三章 ここが世界の中心
第53話 沈黙と静寂
※ 本日はピッチャー側とバッター側が同時系列ですので、好きな方からお読みください。
×××
ワールドシリーズが始まる。
メトロズの本拠地シティ・スタジアム。巨大な星条旗が、グラウンドに広がる。
先にアナハイムのメンバーが、監督も含めて呼ばれる。
本日の先発の直史に対しては、大きいな歓声と拍手、そしてブーイング。
去年のエキシビションや、つい先日のラッキーズ戦は、やはりニューヨーカーの心に残っているのだろう。
海の彼方からやってきた、不沈の戦艦。
奇跡のピッチャーに対しては、色々な感情が集中する。
対して大介の名前が呼ばれた時には、スタジアムを砕くような声援が送られた。
クラッシャーだの、ザ・ダイだのアルティメットスラッガーだの、大介も好き勝手に呼ばれている。
だがMLBにおいては、ホームランを打つバッターが一番人気となるのだ。
それが大介のような、MLBの歴史を見ても稀なほどの、小さな選手ともなれば。
かつてはヘビー級が一番人気だったボクシングも、今では層の厚い中量級が人気だったりする。
ただそれは全て、スーパースターがそこにいるかどうかが問題となるのだ。
大介以上のバッターは、今までいなかった。
二年目でおおよその人間は、それを認めている。
そしてついに、両雄の激突が見られる。
アナハイムとの対戦がないメトロズにとっては、本当に強いのはどちらか、やっと証明される。
大介は武者震いをした。
勝てるとは思わない。だが負けるという弱気でもない。
挑戦するに相応しい、今では唯一の存在。
(どれだけ差は縮んだんだ?)
プロの世界でプレイしていた間に、むしろ大介は自分の方が先に行っているのだと思った。
その幻想をぶち壊されたのが、あのWBCの壮行試合だ。
クラブチームで活動を始めて、さすがにあそこで衰えると思っていたのだ。
だがプロ入りした一年目で、直史は全てのピッチャーとバッターに絶望を与えていった。
差は開いていた。
二年前の明確な事実だ。
そしてMLBで一年、まだ差は開いたままであった。
この一年の直史の成績を見れば、やっているスポーツというか、何か大前提が、他の全てのプレイヤーとは違うような気もする。
目を閉じた状態の中で、一人だけ目を開いているような、何か違うものを見ている感覚。
自分が何か、本来ならばここには存在しなかったはずの、何かを呼び戻してしまったような。
出会った時から、何か普通じゃないな、とは思っていた。
自分が成長するのと同じか、それ以上のスピードで成長していった。
戦友であったからこそ、それははっきりと分かっていた。
上杉という目標があっても、傍に直史がいなければ、ここにまでは至らなかったかもしれない。
去年のエキシビションの結果を、忘れているメトロズの選手はいない。
逆襲するために、全員の調子はピークになっている。
トローリーズを倒した勢いもある。
だがそういった全てが、無駄なものではないかと大介は思っている。
これだけやったからとか、執念が違うとか、プライドを賭けてとか、そういうものでは足りない。
もっと純粋で、だからこそ残酷で、それでいて奇跡的な何かを、直史は持っている。
大介が打って行っても、直史が投げなければ、高校時代では勝てなかった。
たとえば一年の秋の関東大会は、直史のスタミナ切れが、結局は敗因となった。
大阪光陰はともかく、直史が投げられないか、直史以外がミスをした試合で、白富東は負けていた。
大学やプロでも、だいたい試合に敗北するのは、ほとんどが直史とは無関係の状況であった。
直史の中学時代の話は、大介もよく聞いていた。
ただ、ひたすらに勝ちたいと、それだけを願っていた。
だから勝つためには、あらゆる方向からアプローチをした。
その全てが無駄であったが、高校時代には無駄ではなかったと証明できた。
ただ、勝つために。
直史の考えていることは、その一点だけに集中している。
メトロズの先発はジュニア。
トローリーズの対決が第六戦までかかったため、ピッチャーたちはやや疲弊している。
その中で一番元気なのが、中六日のジュニア。
若いので回復力があるということも理由だろう。
だが大介からすると、直史相手には明らかに、力不足であるとは言える。
だがこの第一戦を、落とすという選択肢もない。
