第18話 巨大スタジアム
MLBには全く感心もなく、敬意もなかった直史であるが、やや親しみを感じていたのがトロールスタジアムである。
何がそう親しみを感じさせるかというと、まずは日本であれば当然な、シンメトリーの造り。
またWBCの決勝戦はこの球場で行われ、直史を国際的な栄光で輝かせた。
観客収容数も56000人と現在のアメリカにおいては最大。
それが満員になっているところは、試合前から気分をよくさせる。
投げ合う相手のピッチャーは、日本時代、高校時代からよく知るピッチャー本多勝。
直史はパワーピッチャーにわずかな憧れを持つが、その典型的な例が本多なのだ。
時折立ち上がりが悪く、不安定なのも味がある。
ほぼ同世代のピッチャーで、甲子園優勝の味を知っている、数少ないピッチャーだ。
千葉と東京はお隣さんで、それにコネや伝手もあったため、何度か練習試合で対戦している。
そんなピッチャーが相手であるので、直史はある意味安心しているのだ。
もちろんこれは油断ではなく、また変な忖度も発生しない。
試合が始まるまでの間は、本多に会うこともなかった。
なおほぼ同じような立場の、神奈川の玉縄のことは、露骨にではないが嫌っている。
公式戦において敗北したからだ。
そのあたり直史は、やはりピッチャーとしてのプライドが高いと、評価すべきなのだろう。
こんなものがプライドなのか、と本人は否定するだろうが。
ともあれ両チームの選手が紹介されて、試合が始まる。
先攻はアナハイム。対する本多の調子はどうか。
「ットライー!」
低めにストレートが糸を引くように決まった。
どうやら立ち上がりに崩れるということはなさそうである。
本多が三人で終わらせたその裏に、直史はマウンドに登る。
嫌な予感がする。
合理を重んじる直史であるが、最後の部分で直感を軽んじることはない。
そもそも本気で効率だけを考える人間が、ここまで勝ちにこだわるのか。
計算して、ほどほどの試合では負けてもいい。
それを全て勝つほど深く計算するなど、どれだけ人間離れしたことか。
直史の異常さは、技術でもコントロールでもメンタルでもない。
その人間としての精神性だ。強い弱いではなく、とにかく異形なのだ。
普通の人間なら、負けなら負けで次に切り替えていく。
だが切り替えることを知らないかのように、最初からとにかく全力で勝利しか目指さない。
メンタルが、強い弱いではないのだ。
単純に負けず嫌いとも言えない。
常識があって、そして敗北の経験もあれば、全勝などは無理だと考えるはずだ。
それでも勝てなくても、絶対に自分では点を取られない。
勝つためのピッチャーの最善の選択は、点を取られないこと。
当たり前のことだが、これは現実的ではない。
いや、一試合だけならともかく、ずっと続けていくことが現実的ではない。
理論的な話ではなく、単に現実的な話だ。
何よりもこれまで、無敗で終えたピッチャーなど一人もいないのだから。
だが直史は、とりあえず日本での試合では、生涯無敗となりそうである。
登板した試合数が少ないので、参考記録にしかならないだろうが。
おそらく10年後や20年後、もしくは死んでからも言われるのだろう。
高卒でプロに入っていたら、大卒でプロに入っていたら。
そしてMLBに行かずに日本で投げ続けていたら。
日本においての直史への声には、NPBで不敗神話を続けて欲しいというものもあった。
それはさすがにMLBに行けば、無敗ではいられないと思われたからだ。
どうやら一年目の大介が、NPB時代よりも優れた成績を残していたのに、まだ認識が歪んでいる者がいるらしい。
たださすがに球速やスイングスピード、また走塁のスピードなどのフィジカルは、確実にMLBの方が上なのだ。
それでも大介はホームランを打つし、直史は無失点で勝ち続ける。
二人に共通したことは何か?
