということだ。


 複雑な気持ちになる大介である。

 これまで大介は、こういったタイプのバッターを見たことがなかった。

 勘の鋭いバッターというのは確かにいたし、駆け引きから読むバッターもいた。

 だがよりにもよって直史と樋口のバッテリーが、それに対処できないのが信じられない。

 二人に比べればブリアンは、まだ20歳の若造なのだ。


 ただツインズには、心当たりがあった。

 もうずっと前、プロ野球以前の話。

 あれはまだ高校生で、全日本女子の集まりがあったころのことだ。

「バッターが何を狙っているかはだいたい分かるでしょ?」

 そう言ったのは恵美理である。


 大学からはまた音楽の道に戻ったので、六大学リーグで明日美と組むこともなかった。

 だがもしも恵美理がいたら、東大はあのリーグ、早稲谷の監督の采配ミスにでもつけこんで、勝てたのではないか。

 今、アメリカには恵美理もいて、話すことも簡単だ。

 出産日までまだ少しある桜は、椿と共に当時のことを、恵美理から尋ねてみようかと考えるのであった。

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