第13話 刻み続ける

 ホームに招いての対サンフランスコ戦。

 三連戦のうちの二試合を終えれば、四月の試合は終了。

 大介の成績は、開幕のスタートダッシュから比べれば、やや落ち着いたものになっている。

 だが勘違いしてはいけない。

 比較対象となるのは、あくまでも他のバッターではない。

 大介自身の、好調時の数字である。


 当初は打率は五割を超えていたし、出塁率は七割を超えていた。

 しかし今の大介は、打率が四割を超えて、出塁率が六割を超えたところ。

 これでも控えめに言っても、人間ではない。


 サンフランシスコ戦の二試合では、ホームランは出なかった。

 大介の成績の恐ろしいところは、ホームランを集中して打つのではなく、コンスタントな間隔で打つことだ。

 そういう流れじゃないだろう、というところで牙を剥く。

 そしてあっさりと点が入る。跳んで走って点を取る。

 ホームラン以外でも、とても魅力的なプレイヤーだ。こういうのでいいんだよ、の代表とも言える。


 ともあれ四月が終わった。

 もはや恒例の、プレイヤー・オブ・ザ・マンスである。

 大介の本当に異常なのは、状態を維持し続けていることだ。

 実は一ヶ月だけ限定であれば、大介並の数字を残した選手がいないわけではない。 

 走力も兼ね備えていては、さすがに他にいないが。

 MLBトップ選手の絶好調を、普通に維持し続ける。

 これが大介の驚異的なところだ。


 打率0.464 出塁率0.654 OPS1.814

 ホームラン13本、打点34点、盗塁13個。

 そして三振は2である。


 大介としては一つの憧れとして、シーズン200本安打というものがある。

 NPB時代も一度も達成していない。

 去年はかなり惜しかったのだが、あの事件があった。

 あれさえなければ、達成していただろうと思うのだ。

 もっとも去年のフォアボールを、単打扱いと考えていいなら、300本安打分の価値はある。

 それにリードオフマンではない大介に期待されるのは、やはり長打なのである。

 前にランナーがいなければ、リードオフマンもやってのけてみせるが。


 今年はやや開幕が、いつもよりも遅い日程であった。

 そのため一ヶ月と言っても、去年よりは試合の数が少ない。

 22試合で13本というのは、二試合に一本は必ず打っているということ。

 シーズン80本を期待されているのだろうか。


 そんな大介でさえ、直史の記録には意識を引かれる。

 やはり最強のピッチャーである。

 ただ、確かに対決すれば手強いし、勝敗を見ればほぼ完全に負けているのに、苦手意識や対抗心は芽生えにくい。

 元が同じチームであったということもあるが、大介の感じるピッチャーの強さとは、違うものを直史は持っているのだ。

(本質的に野球選手でも、アスリートでもないんだよな)

