第三章「降臨」②
ポツリ、ポツリと。
ナターシャ
「残念だけど、時間切れだよ」
精霊を天に遡らせながら、分身は言った。
その身体が、どんどん薄く透き通っていく。
「すまない、何の役にも立てなくて」
俺が謝ると、分身は苦笑しながら首を横に振った。
それをアーシャは沈痛な面持ちで見詰めている。
「アーシャ」
ナターシャ分身は語気を強めてその名を呼んだ。
「
大丈夫、アンタならきっと救い出せる。だから、そんな顔はお
そう言って、分身はアーシャに剣を差し出した。
商館で見付けた、柄の中心に紅い宝石を遇った大振りの半月刀。
ナターシャの愛刀だ。
「〝
霊晶の加護が付与されてる。魔法にも強い。」
「でも……」
躊躇うアーシャに、ナターシャ分身は押し付けるようにして〝紅月〟を手渡し、
「あとは、頼んだよ」
朝日が昇り始めた紫色の空の中に消えていった。
アーシャはしばし手渡された剣を見詰め、自分の剣と差し替えた。
「……行こう、ロア」
潤む碧眼に星空のような決然の光を湛え、
「ナターシャと、イリスを助けに!」
その背に【
太陽が昇り始めたばかりの白々とした空を飛翔して、アーシャと俺は関門都市オルンを目指す。
オルンは、獣人達が「聖域」と呼んでいる、ムーラン鉱脈の前に建てられた街だ。
ガルドアと“アルマトロスの亡霊”が動いたとなれば、目的であるムーラン鉱脈を取りに動いたと見てまず間違いないだろう。
日中は
朝に染まりかけた上空で、しかも高速で飛翔しているともなれば、凍えそうなほど冷たい風が俺達ふたりを容赦なく殴打する。
俺はかじかむ手を握ったり開いたりしながら、逸る気持ちを紛らわした。
例によって、俺はアーシャに牽引されながら飛んだ。
急がなければ、何の罪もない獣人達がたくさん死ぬ。
もうこれ以上、姉に罪や業を背負わせたくない。
「ロア、あれ!」
アーシャが地上を指差す。
ゾアス山脈の麓、山裾と砂漠の境目に一箇所、黒煙が烟り赤い光がチラチラと揺らいでいる。
その光が戦火だと分かるのに、さほど時間はかからなかった。
ガルドアの兵士が、逃げ惑う獣人達を剣や銃火器で手当たり次第に襲っている。
――いや、あれは兵士なんかじゃない。
「魔物だ‼」
アーシャが叫んだ。
そう、魔物だ。
その数一〇〇〇ほどだろうか。ちょうど辺境領主が抱えられる規模の軍勢だ。
――間に合わなかったか。
焦燥が、俺とアーシャを急き立てた。
「先に降りるぞ、ロア!」
俺の手を離し、アーシャが一直線に降りていく。
その先には、触手に首を絞められ悶え苦しんでいる白虎の獣人と〝放浪王〟――。
「あのバカ!」
相手と状況が悪すぎる。
ガロードを相手取るなら、最低でもそれ以外の障害は排除しておくべきだ。
俺は
「《
関門都市オルン全体を黒い力場がドームのように包み込み、獣人とアーシャ以外の全てを押し潰した。
眼下では白虎の救出に成功したアーシャが、ガロードと対峙している。
俺はアーシャの元へと降り立ち、片膝をつく白虎の獣人に声を掛けた。
「大丈夫か?」
「あぁ、すまない、助かった」
礼を述べると、白虎の獣人は何やら唱えながら俯いた。
彼の膨大な魔力が全身を駆け巡り傷を癒していく。
どうやらこの獣人も俺と同じ魔導師のようだ。しかも、かなりできる類いの。
「で、いつまでそんなくだらない芝居をやってるんだ、〝放浪王〟?」
未だ俺の魔法を受けて倒れ伏すガロードに、俺は向き直った。
「……ほう。己れのことを知っているのか、小僧?」
俺の言葉に、ガロードは倒れ伏したままニタリと嗤った。
「あぁ。この十年、お前のことをずっと探していた。姉を攫った、お前のことをな」
そう言って、俺は右手に填めていた
「お前に人生を奪われた証ってヤツだ。こいつのおかげで、俺はお前を忘れたことなんて一度も無かったよ。飯を食うときも、顔を洗うときもな」
「クカカカカカ! お前、そうか! あの時の……‼」
