第30話 祭りの前

 ホームランダービーが思いのほか盛り上がり、そして翌日はオールスター。

 毎年人気は衰えていたところであるが、今年はこのオールスターで成立する対決が注目されている。

 大介と直史、大介と上杉の対決である。

 一応オープン戦では、上杉と一打席対決している。

 その時は大介が勝ったが、まだ上杉は本調子ではなかった。

 今もまた、全盛期にまでは戻っていないと思う。

 だがそれで30セーブ以上を達成しているのだから、傑出しているのは間違いない。


 そして直史との対決である。

 MLBではリーグも違えば西海岸と東海岸の違いもあるため、まだ対決がない。

 ただし日本時代の対決に限れば、ポストシーズンを合わせても15打数1安打。

 大介のいたライガースは、日本最強打線と言われながらも、パーフェクトに抑えられた。


 それ以前のわずかな対決も、おおよそ大介が負けている。

 もっともアマチュア時代は、味方として共に戦ったことがほとんどであるのだが。

 部内紅白戦では、それなりに大介も打っている。

 ただその頃の直史は、まだ球速が90マイルほどしか出ていなかったのだ。


 オールスター前夜、普通にホテルのレストランで、直史と大介はテーブルを囲んでいた。

 お互いに同行してきた、チームメイトは連れてきていない。

 明日の朝にはツインズも来るらしいが、それまでは兄弟二人だ。義理だが。

 他にも日本人選手は出場しているが、今日はこの二人だ。

 同じ高校の出身として、アレクは誘おうかと思ったのだが、女の子と遊びに出かけているらしい。


 そして大介から口を開いた。

「随分投げてたけど、大丈夫なのか?」

「少しは疲労が残るな」

「明日先発なんだろ?」

「一回だけだけどな」


 オールスターのピッチャーは、最高でも三イニングまでしか投げられない。

 だが昨今の選手の集め方から、一イニングを投げるのがまず最高になっている。

 三イニングも投げたら、故障の確率が上がってしまう。

 もっとも野手の大介は、おそらく一試合を通して出場するだろうが。


 オールスターに出場することを、インセンティブの条件にしている選手もいたりする。

 またMVPも存在する。

 しかし小額ながら賞金が出る日本のオールスターと違って、MLBのオールスターMVPは完全な名誉のみ、

 その名誉こそが素晴らしいのだと言われるのかもしれないが、別に野球の名誉にはもう興味がないのが直史だ。

 一イニングしか投げないのに、そこで成績を出すことに意味はない。

 ただ大介にとっては、全く意味がないことではない。


 今日の直史の投げ方を見ていて、その最も適した投げ方とする。

 そこに自分のスイングを合わせて、直史のピッチングの幅に合わせる。

 それでどうにか、コンビネーションやタイミングの外し方に、対応出来るようになるのではないか。

 直史のフィジカルは、もう直史なりの限界まで鍛えてある。

 そしてテクニックも、これ以上向上する余地はないと思う。

 だが経験は蓄積していく。


 相手の心理を洞察し、そしてコントロールで翻弄する。

 本来なら直史は、40代の半ばぐらいまで、プロで通用するようなピッチャーだと思うのだ。

 本格派より技巧派の方が長生き。

 実際はそうとも言えないところもあるのだが、大介の見る限りにおいては、直史はそのコントロールとコンビネーションで、いくらでもアウトが取れる。

(もったいねえな)

 そう思ってしまうが、直史が希望しないのだから、それは仕方のないことだ。

 ただ、どうせ弁護士資格は欠落する理由などまずないのだから、限界まで野球をやってから、弁護士をやってもいいじゃないかとは思うが。

 しかし家族との時間を考える直史は、そうも言っていられないのだろう。

 田舎の旧家の長男というのを、大介は少し見た。

 今、こうやってアメリカに来ているのも、かなり特殊な状況なのだ。


 五年間、と大介は望んだ。

 20代後半から30代にさしかかる、人生で最も充実した肉体の時間。

 残り三年間で、大介は直史に勝たなければいけない。

(チームスポーツだの、記録だのは関係ねえよな)