 だからこそ完全に、効率を極めた練習や投球をするのだろうが。

 思考回路が違うし、思考の順番も違う。


 MLBにおいても、精神論から技術論、そしてデータ論への変異があった。

 だが大介は技術論はともかく、実はデータ論はあまり信じていなかったりする。

 信じていないが言いすぎだとすれば、過信しないといったところか。

 技術論におけるデータならば、それは物理法則に関連するので、おおよそは頷けるのだ。

 だがデータで野球をするというのは、野球の本質ではないなと考える。

 追い込んだ状態からアウトローへのストレート。

 一番打つのが難しいと言われているコース。

 困ったときのアウトローなどと言われているが、ピッチャーを困らせてしまえば、かなりの確率でそこに投げてくる。

 実際にはプロでもある程度のコントロールミスはあるし、確かにボールのパワーだけで打ち取れる場合もある。

 だが大介相手には、これは通用しない。


 データ論はあくまで統計。

 練習などには役に立つが、試合はデータを信用してはいけない。

 プロの一年間を通しての試合でさえ、本当は統計を当てにしてはいけない。

 そのあたりは高校時代から分かっていたことだ。

 セイバーはデータを出してはいたが、判断は選手に任せていた。

 データに自分の色を付けない。

 それがセイバーの指導法と言うか、チーム運営に対するスタンスであった。


 完単に言うと野球というのは、騙しあいであるのだ。

 この騙し合いの要素を少なくしようという思考も、もちろんある。

 正確に言うと裏を書くことの要素よりも、絶対的に力で上回り、統計的にいい結果を残そうというものだ。

 MLBにおいて投げる球をリードするのは、あくまでも最終的にはピッチャーが決める。

 それは自分の一番いい球を、ピッチャーが投げたいという欲求によるものだ。


 これは別に悪くないし、だからといってNPBのキャッチャー主体のリードが悪いというわけでもない。

 ただしMLBのキャッチャーはNPBに比べると、若いうちから活躍することが多いという。

 NPBのキャッチャーは、言うなれば頭脳職。

 そのため思考力が多くなり、また経験なども豊富に求められる。

 もちろん肩や守備がよく、そしてバッティングが良ければ、多少のリードの未成熟は見逃される。

 あるいは他のポジションにコンバートされるか。


 MLBのキャッチャーにも、もちろん頭脳労働が求められないわけではない。

 だが配球についてはベンチからの指示をすることも多く、ベテランキャッチャーと若手キャッチャーで、求められるものが違ったりする。

 つまりMLBのキャッチャーの方が、NPBよりも現場で育てる場合が多いのだ。




 直史のピッチングは、単なるデータ論ではない。

 バッターは必ず、自分の得意なコースであっても、特定の場面では打ち損じることがあるのだ。

 大介も経験している。完全に張り詰めたところに投げられた、ど真ん中のハーフスピードのストレート。

 完全にありえないと考えていたため、体が反応しなかった。

 坂本であればむしろ、あんなボールをさらに要求してもおかしくはない。

 いや、直史の技術であれば、そんな危険は冒さずに、普通にバッターは打ち取れるか。


 駆け引き、読み合い、投球術。

 どう言ってもいいが、直史はそちらの方が抜群に優れているのだ。

 球種の選択肢が多いだけ、バッターは様々なパターンを予想しなければいけない。

(初球狙い自体は間違ってないんだ)