MLBはポストシーズンに入ると、本気の勝負が始まる。
レギュラーシーズンにはない、短期決戦が目的だ。
なのでピッチャーにも、それなりに無理がかかる。
それでも試合を捨てられない、この合理性からは離れた魂。
MLBのベースボールの本質がここにある。
(けど正面からいけば、明らかに失点するのは分かっている)
分かっていてもやめられないというのは、大介はけっこう好きではある。
先頭打者を打ち取り、次にアナハイムの二番はターナー。
オールスター以降に打ち出した、おそらくアナハイムで一番危険なバッターだ。
四番という昔ながらの主砲ポジションで養成。
そしてこのワールドシリーズで、二番に持ってきた。
おそらくそれは、直史が先発であることと無関係ではない。
一点あれば勝ってくれる。
大介の知る限りでは、かつて直史が所属した、全てのチームが思ったであろうこと。
一点あれば、佐藤直史は勝利する。
そもそも大学もクラブ時代もプロ入り後も、負けた試合は公式戦では一度もない。
クラブチーム時代の練習試合では、少し負けがついたこともあるらしい。
その頃は直史が、おそらく生涯で一番、勉強をしていた日々だ。
ターナーはジュニアを打った。
ライト線沿いの打球で、これでワンナウト二塁。
ここから本来のクリーンナップなので、危険性はある。
だが四番のシュタイナーは、内野ゴロに終わった。
その間にターナーは三塁まで進んだが、これで普通にアウトを取れば、それでスリーアウトチェンジになる。
だが、四番に座っていたのが坂本であった。
キャッチャーのクセに足がそこそこ速い坂本は、ジュニアのボールに上手くバットを被せていった。
内野で高く弾んだボールが、セカンドの頭を越えていく。
長打を狙わない、まずは一点という坂本の合理的なヒッティング。
スモールベースボールを、坂本は知っているのだ。
初回の失点はこの一点のみ。
だが直史相手に失点することの意味を、大介はちゃんと分かっている。
(打つしかないな)
そう考える大介は、自分以外のバッターに頼ることは、基本的にやめることにした。
今日は二番を打つ大介であるが、これは失敗だったかもしれない。
ただ期待値的には、リードオフマンのカーペンターを前に置いて、二番の大介がケースバッティングするというのが、一番いいはずではあった。
それでもカーペンターへの配球を見て、まずいとは思う大介である。
直史のカーブの、ストライクゾーンが広がっている。
カーブというボールはスプリット系以上に、審判泣かせなところがある変化球だ。
ゾーンに斜めに入っているため、ホームベース上ではゾーンを通っていても、ミットに収まるときには下手をすればワンバンしていたりもする。
直史はこのカーブの角度やスピードを変えることで、カウントを整えるにも、決め球にするにも、かなり自由自在に扱っているのだ。
少なくとも高校一年の春まで、直史の決め球はカーブであった。
スルーという魔球を使うようになってからも、カーブの割合が一番多かった。
もっとも他にもいくらでも変化球があったため、カーブがあまり目立つことはなかったが。
バッターボックスに入った大介にとって、直史は別に大きく見える存在ではない。
そういった種類の圧力を、直史は持っていない。
ただアウトを取るためだけのマシーン。
しかしその奥底には、名状しがたき情念が眠っているのを、大介は知っている。
おそらくカーブを上手く使ってくる。
大介はそう考えていたが、いきなりカーブを使ってきた。
カーペンターに使ったスローカーブではない、スピードもあるパワーカーブ。
大介もこれを見逃す。
(どうだ?)
大介は打てる球を打ってしまうため、選球眼がいいとは思われていない。
だが大介が打たないと判断したボールを、審判はどう判定するのか。
ストライクか。
(これは難しくなってきたぞ)
このカーブが今日は、ストライクとしてカウントされるということだ。
確かにゾーンは通っているが、高校野球ならおそらくほとんどがボール球になる。
ただプロの舞台で審判が認めたなら、今日はもうストライクだろう。
メトロズの打線を封じるために、効果的なボールになってしまった。
ストライク先行となり、次に何を投げてくるか。
アウトロー。ボール球だとは思うが、ストライク判定されるかもしれない。それに何より――。
(打てる!)