高校時代にチームメイトであったことだ。
あのチームはメジャーリーガーを三人輩出し、他にも沢村賞投手などを輩出している。
公立の高校に、どうしてそんな才能が集まったのか。
むしろ才能は一箇所に集まった方が、お互いにより研磨されると思った方がいいのかもしれない。
直史もまた、いつも通りに三人で終わらせた。
三振は奪えなかったが、三つのアウトは全てが内野ゴロ。
ゾーンの枠の中に入った、打てる球を打つ。
そんな単純なことのはずなのに、三人が失敗している。
単純なことが簡単ではないという、いい例である。
直史は味方の攻撃中に、ずっとベンチに座っている。
応援するのではなく、自分の精神状態、つまりメンタルをフラットな状態に保つ。
気迫だの根性だのは、自分のプレイスタイルに合わない。
アドレナリンを放出させて、限界以上のパワーを引き出す。
そういう肉体の使い方もあるのだろうが、直史のスタイルではない。
火事場の馬鹿力というのは確かに存在するが、だいたい筋肉はともかく腱や靭帯にダメージが残ることさえある。
上杉の肩なども、その一例であったのだろう。
直史はそういうタイプの怪我はしない。
継戦能力を重視するため、スペックを限界まで酷使しないのだ。
甲子園の決勝や、日本シリーズの最終戦など、しばらくは再調整に時間が取れるなら話は別だ。
しかし今は、安定して投げなければいけない。
首筋や手首に触って、脈拍を計測する。
変に興奮していたりはしないか。昂ぶった感情は、簡単に限界以上の力を出してしまう。
実際にはその限界以上の力を出すことで、部分的に肉体は損傷し、逆にそこから超回復で強化されていくらしい。
これは普通に筋トレと同じ理屈である。
だが直史は、インナーマッスルのトレーニングはともかく、ウエイトはほとんど行わない。
シーズン中のパワーアップは考えない。それは二軍にでも降格した時か、オフシーズンに行うことだ。
大学ならばリーグ戦の間に、鍛える暇はあった。
もっとも日常の練習は、効果的なトレーニングの邪魔になることが多かったが。
過去を考えながらも、拍動が揺れることはない。
何も悪いことは起こっていない。
このまま普通に投げ続ける。
二回の表もアナハイムは得点がなく、そして二回の裏のトローリーズも得点はなかった。
投手戦の気配である。
防御率0の奇跡のピッチャーと、防御率2.6の優秀なピッチャー。
普通に考えれば前者の圧勝であるが、ピッチャーの調子は本当に波がある。
最高のときのパフォーマンスも大事だが、プロでもっと重要なのは、調子が悪いときにもそれなりに、試合を作って五回までは投げることである。
実際のところ野球というスポーツは、激烈に戦力格差があるMLBにおいても、四回に一回は負けるものだ。
それこそさに、戦力均衡が上手く働いているからと言える。
極めて優れたピッチャーであっても、二割ぐらいは負けて当たり前。
そして二割ぐらいは絶対に勝てそうなピッチングが出来る。
本多は前の先発において、メトロズと戦って勝利した。
自分の責任の中では、大介のホームラン一本と、充分すぎる働きをした。
だがこの試合においては、おそらく勝てないだろうと諦めている。
しかしそれはそれとして、自分の成績にはこだわっていかないといけない。
NPBよりもMLBは、ピッチャーの成績評価がよほど正確だ。
勝ち星がどれだけだったとか、貯金がどれだけだったとか、防御率がどれだけだったとか、そういったことは参考にしかしない。
二点で抑える能力を持っていても、味方が三点取ってくれないと勝てない。
守備が崩壊していれば、それだけフライもゴロもアウトになりにくい。
そういった観点から見れば、本多はややホームランを打たれる数値は平凡だが、奪三振能力とイニングを投げる能力、そしてローテを回す能力が優れていた。
NPBの中でも高年俸を出すことで知られる、タイタンズの年俸。
その倍の年俸の複数年契約が、本多の手にしたものである。
これで結果を残せば、ローテのピッチャーとして普通に2000万ドルはいく。
あくまでも平均以上に、しっかりと数字を残していくことが前提であるが。
三回の表も本多はランナーを出しながらも、無失点に抑えた。
ベンチに戻って味方の攻撃を見守る。
これがNPB時代なら、自分がバッターボックスに立っていた。
(打てるのか?)
あいつを、打てるのか?
