四章 日本への帰還
第68話 誰の弟だって?
また日本から怪物がやってくる。
もう勘弁してくれと、MLBの選手たちは思う。
せめて違う地区に行けと。
ただ世の中はそうそう、運よくいくものではない。
平均よりもはるかに高そうな幸運値を持つ武史は、ワールドシリーズ終了後からすぐに、複数のMLB球団から接触が開始された。
もっともこの時点でいきなり契約を決めるのは難しい。
MLBもまずは既にちゃんとリーグで実績を残している、FA選手に目が行くからだ。
その中で最も、先発を含む投手陣の充実を切望しているのが、ワールドシリーズで敗退したニューヨーク・メトロズである。
上杉という絶対的なクローザーを備えてなお、ワールドチャンピオンには届かなかった。
やはりスーパーエースが一人いないと、勝てないのではないか。
それは別にしても、投手陣を強化することは必要だと思われた。
上杉の獲得のために、プロスペクトを放出している。
なのでこのオフには、かなり積極的な補強と、お買い得な選手を探さなければいけない。
117勝したとはいえ、ピッチャーの防御率はそれほど良くはない。
来年の大介が、ピッチャーからどう勝負されるかにもよる。
打線の中ではカーペンターがFAとなる。
ペレスとシュレンプも、来年までだ。
ただカーペンターはともかくこの二人は、そろそろ年齢の衰えも出てくるだろう。
どうにか戦力を若返らせなければいけない。
大介の契約はどこまで伸ばせるか。
MLBに来るのがせめて25歳であったら、多くの記録を更新したであろう。
だが来年には30歳となる。
おおよそMLBはスタープレイヤーも、35歳ぐらいまでが全盛期だという見積もりをしている。
緊張感が足りないから、複数年契約は嫌い。
大介の言うことが、分からないではない。
球団としてもその方が、戦力の過不足を計算できる。
ただ大介ぐらいになってしまうと、どんどんと年俸が上がってしまう。それだけの実績を毎年残しているのだ。
35歳まで大介がいて、これをチームの軸として考える。
そして投手力を何より高めないといけない。
今年活躍したジュニアは、まだまだ将来性が見込める。
だがオットーとスタントンは、打線の援護という側面が大きい。
二人ともまだFA前で安いため、放出人員には今のところ入っていない。
だがトレードが成立するものなら、普通に放出していくだろう。
一番安定していたベテランのウィッツは、来年が契約最終年。
メトロズとしてはこのウィッツと契約延長をするかは、迷うところである。
とにかく投手力強化が重要だが、それならばキャッチャーの強化も考えないといけない。
今年からFAで市場に出回る中で、一番のキャッチャー。
メトロズとワールドシリーズで対戦した、アナハイムの坂本である。
キャッチャーとしての能力は高いが、左利きという変り種。
バッティングの能力は、かなりのものである。
そしてビハインドの捨て試合では、マウンドに立つことも出来る。
もっともそれはマイナー時代の話で、今年はそんな真似はしなかったが。
キャッチャー変更による投手力強化と、アナハイムから引き抜くことによる弱体化。
メトロズのオーナーであるコールは、普段はあまり口を出さないのだが、ビーンズの今年の補強指針はさすがに尋ねてきた。
そしてそれにビーンズも、今年は投手力、と答えている。
ただ上杉の慰留に失敗したのは痛かった。
そもそも条件がどうこうではなく、本人のNPBへの固い意志があったので仕方がない。
三年一億2000万ドルという、クローザーに対するものとは思えない金額を提示したのだが、それでも全く関心を示さなかった。
メトロズの今年の補強ポイントは、イニングを食える先発一枚とクローザー。
出来ればもう一枚リリーフがほしい。
そう話し合っていたところに、やってきたのがセイバーであった。
主に日本人選手の代理人をしているセイバーの推薦は、無視できないのがメトロズである。
大介のおかげでワールドチャンピオンになったし、そして去年も最後まで優勝を争い、更なる売り上げの上昇を記録した。
アナハイムとの勝率争いは、ポストシーズン前からポストシーズン並の盛り上がりを見せていた。
通常は開幕して少しすれば、観客動員も少し衰えるのだが、大介のホームラン連発のおかげもあってか、ほぼ満員状態が続く。
年間パスも売れて、メトロズの収益は放映権料以外の部分で、かなり上がっていたのだ。
そんなセイバーの紹介が、あのサトーの弟。
「でもお高いんでしょう?」
ビーンズの質問に、セイバーは笑顔のまま答えなかった。
もちろんビーンズは今年のポスティングの目玉になる、武史のことについては調べている。
来年が七年目29歳のシーズンで、日本版サイ・ヤング賞とも言われる沢村賞を二回獲得。