そう思った先で、わずかにボールは逃げていく。
大介はそれを打ったが、ミートポイントの外だ。
飛距離だけは出たが、完全にポールの左に切れた、大きなファールボール。
(打たされたか)
これであっさりと、ツーナッシングになってしまった。
おそらくここから直史は、ゴロを打たせる配球を使ってくる。
そして大介はそれを、どうにかホームランにしなければいけない。
三球目はアウトローのボール球。
どうせこれも変化してくるのだろうと思ったら、変化せずにどうにか腕を伸ばしてカットする。
四球目はスルーが来た。
この伸びる球に詰まらされないように、大介は必死でファールで逃げる。
まともに打てる球が来ない。
今から考えれば、初球のカーブが一番、まともに打てそうな球ではあった。
もっとも実際に打っていけば、ミスショットでフライになっていた気もする。
直史のカーブは初球から狙っていく球ではない。
それが分かっているからこそ、初球にカーブでカウントを取りにきたのか。
ここからは、粘り合いになる。
五球目のカーブは、ある程度心構えが出来ていたため、無難にカットすることが出来た。
ただこれを長打に、特にホームランにするには、かなりのリスクが必要だろう。
線ではなく点で、ボールを捉えなくてはいけない。
下手に狙うのではなく、これはカットするべきだ。
カットの意識があったため、次に投げられたスルーもカットしてしまった。
見送っていればボール球の、低いスルーであった。
まさかとは思うがこれも、ゾーンを広げる布石であろうか。
確かに高低を見分けるのは、審判にも難しいだろうが。
おそらくどこかで、アウトローのストレートを投げるのではないか。
直史のストレートは、低いと思うと案外ホップする。
だが七球目は、またしてもスルー。
そう思ったがわずかな反射で、バットのスイングを止める。
チェンジアップだ。
ようやくボールカウントが増えた。
久しぶりの対決ではあるが、本当に球種が多いし、緩急がついているし、コントロールがいい。
まあこんな調子で投げられたら、バッターは早いカウントから打ちにいきたいよな、と大介も思う。
(でもそれじゃ思考停止だろ)
八球目は期待していたストレートが来たが、外にも上にも外れていた。
ちょっと意図が分からないストレートだった。
他のバッターならともかく大介なら、瞬時にボール球だと気付く。
(内角でしとめるための布石か?)
そう思ったらまさにスライダーが内角に入ってきたのだが、バットはそれをファールにした。
今のも見逃していればボールと言うか、下手をすればデッドボールになっていた。
直史のボールで、まだ投げていないボールは何がある?
(遅いシンカー……いや、俺なら打てる)
もう一度スルーを投げてくるか。
ボール球が使えるのだから、一度カーブを使ってみて、それの見逃しを狙ってくるか。
狙い球が絞れないというのは、本当に面倒なことだ。
だがおそらく、次はカーブ。
しかし力感のない直史のフォームから繰り出されたのは、ストレートだった。
打てると思った。
だが思考のどこかで、警鐘が鳴っている。
高めのストレート。これはゾーン内だ。
さっきのストレートに比べれば――さっきの?
思考は無限ではない。
バットはボールを迎えて、そしてスイングでボールにスピンをかける。
そう思っていたのだが、バットに思ったような粘りがない。
(ミスった!)
これはここからファールに逃げられるものではない。
ならばあとは、直史の計算を超えて飛んで行け。
腰の回転で、パワーをボールに伝える。
大介が凡退するのは、多いパターンでは打球が、外野の正面に飛んでしまった場合。
ライナー性の打球が、そのまま外野の捕球範囲にあった場合だ。
ただこの打球は、それにも失敗していた。
スピンをかけようとすると、ぬるりとその力が逃げていく。
高く上がったボールは、だがそれも外野のほぼ低位置。
センターフライとなって、そのグラブにしっかりと収まった。
(フラットか)
かつて直史が使っていた、ストレートのある種の発展型。
確かに今のストレートも、わずかに体が沈みこんでいた。
だが以前のような、明らかに違うフォームではなかった。
(いや、ボールにばかり目がいってたけど、今日はあいつ、同じフォームでしか投げてないよな)
同じフォームから、各種変化球を投げていたのだ。
そこからわずかに変化して、ストレートの伸びるタイプを投げてきた。
外角高めのあのボール球は、それと上手く対比させるものだったのか。
ならばわざわざスライダーを投げて、目を低めに向けさせたことも分かる。
ゾーン内の高めのストレートをしとめ損ねた。
