第12話 地味

 ※ またもAL編の時系列が先です。




×××




 MLBで一年を過ごし、オフシーズンを終えて二年目に入る。

 四月も下旬に入って、大介は過去に言われたことを、色々と思い出している。

 随分と昔のことだ。

 そう、高校時代にセイバーが言っていたものか。


 野球は確率のスポーツであると。

 そして選手の評価は統計で考えるものだと。

 はっきり言って高校時代は、全く実感しなかった。

 プロに入ってレギュラーシーズンの膨大なリーグ戦でさえ、あの発言にはつながらなかった。

 だがMLBで一年やって、ようやくあの言葉が分かった。

「都合のいい幻想だな」

 少なくとも大介にとってはそうだ。

 

 去年の四月も大介は、スタートダッシュがすごいと言われていた。

 今年も打率は、ほぼそれと同じぐらい。

 ただホームランの数は少ない。打数自体が少ないからだ。

 開幕からずっと、一試合に一度以上はフォアボールを選んでいる。


 MLB全体の大介に対する警戒感が、完全に別次元のものへと変わったのだ。

 大介はこの中から、ホームランを打っていかなければいけない。

 そして重要なのはホームランだけに捉われないこと。

 野球は団体競技の中では、かなり個人と個人の対決の要素が強い。

 それでも最終的には、一人では行えないスポーツなのだ。

 チームが勝つこと。それが一番大事。

 建前の上でもそう思っておかないといけない。


 大介には迷いがある。

 エゴをどこまで通していくのか、というものだ。

 この二年目、大介はかなりチームの事情を考えている。

 一年目のようにひたすら、己のバッティングにこだわっているわけではない。

 正確に言うとこれは、迷いではないのかもしれない。

 戸惑いだ。


 


