第94話 復活の左腕
武史の一時離脱により、メトロズはリリーフ陣から一枚を先発に回し、マイナーからリリーフを一枚上に上げた。
よりにもよってそのリリーフ部分を突かれて、一試合落としてしまったが。
それでも全般的に、メトロズは圧倒的な打撃を誇る。
武史のアナハイム戦の次は、ア・リーグ西地区のテキサスとの試合。
その間の勝敗は九勝四敗と、やはり勝率は落ちた。
一人の完投できるピッチャーの存在は、やはり大きい。
先発完投など現在の野球においては、もはや死滅した存在だとも言われていた。
球数制限のあるMLBで、ピッチャーは大切に扱われる。
投打の技術が高まった末に、ピッチャーへの負担はとてつもなく大きなものになってしまった。
分業制とローテーションが当たり前になった時代に、それでもまだ完投・完封するピッチャーはそれなりにいた。
だがそれは年に数試合達成すればたいしたもので、当たり前のように完封するピッチャーなどもういないのだと思われた。
全くタイプの違う、二人のピッチャーを、この年のMLBは体験している。
そして完全に蹂躙され続けている。
お互いが噛み合った時しか、二人の暴虐が停まることはない。
武史が復帰する、テキサスとの試合。
実は今年のテキサスはまだ、直史と対戦していない。
そんな状態の中で先に武史と対戦する。
地獄めぐりの順番が少し違うだけであろう。
敵地テキサスでの対戦だけに、柄にもなく緊張する武史。
だがこいつのいいところは、緊張しすぎないところである。
ほどほどの緊張感は、ピッチングへのよいアクセントとなる。
対戦するテキサスは、去年ア・リーグの試合でわずかながら上杉を知っているため、またあのような地獄が繰り返されるのかと戦慄している。
実際はもう少しだけマイルドに見えて、真綿で首を絞められていくように殺されるのだろう。
先攻のメトロズはもはや恒例の、先頭打者大介の敬遠。
そしてそこからの打線爆発と、初回から三点を先取する。
休み明けでいきなり援護点をもらった武史は、リラックスすることが出来た。
だがリラックスしすぎたらしい。
先頭打者からヒットを打たれ、その後に進塁打を打たれて、なんとかツーアウトにしてからもレフト前にヒット。
あっさりとランナーが一人帰ってきた。
やはり試合感覚が空いたのが悪かったのか。
ここで一般的なピッチャーなら、ムキになって三振を取りにいくだろう。
だが武史が一般的でないことを分かっている坂本は、普通にクールダウンするリードをする。
(久しぶりなんで肩がいまいち作れてなかったな)
打たれた原因は単純に、球速不足と配球の単調さ。
100マイル出ていてもそれだけなら、普通に打たれるのだ。
打たれるかどうかを確かめていた坂本は、しっかりと球数を使うリードを行う。
一回の裏は珍しく三振を一つも取れず、内野ゴロばかりでスリーアウトとなった。
体は休ませすぎてもあまり良くない。
怪我をしていたわけではなかったのだから、もうちょっと負荷をかけても良かったのだろう。
ただ185球も投げた後であれば、慎重に調整するのも当たり前の話だ。
そういった自分の限界は、経験を積んで学んでいくしかないのだろう。
いや、お前はもう、プロになってから何年目なのだ、という話になるが。
武史はまだ自分の限界を知らない。
去年までアレクがいたテキサスであるが、アナハイムに移籍したため、得点力はかなり落ちている。
そもそもア・リーグ西地区が、ナ・リーグ東地区と同じく、地盤沈下が著しいという話ではあるが。
それでもヒューストンにシアトルは、それなりの戦力を確保している。
戦力がちゃんと機能するかどうかは別であるが。
3-1の一回の攻防から始まった、メトロズとテキサスのゲーム。
これは傍目から見ると、武史の調整のような試合になった。
基本的にはゾーンで勝負するが、自慢の105マイルが記録されない。
もともと序盤は、ある程度抑えて投げるのが武史であるが。
下手に全力で投げ続けては、肩を暖めるのではなく痛めることになる。
それでも100マイルなら普通に投げられるあたり、直史がうらやましいと思うのも仕方がないだろう。
武史にとっては辛抱のピッチングが続いた。
幸いなのは味方が、援護の追加点を取ってくれたことだ。
大介がソロホームランを打って、その後の打線も連打を浴びせていく。
リーグナンバーワンの得点力を誇るメトロズは、今日も通常営業で相手ピッチャーのメンタルを削っていく。