だが大介に、屈辱感はない。
「佐藤はどうだ?」
上杉の問いに、大介は笑みさえ浮かべて答えた。
「相変わらずですよ」
相変わらずの、とんでもなく打てないピッチャーだ。
「だがあと二打席はあるな」
「二打席……三打席あったらな……」
やはり一番で打っておけば良かったか。
だがそれはそれで、カーブの問題があったかもしれない。
三番のシュミットも打ち取られて、一回の裏のメトロズの攻撃は終わる。
二回の表のアナハイムは、六番からでそれほど強力ではない。
下位打線も強力なのはメトロズだが、大介は直史のピッチングが、やはりいつもよりも広いバリエーションで投げていると感じられる。
メトロズのクリーンナップ、ホームランを30本以上打っている四番と五番が、カーブを打てない。
結局二回の裏も、メトロズは一人のランナーも出せなかった。
三回の表は、少し注意が必要だ。
一回の表に、先制点のきっかけとなった、ターナーの打席が回ってくる。
マウンドのジュニアは、それを意識しているだろう。
年代もほぼ同じで、今後も戦っていくかもしれないし、逆に共に戦うこともあるかもしれない選手。
意識するのは当然のことだ。
そのターナーを確実に打ち取るために、ジュニアは前の二人のバッターを確実にアウトにする。
直史と違って打たせて取る、ということをそこまで確実に出来るわけではない。
だが球威で押すことで、どうにか詰まった打球を打たせている。
そして二打席目のターナーの打順となる。
二点目を取られたらかなりまずいな、と大介は思っている。
直史から取れるのは、おそらく多くても二点だ。
大介一人の力で、果たして打てるものかも分からない。
だが二点目を入れられれば、おそらくこちらの打線の、心の方が折れてしまう。
パーフェクトと言うか、完全に抑えられてしまうことに、慣れたバッターなどはいない。
そんな負け犬は早々に、MLBの舞台から消えているだろう。
屈辱にも折れず、闘志を燃やす者こそ、また立ち上がって戦うことが出来るのだ。
ターナーはフライ性のボールを打ったが、それは充分に外野の守備範囲内。
出来れば三振に取りたかっただろうが、そのためにはジュニアにはまだ投球術が足りない。
大介の知るような優れたキャッチャーに任せれば、メトロズのピッチャーの中でも、特に若手のジュニアは成長するだろう。
だがメトロズに限らず多くのチームは、キャッチャーにまで打撃を求める。
そんな打撃を求められているのが、メトロズの下位打線だ。
だがメトロズが三回の裏、何が出来たか。
何も出来はしない。大介には分かっている。
直史は大介を打ち取って以降、無駄球を投げないようになった。
特にこのイニングは、追い込んでからはボール球を投げることもあるが、それで空振りを取るのだ。
三人を相手に、三振一つであとは内野ゴロが二つ。
まさに理想的な、打たせて取るピッチングをしている。
大介が一人で10球も投げさせたのに、あとは全員が三球で終わってしまっている。
さすがにある程度の偶然や運もあるが、やはり完投ペースで投げているのだ。
次のイニングには、大介の二打席目が回ってくる。
だが三回まで、メトロズは一人のランナーも出せていない。
直史にとっては珍しいことではないが、三回まではパーフェクトということだ。
やはり、もう一点もやってはいけない。
そう考える大介は、アナハイムのクリーンナップの打球を、飛翔してキャッチする。
素晴らしいプレイにスタジアムが沸くが、だがこれは劣勢を意識しているからだ。
初回に一点を取られてしまって、バッターは大介以外は淡々と、ただ打ち取られていく。
もちろん三振ばかりではないのだが、二球で確実に追い込まれてしまう。
こんな状況では、守備のスーパープレイが出たところで、流れが変わるはずもない。
打たなければいけない。
そして打てるのは、自信過剰ではなく、自分しかいない。
カーペンターの後ろ、ネクストバッターズサークルで待機し、大介は直史のピッチングを見る。
球速はそこまで出ておらず、明らかに組み立てで打ち取っている。
それでも追い込んだら、しっかりと三振も狙っていくのだ。
まさに悪夢だろうな、と大介は他のバッターの気持ちは分かる。
だが直史は大介を相手に、全く逃げなかったのだ。
逃げずにしっかりと、打ち取るピッチングをしてきた。
それが嬉しい。
バッターとピッチャー。
野球の中における、究極の個人技と個人技。
二度目の対決は、まだ両者のどちらにも、流れはいっていない。
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