あまりにも極端な、突出した成績。
だが一つ一つの要素は、決して人間に不可能なものではない。
ただそれを上手く組み合わせると、最強のピッチャーが誕生する。
自分があれと対決して、果たして打てるのか。
少なくとも高校の時点ではまだ、あそこまでの領域には至っていなかった。
結局は三回の裏も、一人のランナーも出ずに終了。
苛立つぐらいの完璧なピッチングだ。三振すらほとんど奪っていないのに。
(パーフェクトの最少球数数、また更新されるぞ)
そんなことになれば、トローリーズの打線の心は折れるだろう。
もっとも本多の成績とは、関係ないと割り切るべきなのか。
勝てなくても指標が高ければ、今のMLBでは評価される。
しかし試合に勝てなければ、モチベーションは落ちていくものだ。
たった一人で、味方が点を取ってくれない中、延々と延長まで投げ抜いていくのか。
(つーか、それがあいつだったか)
甲子園でのあの試合を、もちろん本多は憶えている。
プロ一年目は一軍と二軍を何度か移動したが、あの決勝だけは見ていた。
15回も投げてヒットの一本もなく、フォアボールの一つもなく、そして次の日にまでまた最後まで投げきる。
真田も怪物だったが、あれはもうそんなレベルの存在ではなかった。
四回の表も、ヒットを打たれたが点にまでは結びつかず。
頑張ってはいるが、その裏のピッチングを見ると、心が折れそうになる。
一本のヒットもなく、フォアボールもなく、そしてあくまで偶然の要素が多いエラーもない。
神に愛されているか、悪魔と取引したか、どちらにせよ常軌を逸している。
(点が取れないのか)
足元から、ぐずぐずと崩れていく感覚。
自分は何を支えにして、この試合を投げていけばいいのか。
それでも五回の表、またもアナハイムの攻撃を無失点に抑える本多。
体力はともかく精神力が削られる。
せめてヒットの一本でも出れば、少しは希望を見出せるのに。
(またか)
五回の裏、ランナーは一人も出ず。
球数も50球に達したところで、交代の気配も見えない。
六回の表、ついに本多は失点した。
そして六回の裏、トローリーズ打線もヒット一本を打つことに成功した。
息を止めての殴り合いだった。
イニングが終わるごとに、陸に上がって息を整える。
我慢比べは苦しかったが、なんとか今回も勝つことが出来た。
気を抜いたつもりはなかったが、その裏には強いゴロが、内野の間を抜いていった。
トローリーズのベンチ、あるいは観客席が、何かの期待に包まれる。
直史はその気配を感じながらも、また自分の心臓の鼓動を確認する。
塁に出たのは、よりにもよってラストバッターであった。
一番期待されていないバッターが、最初のヒットを打ったのだ。
だが考えようによっては、せっかくのランナーも既にツーアウトになっている。
キャッチャーなのでこれに代走を送れば、守備力が弱くなるのは想像される。
どうするかな、と待っていたが、一番バッターがそのまま打席に入る。
代走は送られない。
(本多さんの球数は、そろそろ100球になるはずだ)
トローリーズのリリーフ陣は、アナハイムよりも充実している。
(まだ一点差だから、追加点を取られないようにすることを優先したか)
それも一つの考え方だろう。
ツーアウトからヒットの連打で、一点が入るとは考えなかったか。
ここでいい気になって、下手に打たせるとランナーは進む。
二番三番と、打てるバッターがそろっている。
直史は特にランナーを意識しない振りをする。
そして鋭く牽制球を投げて、二塁方向へ体を傾かせていたランナーはタッチアウト。
牽制死によって、六回の裏も終了である。
ヒットを打たれたことで、パーフェクトとノーヒットノーランは消滅した。
だがそれは別にどうでもいいことだ。
問題はまだ、点差が一点でるということ。
偶然にもヒットを打たれたことで、守備陣の硬さはなくなっただろう。
しかし一発が出れば同点という、この状況をどうするのか。
七回の表、トローリーズは本多に代えて、リリーフへと継投していく。
ただし勝ちパターンのはずのリリーフだ。これ以上の失点を完全に防ぐつもりでいる。
シーズンはまだ五月で、いくらハイウェイシリーズの注目試合とはいえ、トローリーズはこうまでして勝利を諦めていない。
「普通に諦めてくれれば、こっちも点は取りやすいのに」
「まあそのへんは、意地っちゅうもんかのう」
この回先頭の坂本は、プロテクターを外す。
「おまんを打って勝ったとしたら、チームにも勢いが出来ると思うちゅうがか」
「一点差は厳しいな」
坂本はそれには答えず、無言でバッターボックスに歩んでいく。
一点差は厳しい。
今日のトロールスタジアム上空は、どうやらセンターからホームにかけて、逆方向の風があるらしい。
一発を畏れる直史としては、それはありがたいことだ。
だがここまでの展開を見ると、アナハイムの打ったボールが、あと一歩で外野の頭を越えないということが多い。