ガロードの笑みがよりいっそう歪になった。
その邪悪な笑みに負けじと、俺も不敵に笑ってみせる。
「思い出してくれて光栄だよ。あの時の約束、覚えてるか?」
「あぁ、あぁ! 覚えているとも! いついかなる時も、お前がどこの誰を何人連れてこようとも、己れはお前の挑戦を受けてやる、だったな?」
「あぁ、そうだ。だから……」
ねじ込み式の棍をつなぎ合わせ、構える。
「今ここで受けてもらうぜ、ガロード」
気合いと共に叫び、俺とアーシャは同時に砂を蹴って飛び出した。
最初に仕掛けたのは【
「ナターシャとイリスを返せ‼」
倒れ伏すガロードの上でヒラリと遠心力を付け、容赦なくその首に半月刀を落とす。
対するガロードは動かない。
「カカカカ! そうか、お前も
歓迎するように、ガロードは笑った。
アーシャの剣がガロードを斬り付ける刹那、その身体が霧散し、新たな姿となってその剣を躱した。
紫電だ。
雷に変化したガロードがそのままアーシャを全方位から包み込んだ。
至近距離からの、完全に虚を突いた光速攻撃。
それを躱すことままならず、
「あ゙あああああああああああ――――‼‼」
アーシャの全身を紫電が纏わり付き、バチバチと音を立てて焼いた。
「クカカカ! 良いな、この身体は! 喰っといて正解だった!」
子どもがはしゃぐような、喜々とした声が耳朶を打つ。
「《
今や不要となった重力魔法を解き、俺は雷の真言を捲し立てた。
あの日の光景を何度も何度も思い出す中で仮定した〝放浪王〟の攻略法――
(頼む、うまくいってくれ!)
胸中で精霊に懇願する。
雷に変わった精霊がアーシャに纏わり付く
「クカカ! よく考えた」
俺の雷が
「だが、残念だったな。それは
大量の血が紫電で焼け焦げ、噎せ返るほどの異臭が俺の鼻腔を刺し貫いた。
ガロードの姿が再び霧散し、焼け焦げたアーシャが宙に放り出される。
胸に大穴を開けたアーシャがビクンと大きく痙攣し【
砂の上に落ち、それきりアーシャは動かない。
行き場を失った雷が俺の掌に集まり、バチバチと乾いた空気を虚しく焼く。
「まず、一人」
一秒にも満たない攻防の末、姿無きガロードがせせら笑った。
「アーシャぁあああああああ‼‼」
アーシャの元へと駆け寄ろうとした刹那、
「目を離すなよ。十年探した宿敵なんだろ?」
再び紫電に戻ったガロードが俺を抱き込む。
「がぁあああああああああああ!!」
全身を駆け巡る電撃に溜まらず絶叫し、俺は膝をついた。
「魔導師とは難儀だなぁ。
迸る紫電が俺の全身を焼き破り、血飛沫を飛び散る前に焼き焦がす。
「アーシャ……!」
眼前で倒れ伏す相棒に手を伸ばす。
しかし、届かない。
たった数メートル先が、果てしなく遠い。
「クカカカ! 切ないなぁ、悔しいなぁ。
黙れ。
「絶望しろ、全てを投げ出せ。
今ここで脱兎の如く逃げ出せば、
痛みと苦しみに目を背け、
「黙れってんだよぉッ!」
立ち上がろうと渾身の力を込める。
何とか片膝を浮かそうとしたところで、その膝裏を紫電が焼き切った。
激痛。
だが、そんなことくらいで歩みを止めるわけにはいかない。
十年惨めに這いずり回って、やっと掴みかけた、姉を救う
俺一人では到底辿り着くことができなかったそれを
そいつが目の前で倒れているのに、逃げ出せるわけないだろ。
――もうお前の命は、お前一人だけのものじゃない‼
――私の許可なく諦めるな! 死を選ぶな‼
――その命の一滴が燃え尽きるまで、私と一緒に、無様に足掻け‼
上等だ。
足掻いてやるよ。
足掻いてやるから……
「いつまでも、そんなところで伸びてんじゃねぇぞ……相棒!」
食い縛る歯の隙間から、祈りが漏れる。
相棒は未だ動かない。
「《
声が響くと同時に、赤い精霊がガロードを縛って引き剥がした。
回復を終えたあの白虎の獣人だ。
「おぉ? まだ遊び足りなかったか、
紅い精霊に引っ張られるまま、
「こいつは俺が引き受ける。早くアーシャを!」