 かつて野球においては、勝つことが正しいことであった。

 白富東の理念は、甲子園は目指さないが、勝利にはこだわること。

 大介が打つことはそのまま、勝利につながっていた。

 プロに入ってからも、自分の成績――自分のバッティングを貫き、貪欲にホームランを狙い、次の塁に進むことが、そのまま勝利へとつながっていた。

 だがMLBでは、日本でもないではなかったが、もっとボール球を見逃して、出塁を意識しろという声が多い。

 それでも少数派ではあるが、割合的には日本よりも多いと思う。


 大介は三振をしない。

 驚くほどに三振をしない。

 NPBでの最も三振が多かった年は、ルーキーイヤーだ。

 それでもたったの年間50個。

 ホームラン狙いで三振が増えている中、誰よりもホームランを打っているのに、その三振の数はアベレージヒッターより少ない。

 いいとこ取り出来ないはずのものを、いいとこ取りしている。

 これはバッティングだけではなく、フィールディングや走塁にも言えることだが。


 こんなわけで大介は、三振をしていない。

 それでも出塁うんぬんと言われるのは、常識が表面的にしか理解されていないからだ。

 ボール球を打って、その打球がアウトになることが多いため、それをやめろというわけだ。

 だが計算してみるのだ。

 大介がボール球を見逃して、そのまま単純に出塁した場合。

 そしてボール球を打って、それがヒットになるかアウトになるかの、実際の記録。

 これを計算してみれば、大介が無理に打ってしまった方が、期待値としては高くなるのだ。

 だから後の問題は、どの程度のボール球なら、打ってしまった方がいいかということだ。


 世の中には0か100かという分け方をする雑な人間がいる。

 せめてこれが0か1なら分かりやすいのだが。

 大介は1から100までの数字の中の、妥協点を見つける。

 それが今のバッティングである。

 自分の成績にどこまでこだわって、どこからは勝利を優先すべきか。

 そのあたりも考えるのが、プロというものだろう。

 ただチームスポーツの弱点であるかもしれない。




 アトランタでの試合を終えて、またホームに戻ってくる。

 やはりフランチャイズの方がいいかなとも思うが、アウェイで野球をやるのも、球場の雰囲気が変わるので悪くはない。

 大介はそういった環境の変化を肯定的に捉えられるので、MLBには向いている。

 日本ではあちら側のスタジアムで行うのは、年間に八球場。

 そのうち交流戦の半分、三試合ずつがあまりプレイしない球場だった。


 日本で九年間やってきた大介は、当然全ての球場でプレイしている。

 あとは地方興行のために、愛媛や新潟など、地方の大きな球場でプレイしたこともある。

 実はNPBにはそういう試合もそこそこあるのだ。


 甲子園を別にすればマリスタ、そして神宮あたりに思い出は多いか。

 あとは上杉と対決することの多かった、神奈川スタジアム。

 このメトロズのスタジアムにも、愛着が湧いてきている。

 そのフランチャイズで、本日対戦する相手は、シンシナティ・クリムゾンズ。

 強くはないが、弱くもないチーム。

 このあたりのチームの、再建事情は良く分からない。


 大介はメトロズにいる。

 メトロズはニューヨークのチームであり、ラッキーズほどではないが集客力は高い。

 まあ集客という面で言うなら、大介がどんどんと、新しいファンを開拓しているのだが。

 メトロズはオーナーも、補強に積極的になる時は、積極的だ。

 ただGMとの考え方が一致していて、選手との契約期間の関係で、弱くなるのをちゃんと分かっている。


 もっともせっかくニューヨークという土地にいるため、あまり負けすぎてファンを離れさせるのも美味しくない。

 そんなわけでメトロズは、再建期であっても、そこまで極端に弱いチームにはならない。

 一年目の大介を見て、そこから三年契約に変えた。

 果たしてあれは一年目だけの一発屋なのかという、さすがに凄まじすぎる成績が、オーナーもGMも、大介との契約を慎重にさせた。

 だが二年目も、核爆発を何度も起こしている。

 危険すぎるバッターである。


 三年契約が終わったとき、大介は31歳。

 そこで七年契約でもするべきではないか。

 大介は基本的に、代理人に任せて契約をしてはいない。

 今のMLBにおいては、かなりというか、彼のレベルではほぼ唯一の存在だ。