(でもまあ、こういう時にはなあ)
坂本は二球目を狙った。
フルスイングから、内角の厳しいところへの球を、ライトスタンドへ運ぶ。
「これだよ」
一点なら取られてもいい状況が、出現してくれていた。
二点差になって直史の、ピッチングのコンビネーションが幅広いものとなった。
主に落ちる球の割合が増えて、ゴロを打たせることが多くなる。
牽制でアウトにしたため、打順が一番からというのは、チャンスになりやすいが計算もしやすい。
このままランナーを一人も出さずに勝てば、四巡目の打席は回っていかない。
そう思っていたところで、また芝の境目でバウンドが変わり、イレギュラーでエラーのランナーが出る。
世の中はそうそう、上手くはいかないものなのだ。
これまで楽に投げていたのが、幸運であっただけだ。
球数を少し増やしてでも、バッターの意識を誘導したあと、スライダーで空振りを取る。
ボール球になるボールであっても、届くと思ってしまえば振ってしまう。
それがここまで完全に抑え付けられ、それでいてやっとまたチャンスを奪ったトローリーズの心理だろう。
だがそういった心理さえも、しっかりと計算すればいい。
チェンジアップを打たせて、ピッチャー前へのゴロ。
「二つ!」
直史は体を捻って二塁へと投げて、そこでセカンドがフォースアウト。
一塁に送られたボールは、ここでもアウトを取った。
ダブルプレイ。
試合が27人で終わる可能性は、まだ残っている。
八回と九回を無失点で抑えられるのか。
まだ球数は、充分に節約出来ている。
何より大きいのは、出たランナーを二人とも、そのまま活かさせずに殺したことだ。
希望を与えたところに、それを叩き折る。
これこそまさに、絶望を呼ぶ悪魔の所業。
意識してやっているわけではない。普通にランナーを出さない方が、得点の確率は低くなるのだから。
ただ、状況を利用しようとはしている。何よりランナーを殺せれば、それだけ球数も少なく出来るのだから。
だがどうやら、そのあたりはもう、あまり考えなくていいらしい。
八回の表のトローリーズは、勝ちパターンのリリーフを出してこなかった。
七回に一点を取られたことで、本格的に捨ててきたのだ。
リリーフの消耗をどう抑えるかは、確かに重要な問題だ。
負けが決まっている試合なら敗戦処理にすればいいし、シーズンもまだまだ長いのだ。
とりあえずパーフェクトに抑えられることはなくなったわけで、あとは二戦目以降の試合に備える。
出来ればあと一本ぐらいは打って、失点を記録させてやりたいと、トローリーズベンチは考えていた。
試合を諦めたな、というのはアナハイムのベンチにも、スタンドの観客にも、おおよそ分かってしまう。
なのであとは、直史がどういうピッチングをするか、それが注目されることになる。
野球の試合も、決着がついたと見れば、途中で帰る観客は多い。
だがこの試合は、もう勝敗の流れはついていても、最後まで見届けようとする。
直史が相手打線を抑え続けることは、それだけ記録が更新し続けるということ。
去年の大介の場合は、記録を抜けるかどうかが注目されていた。
だが今の直史は、記録自体は既に抜いていて、それがどこまで伸びるかが注目されている。
悪い言い方をすれば、直史が最初に失点する瞬間を、観客は見ようとしている。
もちろん奇跡がどこまで続くのか、純粋に期待しているものもいるだろうが。
九回の裏、トローリーズの最後の攻撃。
マウンドに登った直史は、特に疲れた様子も見せない。
ポーカーフェイスでボールを投げて、淡々とアウトを取っていく。
ひどく地味なように見えて、これがどれだけすごいことなのか、なかなか野球を知らない人間に理解されることは難しい。
直史は勝利したとしても、パーフェクトをしたとしても、ほとんど笑みなど浮かべないのだから。
ラストバッターに対しては、高めのストレートを空振りさせて三振。
九回を27人94球1安打1失策。
ランナーを全て塁上で殺すという、かなりの力技を見せたのであった。
六回まで一失点の本多は、普通なら負ける内容ではない。
だが最終的には2-0と、アナハイムが完封勝利した。
まさにピッチャーの力によって勝つ。
MLBと言うよりは、現代野球の全ての常識に、喧嘩を売っているかのような直史のピッチングであった。
トローリーズ側の応援であったはずの観客も、このパフォーマンスはまるで手品を見せられているようであった。
そしてこのショーは少し離れたアナハイムまで行けば、日常的とまでは言わないがそれなりに見られるのである。
客層をロスアンゼルスから引っ張ってくる。そんな無茶苦茶な集客力が、直史のピッチングには認められる。
魔法使いの本日の演目は、観客たちを満足させたらしい。
×××
※ 本日のNL編はこの試合の解説が主になります。
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