 大介はそう考える。


 初球でストライクを取るなりボール球を投げるなり、そこでのバッターの反応を見てから、ピッチャーは次の球を投げることが出来る。

 そしてその次の球の選択肢が、直史は異常に多い。

 NPBにおいて直史が点を取られたのは、エラー関連を除けばホームランによる一発。

 これを失点におけるホームランの割合とするなら、直史はとんでもなく劣ったピッチャーになるあたり、統計のマジックがあったりする。


 分かっていても打てないボールというのは、確かに存在する。

 単純に言えば上杉のストレートは、ほとんどの人間にとって魔球だ。

 そして真田のスライダー。

 左打者への効果は通常の三倍ぐらいだろうか。

 直史のスルーに関しては、それまでの野球の常識が、肉体の運動を妨げる。

 あれとホップ量の多いストレートを組み合わされるのが、一番えげつない。


 やはり問題はイメージだ。

 直史の投げたボールは、直前に投げたボールの軌道を上手く使い、単に難しいボールを魔球にしてしまう。

 イメージが頭の中に残るのは、普通に当たり前のことである。

 スルーにしてもあれは、シーズンが進むにつれて、ここぞという時にのみ使ってくるようになった。

 あるいは初球で使ってくるか。


 明確なイメージが出来れば、あとはそのイメージを消し去る。

 そう、イメージするのではなく、前に投げたボールのイメージを消し去るのだ。

 そして次に、自分が狙う球をイメージする。

 絞りすぎては直史には対応できない。

 せめて140km/h出ていないころであればどうにかなったろうが、今はもうホップ成分の高いストレートを持っている。


 反射で打っていっても、わずかに変化した時に対応出来るのか。

 このあたりは直史に限らず、他のピッチャーに対しても一緒だ。

 おおよそは絞って、そこに来た球を打つ。

 追い込まれてからは粘って、失投を狙ったりする。

 直史の場合はコントロールがいいことが、逆に読みが有効になる条件だ。

 あくまでも理論的には、であるが。




 大介がナ・リーグでプレイヤー・オブ・ザ・マンスの成績を残せば、ア・リーグでは直史がピッチャー・オブ・ザ・マンスの成績を残している。

 ただ正直なところ、ア・リーグは困ったかもしれない。

 本当ならセーブ機会失敗なし、ノーヒットの上杉も、これには相応しいものであったからだ。


 さすがにパーフェクトの記録を塗り替え、マダックス二回を達成すれば、選ばないわけにはいかないか。

 だが大介の見る限り、アナハイムはよほど運が悪くない限り、しっかりと点を取っていけるチームだ。

 直史が投げて五点以上の差がついていれば、勝ちパターンではないピッチャーを使ってもいけるだろう。

 適当にデータを眺めていた大介であるが、面白いことに気付いた。

 アナハイムには当然ながら、直史以外にも先発ローテのピッチャーがいる。

 その中で直史の次の日の登板をするヴィエラが、直史と同じく五戦五勝である。


 投球内容はもちろん、直史とは比べるべくもない。

 だが直史に引きずられて、チームの成績が上がる。

 これはNPBにおいて、上杉がやったのと同じことではないか。

 それに武史がレックスに入った一年目も、似たような現象が起きた。

 直史がいた二年間、レックスは年間100勝を連続で達成した。


 一人のピッチャーの影響力は、20世紀の中盤から、MLBではどんどんと下がっていったはずであった。

 先発をローテで回すという考えが浸透したからだ。

 今はさらにそれに、分業制が存在する。

 直史はそんな時代の流れを、完全に逆行というか、訳の分からない方向に向けている。


 単純な勝ち星だけではなく、現在ではFIPなどという、複雑な指標で投手の価値も量られる。

 ただ直史のやっていることは、そんな分かりにくいものではない。

 とにかく、凄い。

 語彙力不足で、なかなか説明が出来ないものか。

 ただ数字を見れば、とても分かりやすい。

 直史は点を取られないのだ。


 投げれば必ず、チームが勝つ。

 それがエースというものだ。

 おそらくいつの時代の話だ、と日本でさえ言われるだろう。

 MLBのサイ・ヤング賞投手はかなりの部分が、日本の基準では沢村賞を取れない。

 そんな中で直史は、とにかく投げては相手を封じ、チームを勝たせている。

 圧倒的というのは誰にでも分かる。

 投げれば勝つ。

 これ以上に分かりやすい、エースの条件はない。




 大介としても、負けてはいられない。

 自分と戦ってもらうために呼んだのに、負けてばかりでは情けなさ過ぎる。

 ひょっとしたら将来、瑞希が本にするかもしれないが、ここのところは秘密にしておいてもらえないだろうか。

 まあ赤ん坊の手術代と引き換えというのは、ちょっと普通に顰蹙物なので、瑞希は上手く美談にしてくれることを期待する。

 そう、たとえば直史の、野球に対する未練は明らかであったとか。


 四月の成績を見ると、序盤は完全にメトロズがスタートダッシュに成功していた。

 中盤以降も連敗は一度だけで、最終的には17勝5敗。