 バッターとしての能力が、何歳まで維持できるかは分からない。

 だがある程度落ちてしまったとしても、それでも大介を見るために、観客はスタジアムを訪れるのではないか。

 それにもし大介がメトロズ一筋にいてくれるなら、外国人ではあるが、フランチャイズプレイヤーとなる。

 そういうプレイヤーはラッキーズに多いのだが、メトロズも球団を代表する選手はほしい。

 相当大きな金額になっても、それを払う価値はある。

 オーナーもビーンズも、そう考え始めていた。




 さて、長期契約など全く結ばないつもりの大介であるが、それはとれとして、シンシナティとの試合でもあしっかりと打っていた。

 メトロズのホームフィールドなので、下手に敬遠などをしたら、ブーイングがひどくなる。

 もちろんそんなブーイング程度で、心が折れるようなピッチャーは、メジャーリーガーにはいないが。


 シンシナティ側も、それほど大介との対決を避けてはいない。

 さすがにツーアウト二三塁などの場面では、歩かせて満塁策を取るが。

 今年のシンシナティは、再建期と言うほどではないが、チームの成熟期と見なしている。

 極端な話、大介に打たれて成績が下がれば、年俸交渉で少しは有利になる。

 また順位が下がった場合は、ドラフトロッタリーで優位になる。


 昔は一時期、MLBはドラフトでいい順目にするために、わざと負けていたことすらあったのだ。

 そこまでやってしまうのは、完全ウェーバー制で、勝率の低いチームからドラフトの指名権があったから。

 今はそこまで完全ウェーバー制ではないので、わざと負ける意味は薄れている。

 かつてのNPBではチーム成績が年俸に反映されていたが、MLBではそうはいかない。

 特にピッチャーなどは、勝ち星と貯金だけで年俸を決めるなら、選手会が怒ってくる。


 セイバー・メトリクスなどでのデータ野球は、その選手の価値を正しく評価してくれることになった。

 するとそれだけ、価値に見合った年俸を用意しないといけない。

 もっともこれがFAの選手であると、代理人の力も大きなことになる。

 スポーツの世界では代理人の力は、良くも悪くも大きい。

 上手い代理人であると、とても相応しくないような成績の選手で、大きな契約を結ぶことに成功する。

 ただそういった詐欺まがいの契約は、結局チームを不幸にするのだが。


 大介はこの三連戦、11打数5安打。

 ホームランも二本打っている。

 まだ四月中であるのに、既に13本。

 打率も出塁率も、去年のシーズン通算を上回っている。


 去年は九月に、あの事件があった。

 あれがあってなお、大介はあの記録を残した。

 それのない今年、どれだけの成績が残せるのか。

 チーム全体の打席成績もよく、ピッチャーが弱くて点を取られても、それ以上の点を取って勝つ。

 まさにアメリカ人の好きな、古き良きベースボールをやっている。




 ただ、今年は西海岸がおかしい。

 いや、たった一人の選手が、試合を決めてしまうという点では、大介に似ているのか。 

 だが大介が五点を取っても、ピッチャーが六点を取られれば試合は負ける。

 これを逆に言うと、ピッチャーが一点も取られなければ、チームは一点取ればその試合に勝てるのだ。


 先発ピッチャーは、最低でも中四日は休ませないといけない。それがレギュラーシーズンの常識だ。

 そしてその球数は、100前後が限界となる。

 いくら優れた先発ピッチャーでも、一試合に一点は取られるし、完投することは難しい。

 なので球数制限を超えて投げるポストシーズンならともかく、レギュラーシーズンでのピッチャーの貢献度は、ローテで投げるためそれほど高くはならない。

 そのはずであった。


 100球以内で完封してしまうマダックスを、毎試合のように達成してしまう。

 そんなピッチャーが、どうして存在するのか。

 どう考えてもおかしい。

 だがあのデビュー戦でのパーフェクトが、運が良かったと達成者本人が言っていたピッチングが、真に実力であるならば。

 100球以内で完封することを、当たり前のようにする。

 しかも今回は、惜しくもノーヒットノーランならずという数字を残している。


 フライボール革命以降、実はパーフェクトやノーヒットノーランは、達成しやすくなっている。

 なぜならフライを強く打つことは、そのままフルスイングでの空振りにつながる。

 なので上手く配球を考えれば、ノーヒットノーランも狙えるのか。

(いや、ないだろう)