 純粋な、個と個の対決。

 大介が望むものは、それだけだ。


 大介のモチベーションは常に、強い相手との対戦で育まれてきた。

 絶対的な強者と、対決するところまでの鍛錬。

 上杉という絶対者を早めに知ったことが、その後の野球人生には大きな影響を与えている。

 ただ直史は、絶対的な存在ではない。

 大介の研鑽してきたものとは、全く別方向の力を持っている。


 元チームメイトということも、また親戚になったということも、二人の距離を近づけすぎた。

 ただそれでも、直史は大介にとって、一つの到達点ではある。

「今日のあの声をかけてきたの、やっぱり盤外戦術なのか?」

「お前がそう思うなら、そうなんだろうな」

 事実上認めたようなことを言うが、大介としてはそれをそのまま受け止めるわけではない。

「なあ、お前にとって野球ってなんなんだ?」

「野球観の話か?」

「まあそうなるかな」

「スポーツで、今は仕事だな」

 直史の返答は、あまりにも表層的なことだ。

「人生においては野球は?」

「まだこの話続くのか」

 直史はややめんどくさそうな顔をしたが、答えは割りと簡単に出てくる。

「きっかけだな」

 直史の人生を、大きく変えた。

 生涯の伴侶と出会うきっかけにもなったし、そこから人生の方向性も決まった。

 大学ではアルバイトのかわりに野球をしていたし、今はわざわざこんな海の彼方まで来ている。


 野球がきっかけで、直史の人生は大きく変わった。

 確かにこれによって、その人生は鮮烈なものになったと言える。

 ただあくまでもきっかけであって、人生を野球に捧げようなどとは思ったことはない。

 たった一回、勝ちたかっただけなのだ。

「お前の場合は、全てか?」

「さすがに全てじゃないけど、中心かな」

 大介の言葉も分かる。


 大介は中学まではまさか、野球で食べていくとは思っていなかった。

 高校生になっても、なかなかそんなことは考えていなかった。

 将来的には母親に苦労をかけた分、公務員にでもなろうかと思って、無理をして進学校に入ったのだ。

 だがそこからは、完全な野球におけるスポーツエリートの道を歩んでいる。


 高校野球では甲子園で大活躍し、ドラフト一位でプロに入団。

 そこから新人王やMVPなどを取り、ありとあらゆる記録を塗り替えていく。

 やがて世界最高のリーグと言われるMLBへ。

 そこでも大活躍して、おそらく史上最強のバッターと言われている。


 そのあたりは直史も、尋ねてみたいことはあったのだ。

「そういやお前って、七年目あたりでポスティング使ってMLBに来ようとか思わなかったのか?」

 大介は海外FA権を取って、そこからMLBにやってきた。

 だがライガースにしても、過去にポスティングでMLBに選手を移籍させた経験がないわけではない。

 いくら大介が代えの効かない存在だとしても、FAでそのまま行かれるよりは、ポスティングの方が球団に金が入ってきたのではないか。

「球団的には俺が二年間いた方が、金銭的にはありがたかったみたいだよ」

 年俸は莫大であったが、チケットやグッズなどで、充分にペイしたのだろう。

 それでもポスティングの方が、金は入ったのかもしれないが。

「事情が事情だったからなあ」

 大介としては、別にMLBは目標ではなかったのだ。


 上杉がいて、そして直史がやってきた。

 日本の緻密な野球の方が、大介を封じるのには向いていた。

 NPBのレベルが既に、MLBを凌駕しているとかは言わない。

 だが大介にとってはNPBの方が、なんとか工夫して自分と対決しようとしてくれるリーグであった。

 実際にプレイ的には、力で押す雑なMLBの方が、大介には向いている。

 それでもあのスキャンダルがなければ、別にMLBには来なかっただろう。

「あれがなければ普通に日本でやってたろうしな」

 正直なところMLBでプレイするというのに、いまだに忸怩たる想いがある。

 大介にとってMLBでプレイすることは、挑戦ではなく移籍であった。

 実際にそう言ってもいい成績を残している。

「あれ、どこから漏れたんだろうな」

「……普通に買い物とかは一緒に行っていただろ? そのあたりから状況証拠を積み重ねて、飛ばしの記事にした感じか?」


 直史はなんとなく、あのスクープの裏の事情が、分かったつもりでいる。

 おそらくツインズも気付いているだろう。

 だがあの時点での大介には、良かったのかもしれない。

 それに大介はMLBに来ることによって、世界的に見ても成功したスポーツ選手となった。

「まだ先の話だろうけど、引退したらコーチとか監督とかの話が来るんじゃないか?」

「んあ? あんまりそっち方面の仕事はしたくないな」

 大介は教えるのも別に下手ではない。

 だが一定以上のレベルになると、どうしても自分の才能に依存する。

 なのでコーチに向いてはいないし、監督をするにも一匹狼気質がある。

「独立リーグでぼちぼちプレイしたり、解説者の仕事したりするんじゃないかな。あ、高校野球ならコーチしてもいいや」

「プロの球団とは関わらないってことか?」

「40歳までプレイしたとしたら、昇馬がもう15歳だろ? そのあたりなら家にいて、普通に家族と顔を合わせる生活の方がいいと思う」

「そうなのか」

 正直意外なことだ。前にもこんなことは話さなかっただろうか。


 日本人MLBプレイヤーの中には、MLBで実績を残した後、NPBではまだ通用するのでは、と思われる力を残して、実際にNPBに戻ってくる者と、MLBでキャリアを終える者がいる。