暴れ狂う紫電を紅い精霊で押さえ込みながら、白虎の獣人が叫ぶ。
「恩に着る……!」
動かない片足を引きずりながら、俺はアーシャの元へと駆け寄り、その身体に自分の魔力を流し込んだ。
今ので俺も相当なダメージを受けてしまった。
そんな中で魔力を注げば、俺の傷を癒す余裕もなくなってしまうだろう。
それでもいい、アーシャが再び目を覚ますなら。
「ぐぅううううううッ!」
背後で白虎の獣人が苦悶の声を上げている。
見やれば、ガロードがその姿を炎に変えて白虎の獣人を包み込んでいた。
「
そんなもの、児戯に等しいわ」
炎が赤々と
たちまち炎はその
「別れは、済んだか?」
アーシャごと俺を飲み込んだ。
「《
咄嗟に俺は風の真言を唱えた。
それに呼応して風が逆巻き炎を抉る。
「面白い、力比べといこう」
しかし炎はその風すらも容易く飲み込んだ。
「《
破れかぶれに大地の真言を唱え、砂のドームで身を守る。
「次は根比べか。つまらん。一気に焼くぞ」
炎と変わらぬ熱気が俺達を内から
アーシャは未だ目覚めない。
赤熱し溶解していく砂のドームが、俺の胸中を表してるようだった。
魔力切れの脱力感と虚無感が、俺を襲う。
――ダメか。
残る力を振り絞り、アーシャを懐に抱き寄せ、俺は炎からその身を守った。
「健気だな。そのたった数秒しか変わらぬ命運に、如何ほどの意味がある?」
うるせぇ。
もう声すらも出せなかった。
外套と衣服が燃えていく。
激痛と皮膚が焦げ付く臭いが、俺の心を挫く。
それすらも遠退き朦朧とする意識の中で、ガロードが何か宣っている。
俺は、なけなしの魔力をアーシャに送った。
この命燃え尽きるその一時まで抗うと、そう約束したから……。
お前はどうなんだよ、アーシャ。
起きろよ。俺と一緒に、無様に足掻くんだろ?
最後の祈りを込めて、絞り出した一滴の魔力。
それを注ぎ込んだ刹那、アーシャの身体が輝いた。
迷宮の中で見せた、黄金の輝き。
それと同時に精霊が渦を巻き、砕け散った【
「……届いたぞ、ロア」
うっすらと開いた碧眼には既に、再起の光が満ちていた。
「こんなに傷付いて……すまなかった」
燃える背中を、アーシャは迷わず抱き留めた。
その腕の焼ける音が耳朶を打つ。
炎がアーシャの身体にも絡みついた。
紅蓮の炎が俺達二人を飲み込もうとした、その時――。
「――……けない」
アーシャが呟いたとたん、まるで忌避するように炎がざっと遠ざかった。
「……お前、今なにをしようとした?」
わずかに困惑した、ガロードの声。
「何もしていない。ただ思っただけだ。『絶対に負けない』と」
ガロードの声に、アーシャが答える。
「絶対に負けない。自分の命すら弄ぶ、お前なんかに。ロアの重い命を分けてもらった私が、負けるわけにはいかない……絶対に!」
俺を横たわらせて、アーシャが立ち上がる。
その背には、それまで見たことがない巨大な【
【
【光翼】から逃れるように後退して、ガロードはゴブリンの姿に戻った。
その口元に、三日月の笑みを刻んで。
「なるほど。どうやらお前は、この世で数少ない
「……」
ガロードの言葉に答えず、アーシャは歩を進める。
朱く揺らめく【光翼】がアーシャの身体を包み込み、その全身に炎を纏わせた。
それはさながらドレスのように風に閃き、その度に朱い燐を周囲に飛ばした。
その燐が身体に触れるたび、心地よい温もりがじわりと染み入り、俺の傷を急速に癒していく。
アーシャが飛ばした燐はオルガにも降りかかり、焼けてボロボロになったその身体をもみるみるうちに癒した。
炎のドレスに身を包んだ不死鳥の乙女――アーシャがガロードの眼前に立つ。
「憐れな魔王よ。貴様の魂、我が炎で浄めよう」
剣の切っ先を突きつけ、アーシャは伝説の魔王に宣誓した。
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