ちなみに獲得出来なかった年の獲得者は、上杉と直史の二人である。
つまりこの10年ほどの間、NPBの沢村賞はこの三人で独占されていたのだ。
そしてセイバーが特に見せるのは、その奪三振数。
デビューから六年連続シーズン200奪三振で、そのうち五年は300奪三振。350奪三振の年まである。
ノーヒットノーラン三回と、圧倒的な奪三振能力を誇る。
直史よりはむしろ、上杉の弟のような能力だ。
「取ろう」
「いいんですか?」
「金は出す」
メトロズのオーナーであるコールは、チームの強化のためには、口を出さずに金を出す、というのが基本のGMにとってはやりやすいオーナーだ。
ただしこれで、サラリー総額は上限とも言えるぜいたく税ラインを超えてしまう。
クローザーはまた探さないといけないのだから。
だが上杉慰留用の資金はまだ余る。
そしてこれによって、ニューヨーカーの馴染み球団を、ラッキーズからメトロズに代えることが可能ではないのか。
実際のところは今のメトロズファンは、ラッキーズからの転向ではなく、新たにMLBに興味を持った者が多い。
それだけダイスケ・ショックは大きかったのだ。
セイバーとしては武史のために、ニューヨークの球団二つに当たってみた。
そう、別に大介だけが有利になるように、立ち回ったわけではないのだ。
ラッキーズに所属すれば、サブウェイシリーズで大介と対決し、同じリーグなのでアナハイムとの対決もある可能性があった。
ただラッキーズは、サウスポーの日本人投手の獲得に、積極的ではなかった。
内部ではかなり激しい論争が行われて、いまだにそちらもケリがついていないそうだが、いつまでも待っていられないのでメトロズに話を持ってきたらしい。
「ニューヨークのチームにこだわっているのかね?」
ビーンズの問いに、セイバーは頷く。
「彼の妻がイリヤの友人だったの」
そんなところにもつながりがあったのか、と驚くコールとビーンズであった。
とりあえず武史の年俸条件は、三年3000万ドル+各年最大500万ドルの出来高。
四年目以降は球団のオプションで、二年5000万ドル+出来高。
破格の年俸ではあるが、上杉に用意していたものほどではない。
トレード先も限定するというオプションがついたため、そのあたりは武史と恵美理の注文どおりだ。
最後にセイバーは言った。
「彼はコマンドに優れたピッチャーですが、あまり自分で配球を組み立てるタイプのピッチャーではないので、キャッチャーの強化は必要かもしれませんね」
ただ、武史の試合の数字を見てみれば、ある意味上杉以上の部分もある。
欠点としては立ち上がりに失点することがあることだ。
それでも試合を普通に完投し、最後のイニングにその日の最速を投げてくる。
セイバーが言わなかった武史の懸念点もある。
それはまず回復力だ。
上杉や直史と違って、武史はNPBにおいては、ほとんど中六日で投げている。
なので一試合に150球近く投げても、平気で次のローテでは完投する。
しかしMLBでは基本、中五日でローテは回す。
その五日間で、果たして回復するのかどうか。
立ち上がりをどうするかと、登板間隔。
そのあたりはセイバーも未解決の問題である。
ただ武史は日本時代、150球投げてもそれが原因で、故障をしたことはない。
一応戦線離脱はあるが、それは打球を受けたものであったり、日常生活における怪我というものだ。
肉体的な基本の頑健さは、間違いなく直史よりも上。
なのでひょっとしたMLBの方が、武史には合っているかもしれないのだ。
現在の武史のスペックは、ストレートはMAXが105マイルで、変化球はツーシームとカットボール、高速チェンジアップにナックルカーブ。
大きく変化する変化球を持っているので、その点では上杉よりも組み立てが多い。
キャッチャーのリードが重要になるのは、確かなことだ。
各種セレモニーに出席して、大介のアメリカでの一年は終わる。
直史が故障で入院していたため、大介は引っ張りだこであった。
ただ多くの記録を残した今年は、それでも最後は直史の勝利で終わった。
ハンク・アーロン賞、ゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞、ナ・リーグMVP、オールMLBチーム。
打撃タイトルも独占と、またも超人的な成績を残した。
ただインタビューなどで、ワールドシリーズの最後の試合、対戦成績的に実質勝っていたのでは、などと言われることがある。
それに関して大介は、そんなことはないだろうと答えるしかない。
「チームを勝たせるのがエースの仕事だし、点を取るのがバッターの役割だ。試合に勝たせたナオに、結局打点はつけられなかった俺、どちらが勝ったのかは明らかだろ」