そして試合がしばらく経過すれば、今度は武史の番だ。
三回の裏に、一つ目の三振を奪えた。
そこからマウンドの上で、肩をぐるぐると回すようになった。
坂本としても普通のストレートに、力の入ったのが感じられる。
今日は奪三振ショーはなしか、と落胆していたお客様、お待たせしました。
ここからがKの時間の始まりです。
三者連続三振で、クリーンナップを封じる。
ただのパワーピッチングではなく、アウトローとインハイを重視した、コントロールまで加えたピッチング。
前年までにアレクから、上杉と武史のことを、聞いていた選手は多かっただろう。
だが情報と実感は別のものである。
連続三振が続いていく。
いくらなんでもこれはないと、必死で食らい付くテキサス打線。
だがかろうじて当てたのが、キャッチャーフライとなってしまう。
一回にいきなりあっさり一点を奪われたのは、いったいなんだったのか。
あそこでヒットを打たれた毎回連続三振が、三回以降は続いていく。
むしろ半分以上が軽く、三振となっていく。
103マイルまでと、本来の球速にはまだ満たない。
それなのに空振りになっていくが、103マイルはおよそ165km/h。
それは打てなくても当たり前の話だ、と理解するべきだろう。
そして本来、先発がそろそろ疲れてくるかと言われる七回。
ついに105マイルが記録された。
テキサスはもう、タイミングだけを測って、スイングをするしかない。
だがそこで坂本が、チェンジアップなどを要求するわけだ。
回転数も少ない、沈むチェンジアップ。
それに加えて高めのボール球を、テキサスのバッターは何度も振っていくことになる。
今年の日程では、テキサスは二連戦を二回、メトロズと対戦する。
運が悪ければもう一度、こんなピッチャーと戦うわけになるのか。
そしてとどめとばかりに、大介は外し方の中途半端なボール球を、スタンドに放り込んだ。
今日は二打数二安打の大介である。つまり残りの打席は敬遠された。
最終的には武史の奪った三振は、15個までになった。
そのうちの14個が、四回以降に奪ったものである。
立ち上がりにはいまいち三振が奪えない武史であるが、休み明けは余計にそれが辛かったと言おうか。
だが初回に一点を取られて以降、二回からは一人のランナーも出していない。
球数もそこそこ投げたし、ノーヒットノーランなども全くないが、それでも観客は大喜びだ。
四回以降の奪三振ショーは、まさに圧巻であった。
まだ六月上旬の時点で、武史は10先発8勝0敗。
完封が四試合もあるという、まさにとんでもない数字である。
直史と投げ合って、その試合に勝ち星がつかなかったのは、あまりにも相手が悪かったのだ。
そこから少し休んでこの数字。
本当に兄と、去年の上杉がいなければ、怪物と言われても全く過言ではない。
正気を疑われる奪三振率。
だが事実である。
メトロズは本当に、この数年いい買い物をしている。
この試合で大介は、五打席全部を出塁したことになり、わずかに落ちていた出塁率がまた上がった。
現在の打率は0.441。
MLBの歴史の中でも、薬物時代のホームラン記録以上に、更新不可能と思われていたシーズン打率記録。
いよいよそんなところまで、更新してしまうのか、という話題になってくる。
そしてMLBではなく日本において話題になってきているのが、日米通算案打数だ。
2000本以上で名球会入りというこの数字、大介は今日の時点で1989本となっている。
一年を棒に振る怪我でもない限りは、今年でその条件を満たしてしまう。
この記録は単なる2000本記録ではない。
三冠王やホームラン王と兼ねあった上での2000本安打なのだ。
史上最少打数での2000本安打でもある。これは間違いない。
現在の大介は、30歳と一ヶ月。これもまた早い。
「そういや30歳になったんだよなあ」
感慨深くなる大介は、それよりはむしろ、もうすぐまた生まれてくる双子の父親としての意識の方が強い。
2000本安打は確かにすごい記録なのは間違いないが、大介にしてみるとあれだけ勝負を避けられまくったほうが、記憶としては鮮烈だ。
申告敬遠の導入も関係しているだろうが、日米通算でいいのなら、大介の敬遠数はNPB記録を更新している。
もっとも四球記録の方は、まだ更新できないだろうが。