 大介の場合はまだこれが二年目であるため、先のことなどは分からない。

 だが体格からしても、体重が関節などの負担になりにくいことは考えられる。

 なのでショートはともかく、他のポジションでは長く続けられるのではないか。

 そしてそれより重要なのは、バッティングがどれだけ維持出来るかだ。


 直史としては、一応妹の婿のことだけに安心する。

「色々と考えるようになったんだなあ」

「お前の妹たちの影響だよ」

 ツインズは現在、社会的な立場を言うならば、大介という商品をマネジメントする会社の社員である。

 個人事業主の大介であるが、その仕事は別に野球だけに収まるわけではない。


 大介の知らないところで、大介の資産は莫大なものになっていた。

 そしてシーズン中は長く家を留守にする大介に対して、何も文句を言わずに育児も家事もしっかりとやっている。

 ただそれは二人であるからと、あとは家事に関しては外部に任せたりすることもあるからだ。

「金はいいよな。日本時代の最初は、現金の預金高が増えていくだけで、けっこういい気分になれたもんだけど」

「確かにそれはある」

 直史はプロの世界に入るより先に、弁護士として働いていた。

 高給取りと言われる弁護士は、確かにそれは間違いでもないのだが、なかなか街の弁護士が、プロ野球選手ほど稼ぐのは難しい。

 もっとも直史の場合は、まず事務所のほうに仕事が入るから、そこから給料をもらうという形になっていたのだが。

 基本給プラス成果報酬型だ。


 日本での二年目は、年間一億一千万円に、インセンティブが付いてきた。

 そしてMLBでは、三年契約の3000万ドル。

 ここまでくるともう、感覚が麻痺してくる。

 ただ直史は、基本的にこれらで、何かを買おうとは思っていなかった。

 車にしてもタクシーを利用すればいいし、住居は球団の用意してくれたものだ。 

 パーティーに誘われるなどということも、シーズン中にはありえない。

 シーズンが終わればさっさと日本に帰って、のんびりとしたいのだ。色々と表彰に出席などはしないといけないが。


 弁護士という職業になると、刑事事件よりも、民事事件に関わることが多くなる。

 特に佐倉法律事務所の場合は、街の弁護士さんだ。

 抱えている顧客は中小企業や、地主などの資産家が多い。

 地域に根付いているということは、完全な先行者利益。

 日本に帰れば直史も、金は銀行に蓄えておくより、どうにか運用した方がいいのだと分かっている。

「そういえばお前のところはセイバーさん来てるか?」

「来てるな。そっちもか?」

「あの人が何を考えてるのか、いまだによく分からないんだよな。嫁たちは知ってるみたいだけど」

「そういえば瑞希も話したとか言っていたな」


 高校時代のセイバーは、自分の球団が持ちたいなどということも言っていた。

 だが16球団構想は、長らく日本では頓挫している。

 国内全体の景気の浮揚がなければ、新球団の設立は難しいのだろう。

 それよりはむしろMLBで増やす方が、現実的ではないのか。

「恩はあるけど新しくチームを作ってそこに来てくれ、とか言われたら困るな」

「それはそうだろうな。むしろあの人なら、普通に既存の球団を買収するんじゃないのか?」


 NPBにおいても過去に、球団の身売りの話はあった。

 しかしそれは、企業から企業に対するものである。

 MLBの場合はオーナーが交代するというのは、それなりにあるものだ。

 MLBだけではなく、アメリカの四大スポーツが本拠地を変えたりすることは、そこそこあることだ。


 それにメトロズやアナハイムのように、ほぼオーナーが一人という球団もある。

 元メジャーリーガーのスーパースターが、権利を一部買って共同オーナーというのも珍しくはない。

 セイバーの今の資産がどれぐらいになっているかは知らないが、それぐらいは出来るのではないか。

 もっともそこから利益を出すというのは、それとは別に難しいことだ。

「プロに来てから分かったけど、日本の社会はサラリーマンに有利なように出来てたんだな」