 去年は開幕日や日程の関係で、四月が終わった時点で22勝7敗。

 ほぼ勝率は同じなのだ。

 また今年もメトロズか、とナ・リーグ西地区は早くも決まった雰囲気になりつつある。

 だがア・リーグ西地区を見れば、同じぐらいに勝っているチームがいるではないか。


 日程の関係で消化した試合数が違うが、アナハイムは19勝6敗。

 開幕四連勝と、こちらもなかなか悪くはない。

 四月の終わりには五連勝。

 他に四連勝というのが一度あって、完全に両リーグではこの二チームが、抜けた成績となっている。

 ただメトロズは打撃のチームで、アナハイムは投手のチーム。

 いやもう直史のチームと言ってしまっても、おかしくないほどの貢献度ではあるのだが。


 ただアナハイムは去年のア・リーグチャンピオンのヒューストンと、まだ対戦していない。

 メトロズも去年、それなりに食い下がってきた東地区のアトランタとの対決で負け越している。

 まだこれからという四月ではあるが、メトロズはブレイバーズ相手に、クローザーのライトマンが打たれて同点からの、再び勝ち越しての勝利。

 あとの二試合は五点以上取っているが、それ以上に相手に取られている。

 今年のメトロズはほとんどの試合で五点以上を取っている超強力打線だが、相手を完封した試合は一度もない。

 完投したピッチャーも、一人もいないのだ。

 完全に投手分業制でやっていて、それで結果を残している。

 ただ完投がないのは、実はアナハイムも同じだ。

 直史以外には完投したピッチャーは一人もいない。


 大介も少し見せてもらったのだが、確かに完投ペースで投げているピッチャーはいない。

 だがもう一イニング投げられないか、というところでもピッチャーを代えている。

 六回までを投げればそれで充分。

 そう考えているのかもしれないが、あまりに杓子定規ではないのか。


 このあたりのMLBというかアメリカの思考は、かなりロジスティックだ。

 調子が良さそうだからといって、安易に状況で運用を変えない。

 直史にしても球数によって、しっかりと運用をしているのだ。

 だが大介にはどうしても、直史が手を抜いて投げているように見える。

 おそらく中四日で、135球ぐらいを投げても、大丈夫ではないのか。

 肩肘の消耗を抑えて、球数を制限するというのは分かる。

 だがこの問題の本質は、肩肘を消耗させないということであって、球数を抑えるのはあくまでもその目安の一つのはずだ。


 ナックルボーラーなどは、肩肘の消耗があまりないため、短い登板間隔で投げることが可能だという。

 直史はナックルボーラーではないが、ひょろひょろとした球も使って、カウントを稼いだり、打たせて取ったりするところは似ている。

 おそらくというか、大介は経験的に、直史の100球というのは、ほとんど肩肘の消耗はないのだと思っている。

 その証明と言えるのが、あの日本シリーズだ。


 高校時代の甲子園にしても、肩肘の限界よりも先に、体力の限界がやってきた。

 後から聞いた話では、体力の限界と言うよりも、集中力の限界で、脳がシャットダウンしてしまったらしいが。

 MLBでは移動などで体力を消耗するため、体力の消耗には注意しないといけない。

 特に今の季節はいいが、夏になるとアナハイムのカリフォルニア州は、かなり暑くなっていく。

 それでもあの、甲子園のマウンドほどの暑さではないだろうが。


 アナハイムが直史の能力を正確に把握し、それを限界まで使うようになれば。

 中四日で勝ち星を稼ぎまくる、恐ろしいピッチャーが誕生する。

 それに気がついているのは、おそらくNPBで直史を見ていた選手の中でも、特に同時代の甲子園を生きた人間だけ。

 ただ直史は甲子園では、優勝するために登板機会をかなり分けていた。

 すると直史の真価をしっているメジャーリーガーは、大介以外にはアレクぐらいなのか。 

 あるいはワールドカップで一緒のチームだった、織田なども分かっているかもしれないが。


 五月に入ってとりあえず、サンフランシスコからホームランを一本。

 そして次はホームで、アトランタとの対戦となる。

 前のカードではいまいちな対戦成績だったため、ここではしっかりと勝っておきたい。

 三連戦の初戦は、メトロズの先発はスタントン。

 ただスタントンはいいのだが、その後の二戦の先発ピッチャーは、今年いまいちパッとしない成績だ。


 ピッチャーの層が薄いな、と大介は思う。

 ただそれでも、チームとしては成績は残している。

 周囲が言うように、またトレードで七月末には新顔が増えるのだろう。

 そこからがレギュラーシーズンは、佳境にさしかかっていく。

「よっしゃ、ホームラン打つぞー」

 のんびりと宣言した大介は、その通りに今日もホームランを打つ。

 あれは予告ホームランだったのではないか、と少し騒がれたが、もちろんそんな意図はなかった。

 基本的に大介は、全てホームランを狙ってバットを振っているのだから。

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