それでも来年か、遅くても再来年には更新するだろう。
個人的にはそんな記録は、更新したくなかったのだが。
試合数の違いもあるが、大介のNPB時代の最高四球記録は179であるのに、MLBは一年目から205個。
これでさえたいした数字であるのに、翌年は常識の範囲外にある311個。
今年は58試合終了時点で118個。
おおよそ去年と同じペースで歩かされている。
これで無理にボール球まで打たなければ、さらに数は増えていただろう。
まったくどうにかして、これを制限できないものか。
「ピッチャーはいいよなあ。好きなだけ勝負出来るし」
「いや、普通に申告敬遠されたら、ピッチャーの意思関係なく勝負できないけど」
「……そういやそうだったか」
武史の素の返しに、大介も野球のルールを思い出す。
昔はベンチの指示を無視して勝負をしたり、指示は守るが泣きながら敬遠したりと、ピッチャーの自己主張は激しかったらしい。
いわゆる昭和の野球だが、同時に昭和の野球は、味方にタイトルを取らせるため、もしくは外国人助っ人の記録更新を阻むため、試合の趨勢に関係ないのに、敬遠がされたりもした。
古き良き野球などというのは、そういうものだ。
勝負に徹する指揮官と、プロは興行だと分かっている指揮官。
本質的に言うならば、勝負に徹することが、人気を高めてくれればいい。
もしくは人気を高めるために、勝負に徹するべきなのだ。
ただNPBでもMLBでも、間違いのない事実が一つはある。
強打者への敬遠はしらけるというものだ。
アナハイムがミネソタに苦戦しているおかげで、勝率の差が縮まることがなかった。
ただメトロズも上手く連勝が出来なかったり、クローザーのレノンが打たれたりと、調子のいいことばかりではなかったが。
短期間ならばともかく、そこそこ長期的に見れば、やはり先発ローテの軸に、スーパーエースがいると違う。
テキサスとの二試合目も、大介はヒット一本に終わったが、試合は無事に勝つことが出来た。
先発ローテの五人、武史、ジュニア、ウィッツ、スタントン、オットーの五人が戻ってきた。
武史はいきなり点を取られて、おいおい大丈夫かと思ったものの、結果を見ればその一点だけ。
メトロズはここから、アトランタへ移動して三連戦。
ただ移動日は休みで、休養を取ることが出来る。
大介はホテルに荷物を置くと、武史を連れ出す。
ホテル内のレストランで、軽く食事などしながら、話すのはやはり野球のこと。
ただ武史は休養の間、本当にしっかりと休んでいた。
NPBと違ってMLBは、本当に休日が少ない。
NPBと違って、先発ローテーションでもあがりの日がないので、体感的には休日は半分以下になっている。
MLBはやはり、長くプレイするような環境ではない。
それとも時間をかければ、体が慣れていくこともあるのだろうか。
武史はやはり根本的に、野球が好きなわけではないのだ。
ささやかな自己顕示欲があるため、プロでやっていけていると言っていい。
直史もプロで、しかもアメリカでやる野球は、本来好きではないのだろう。
だが責任感だけで、あれだけのピッチングをしてしまえる。
ただMLBでがっつりと稼いだ後、何をするべきなのか。
武史にはそこに何も思うことがない。
コーチや監督など、自分が出来るとは思わない。
それにやりたくもない。
ガッツリ働いて、一生を送る分の金は稼いだ。
変に生活レベルを上げていないので、このまま一生食べていくことも出来るだろう。
子供たちの成長も、身近で見ていきたい。
「なら無職でもいいんじゃねえの? あるいは主夫でもするか?」
「ああ、それいいなあ」
本気で言っているらしい。
恵美理も今は仕事があるので、確かに主夫をやってもいいのだ。
だがNPBで先発のローテをするなら、それなりの余裕があると武史は思っている。
MLBで主力クラスどころか、スーパーエースクラスである武史。
それがNPBに戻ったら、果たしてどういうことになるのか。
少なくともレックスは、相応しい年俸は出せないだろう。
かといって福岡に行くのは、武史としては嫌である。
埼玉や千葉も、巨額の年俸の選手を抱えることは難しい。
スターズには上杉がいるので、ピッチャーの強さが偏ってしまう。
「タイタンズか?」
「あそこはなんだか、だるそうだしなあ」
野球人ではない武史には、根本的に合わないと思うのだ。
愚痴にしかならないことを、武史は呟いている。