「と言うか、そもそもプロスポーツの選手は、現役中から色々と考えておかないと、引退した時に詰むよな」

 大介はまだ二年目であるが、そういった怖い話は聞こえてくる。

 メジャーでアメリカンドリームを掴んだ人間の、引退後の悲惨な末路。

 それはMLBだけではなく、プロスポーツの選手全体に言えることだが。




 久しぶりに日本語だけで、気兼ねない男同士の会話が出来た。

 大介はそう考えていたが、直史もまた大介と話して、大人になったものだと思ったりした。

 基本的に直史は、大介のことを永遠の、野球少年だと思っている。

 今でも本質は変わらないだろうが、ちゃんとそこに付け加えられているものがある。


 大人になったと言うよりは、大人の世界で戦えるようになった、と言うべきか。

 計略と陰謀が好きなのは、ツインズあたりである。

 あの二人は成長すれば成長するほど、危険さが増している。

 大介というセーフティを見つけてくれて、本当に良かったと思う。


 29歳のこのシーズン、直史の環境は大きく変わった。

 中学から高校、高校から大学、そして就職してからプロへと、色々と変化はあった。

 だが海外を拠点として、過密日程で移動を続けながら、中五日で投げていく。

 これほどまでに変化したのは、本当に初めてだ。


 その夜、直史は瑞希とも話した。

 大事をとってアナハイムにいたままであるが、瑞希もホームランダービーは見ていたそうだ。

 真琴も一緒に見ていたが、いつもと違う直史の投げ方に、不思議そうにしていたのだとか。

 そろそろ子供は子供なりに、色々なことに興味を示してくる。

 自分の場合はどうだったかな、と直史は思い出す。

 はっきりとしているのは、世の中の多くは、建前で成り立っていると教えられたことだ。


 古くからあるものは、出来るだけ残しておいた方がいい。

 直史の思想は、完全に保守派である。

 真琴は生まれたときこそ、心臓の欠陥で大変なことになったが、今ではもうそんなことはなかったかのように、元気に動き回っている。

 むしろ普通の子供よりも、ずっと元気なぐらいだ。

 瑞希の仕事というか、収入源になるものが、家の中でどうにか出来るものだというのもいい。

 もっとも身重の身であるため、シッターを雇ってはいるのだが。


 現実的な直史は、金銭によって手間隙を省略することを、全く悪いことだとは思っていない。

 自分自身は祖母の手によって育てられたという意識が大きいが、自分や瑞希が手ずから子供を育てるというのは、絶対に必要なことだとは思わないのだ。

 そのあたりアメリカにおいては、働く女性というのは全く珍しくない。

 専業主婦をしているように見える人間も、実は周囲の面倒を一緒に見ていたりする。

 ただそういった生活はアメリカと一言で言っても、普遍化したりなどはしていない。

 多様性というのは、確かにアメリカでは存在する。

 その基準から見れば、直史と瑞希などは、明らかな勝ち組に入るのだろうが。


 あと二年と半年。

 直史はアナハイムに住んで半年ほどで、暮らしには慣れてきたが、全く郷愁を感じない。

 やはり日本人は、日本にいるのが一番だと、そう思ってしまうのが直史である。

「けれど英語が使えるようになっておくのは、将来的にもいいことかな?」

「そうかもしれないけど、言語が定着するのは確か八歳ぐらいでしょ? それまでこちらにいるわけじゃないし」

 幼稚園の年代で、真琴は日本に帰ることになる。

 そう思うと今の時点から、育児というか学習については、考えておかないといけないのか。


 一試合でパーフェクトなどをするよりも、ずっと難しいことだ。

 育児というのはこれから先も、ずっと続いていくのだから。

 人間一人を育てるというのは、明らかに野球で成功するより難しい。

 直史がそう言っても、おそらく頷いてくれる人間は、あまり多くないであろう。

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