 常識的な野球を知っていると、それは無理だと思うのだ。

 27人を連続三振に取るだけの力があれば、それも狙っていける。

 ただ三振を取ろうとすれば、それなりに球数は増える。

 あくまで理想とするのは、二球目までに打たせて取る。

 それで追い込んでからは、三振を積極的に狙うのだ。


 大介は毎試合注目される。

 今日も打つのかと注目される。

 おかげでメトロズは毎試合売り切れ御免だ。

 だがアナハイムは、近いが違う事態に陥っている。

 直史の登板するカードが確定すると、その試合に一気に注文が入る。

 それ以前から狙って、特定の試合のチケットが売り切れることがある。

 毎試合出る野手の大介よりも、レアリティは上だ。

 普通にチケットを買おうとしても無理なので、年間チケットがどんどんと、アナハイムにおいては売れるようになっているとも聞く。


 過去、たった一人のピッチャーが、ここまでリーグを左右したことがあったろうか。

 NPBにおいて年間無敗を過去二年間で達成しているとしても、その内容までをちゃんと調べていたのか。

 NPBとMLBでは、リーグのレベルが違うはずである。

 しかしこのMLBでなされている結果は、NPB時代よりもひどい。いや凄い。


 他のNPBからMLBに挑戦してきた選手は、それこそ大介以外は、ほとんど数字を落としている。

 NPBの超一流でないと、MLBでは通用しないし、通用してもNPBほどの数字は残せない。

 それが常識と言うか、数字から導き出される事実であったはずだ。


 大介も色々と、同じ日本人ということもあるし、ハイスクールでのチームメイトということもあり、質問を受けることがある。 

 他には義弟という関係性も、もちろん考慮はされているだろう。

 ただ彼の場合は、今現在自身の残している成績が傑出しているので、話題はそちらが多くなる。

 それでもやはり、ある程度はコメントを求められるのだが。


 大介にしても直史なら、これぐらいはやるかな、とは思っていた。

 少しだけ想定以上だったが。

 だがどうしてこれだけの成績を残せると思うか、という質問には困ってしまう。

「それが分かれば日本時代、もっと打てたかもしれないなあ」

 偽らざる本心である。




 メトロズの次のカードは、ホームでのサンフランシスコ・タイタンズ戦だ。

 去年はトローリーズが制したナ・リーグ西地区であるが、今年はサンフランシスコが充実した補強を行っている。

 トローリーズが戦力を上手く維持しているので、今年はこの地区は二強状態となっている。

 ただ、大介はおそらく、今年はサンフランシスコがこの地区優勝を果たすのではないか、と思っている。

 なぜならトローリーズはアナハイムと、ハイウェイシリーズで四試合の対戦がある。

 対してサンフランシスコは、アナハイムと対戦する予定はない。


 軽く見た感じではあるが、ローテーションでは四試合連続のカードで、初戦で直史が投げそうである。

 この初戦で心を折られてしまえば、その後の試合にもしばらくは影響を受けかねない。

 大介もまたピッチャーの心を折るが、直史は相手の打線の心を折る。

 さすがに全試合をパーフェクトを狙っていることはないと思うが。


 大介の目から見ると、直史は狙ってパーフェクトをすることが可能である。

 だがどのチーム相手にもというわけではないし、相当の調整をしなければ、難しいのは確かだ。

 ただ覚悟して投げれば、本当にパーフェクトをやってくる。

 それはあの日本シリーズ最終戦での、パーフェクトを見ても明らかだ。


 あの試合の直史は、さすがに肉体的には疲労していたはずだ。

 それなのにもっとも難しいパーフェクトを、あそこでやってしまえる。

 何か他の選手とは違う、独特の感覚で投げている。

 そうでもなければあんなピッチングは出来ない。

 何かを見ているのか、感じているのか、それは大介にもなんとなく、分からないでもない。

 打てると確信した時の、あの感覚。

 あれを直史も持っているのではないか。

 ただそれを一試合通じて行い、パーフェクトを狙っていくところは、さすがに大介にも納得しがたいものであるが。


 


 この日一日、メトロズはサンフランシスコを待って、ホームで待てる状態であった。

 それでも大介は調整のため、少しは練習をしている。

 動きの活発になってきた息子は面白いが、なんだか同じ年齢の幼児に比べても、体は大きいのだとか。

 もっとも体の大きさで言えば、同じ年の直史の娘の真琴は、五ヶ月ほど誕生日が早いとは言え、昇馬よりもさらに大きい。


 大きい体は羨ましいな、といまだに大介は思ったりする。

 昔ほどのコンプレックスはないが、MLBに大介より小さな選手は存在しない。

 また体重においても、大介が一番軽い。

 だからこそ残している成績が、よりクローズアップされるのだが。


 シーズン中にも大介は、未だに薬物検査を受けることが多い。

 もううんざりとしているが、凄まじい成績を残している選手にとって、これはもう義務のようなものなのだろう。

 ただ尿検査はともかく血液検査は、もうちょっと少なくならないかと思わないでもない。

 針が刺したわずかな感覚の狂いが、バッティングには影響してくるのだから。

「そういや日本じゃ、もうすぐゴールデンウィークか」

 大介はそう呟いて、ツインズに話しかける。

「試合に誰かを呼ぶとか、そういうことあるか?」

「どうかなあ?」

「お願いはされてない」

 それはまあ、ツインズにはお願いはしにくいだろう。

 この二人に平然とお願いをするような人間は、瑞希と明日美、そして今は亡きイリヤぐらいであった。

 お願いではなく取引をするのは、セイバーであったか。


 二年目のシーズンで、大介にはやや余裕がある。

 気をつけないといけないのは、それが油断になってしまうことだ。

 マンションにはジムもあるため、そちらで体を鍛えることも多い。

 ただ大介のレベルになると、ただ運動だけでは体はもう鍛えられないのだ。

 食事や睡眠を含む、生活の全てがパフォーマンスに直結する。

 その点では里紗と伊里野の夜泣きの時期が、オフシーズンであったことは幸いであった。

「でかくなるよなあ」

 ぴりぴりとしたシーズン中も、上手く大介は緊張感をコントロールできていた。

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