MLBにおいてもバッターとの対決は、NPB時代とさほど変わるものではない。
試合の立ち上がりにさえ注意すれば、それほど点を取られることはない。
そして大介が点を取ってくれるので、だいたい勝ち星がつく。
あまり変わらないだけに、給料が高い以外の、魅力が見出せない。
一応は五年契約であるが、果たしてその後はどうするべきか。
大介としては、武史には共感出来ない。
理解することすら難しい。
野球を特に好きでもないのに、このレベルに達した人間。
しかも武史には、この選択肢しか人生で成功しないという、ハングリー精神すらない。
「FA権取ってからの方が本格的に稼げるけどなあ」
大介はMLBの仕組みを、おおよそ理解している。
なので五年目まで、武史がメトロズにいられるかどうかも微妙ではないかと思っている。
契約にはトレード拒否権があるので、そのあたりは大丈夫なはずなのだが。
そもそも恵美理の仕事を考えれば、武史が他のチームに行くのは、単身赴任になってしまう。
こいつを一人にしておくのは、かなり心配になる大介だ。
ならば同じニューヨークの、ラッキーズにでも行くか。
大介は今の契約が切れたら、おそらく単年換算5000万ドル程度の年俸で、数年間の契約を結ぶことになるだろう。
ニューヨークにいたいとは思うが、武史の契約も、今のままの成績なら巨額になる。
やはり二人が同じチームにいるというのは、現実的に無理だろう。
あまりに年俸が巨額になって、チームが年俸自体は払えるものの、それに伴うぜいたく税が払えないのではないか。
メトロズのオーナーは、ワールドチャンピオンになるためなら、割と金に糸目をつけないタイプではあるが。
大介と武史が同じチームにいる間に、どれだけメトロズが勝つことが出来るか。
おそらく大介が大きな故障でもしなければ、メトロズは今の契約後も新しい契約を結びたがるだろう。
その頃にはもう直史は引退しているはずで、大介を止めるピッチャーがいなくなる。
そう考えると武史は、今の契約が終われば他のチームから、かなりの高額のオファーがもらえるはずだ。
それこそ大介に匹敵するほどの。
武史としては恵美理がニューヨークに愛着があるし、彼女の仕事の関係で、ラッキーズしか他の選択肢がない。
恵美理に自分に合わさせるという選択肢を、思いも付かないのだ。
悪の帝国などと揶揄されることもあるラッキーズだが、資金力の豊富差は魅力の一つだ。
それに最近ではむしろメトロズの方が、FAなどでは大きな買い物をしている。
MLBの将来を左右するかもしれない二人が、適当に日本語で話している。
ここにそれが分かる人間がいれば、さぞ驚いたことだろう。
なおその話題には次第に、子供たちのことに移っていく。
この二人に共通することとして、子供とのスタンスがある。
それは友達っぽい親子というものだ。
しっかりと教育指導を行っているが、遊ぶときは全力。
子供の体力についていける、さすがは現役メジャーリーガーであろう。
不思議な話だ。
日本の千葉で出会った二人が、義兄弟となってアメリカで、子供の行く末について考えている。
「俺は引退する前に一年、絶対にライガースに戻るぞ」
もちろん衰えはしても、確実に戦力になるスペックのままで。
大介はやはり、日本で老後を送りたい。
ニューヨークという街は多様性に富んでいて面白いが、あくまで金持ちにとって住むのが楽な街だ。
なんだかんだいって大介は、日本人であるのだ。
そのあたりのメンタルは、武史も近い。
夫婦の両親も日本にいることだし、ある程度こちらで過ごせば、子供たちは日本で育てたい。
事実上武史は、恵美理の家の婿養子に近い関係になっている。
やがて過ごすのは東京になるだろう。
東京もまた金さえあれば、住むのには便利な街なのだ。
ノンアルコールで二人は、話しながら過ごした。
ちなみに誘われもしなかったもう一人の日本人坂本は、女の子を引っ掛けて遊んでいた。
明日も普通に仕事があるのに、遊ぶことは遊ぶ。
そのあたりの快楽に従順なところは、坂本が一番であるのかもしれない。
武史も下手をすれば、遊んでしまうかもしれない。
もちろん健全な範囲内であるが。
そういうことまで考えれば、直史か大介に武史を預けるという、セイバーの判断は間違いなく正しかった。
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