ただそれでも、直史が故障したことは、大介にとっては微妙に満足なことではあった。
口には出せないが、そこまでしなければもう、自分には勝てなかったのだと。
「来年こそは勝ってみせるさ」
大介はそう言ったが、来年もまたこのカードでワールドシリーズが行われることは、さすがに厳しいのではないかと思う。
戦力均衡がかなり上手くいっている今、一つのチームが覇権を握り続けることは難しい。
メトロズは上杉を取るために、かなりのプロスペクトを放出した。
そのためストーブリーグでの選手補強は、かなり大変になるだろうと言われていたのだ。
年末年始のテレビ出演なども、色々と依頼は来ている。
しかし大介は、年末年始は母に顔を見せるべく、日本へと戻るのだ。
この帰国のためのチケットなども、球団との契約には入っている。
親子六人、なんだかたいそうな人数になってしまった。
ツインズは大家族に慣れているが、大介としてはにぎやかで嬉しい。
父は働いていなかった時も、あまり家にはいなかった。
当時は何をしていたのかと思っていたが、大人になってから聞いてみたところ、近くの中学や高校などの野球部を見ていたそうだ。
なんとも未練がましいことだが、それがその後の指導者としての道につながっている。
父に会いに、山口へも行かなければいけないだろう。
年の離れた弟にはお年玉をあげるべきか。
また年末年始は佐藤家の世話になるかもしれない。
ファーストクラスで日本に戻って、快適な空の旅であった。
だが椿はいまだに杖はついていて、大介は昇馬の手をしっかりと握る。
昇馬は最近より活発になってきていて、目を離せない。
日本の空港に降り立つと、しょうゆの匂いがする。
「ん、ちょっと気分悪い」
「休んでくか?」
里紗と伊里野を乗せたベビーカーを、押すのは桜の役割である。
その桜の体調が悪いのは、ちょっと困ったことになる。
「ん~……いや、これたぶん、悪阻じゃないかな?」
「悪阻って、へ?」
思わず変な顔になる大介であるが、心当たりは散々にあるはずだ。
「たぶん前の時と似たような感じだし」
それほど悪阻が辛くないのは、ツインズは二人とも共通している。
ただ男女差や血液型、また環境の変化などで、悪阻の重さは変わってくるものだ。
慌てて空港から、まずは一番近い大介の義父の病院へ向かうことになった。
おめでたでまちがいなかった。
しかも今回は双子である。
双子から双子が生まれるというのは、なぜかそこそこあったりする。
もちろん双子というもの自体が、そもそも少ないのは確かだが。
「そういや真田のとこも双子だったか」
懐かしのチームメイトを思い出し、大介はまた自分が親になるのだな、と医師の説明を受けていた。
既に三人の父親であり、さらに二人が追加される。
まだ性別は分からないが、とにかく家族が増えるのだ。
肩にかかるこれは、本人が重石と感じれば重石になるのだろう。
だがこれはむしろ、力を与えてくれるものでもある。
自分の背中を押してくれる、家族の存在。
もちろん地元の、学校の、家族の期待はこれまでも感じていた。
だが子供たちというのは、期待するのでもなく、その存在自体が大介に力を与えてくれる。
しかし出産予定日を考えると、またもシーズン中である。
終盤のメトロズがどんな状況にあるか、大介には分かるものではない。
だがレギュラーシーズン中である予定日なので、そうそうに地区優勝は決めておきたい。
あちこちに連絡をした後、とりあえず大介は母の実家である祖母の家に向かう。
ただもう大介の部屋はなくなってしまっているので、この大家族で泊まるのは難しい。
母の再婚先も、嫁いだ娘の家族が戻ってくるという。
ならばやはり、佐藤家に向かうべきなのだろう。
今年の大介は、直史に負けた。
あとほんのわずかに見えるが、同時にとてつもなく大きな差にも思える。
しかし大介は、自分が強くなるための理由を手に入れた。
直史が今年のままなら、今度こそ大介は打つ。
もっとも、上杉のいなくなったメトロズが、アナハイムの打線を封じるのは、かなり難しいことになるだろう。
チームとチームの対決をしなければ、やはりアナハイムには勝てないのではないか。
ただそう思う大介は、勝敗そのものにはあまり、執着がないことにも気づいている。
ひたすら願うのは、直史との対決。
少しでも強い相手と戦いたい。
その願いによって、大介は戦っているのだ。
純粋に野球を楽しむ心。
それは明らかに、直史を大介は上回る。
来年、もしもまた対決が成立したら。
それこそが両者の、戦いの結果を、分けることになるのかもしれない。
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