第一章「銷魂と希望の迷宮」①
「それにしてもアーシャ、どうして大砂蟲の縄張りに足を踏み入れたりしたんじゃ?
お前さんだって、縄張りの見分けくらい付くじゃろうて」
聞けば、大砂蟲が地中に潜ったところは小さな窪地となり、そこから一〇〇メートルほど離れていれば、まず襲われることはないのだそうだ。
無論、個体の大きさによって窪地の大きさも安全圏の範囲も異なるのだが、この砂漠に住む獣人達は、そういう砂漠の凹凸を見極めながら旅路を選ぶのに長けている。
見た感じアーシャは獣人ではなく人間のようだが、それでも獣人達と旅をしていればそれくらいの知識はしっかり叩き込まれているはずだ。
「あそこに、
ずっと前、この辺を通りかかった時にナターシャが教えてくれた。
『近付いてはいけないよ』って。
それを思い出して、走ってきた」
襲撃から逃げ
一秒でも早くナターシャを救いたい。
しかし、そこは大砂蟲の縄張りで……
「ちょっと待て! お前が襲われた所からここまで二五〇キール(キロ)はあるぞ⁉
お前、そんな無茶をして何ともないのか?」
たまらず俺はアーシャの話の腰を折った。
アーシャ達が襲撃を受けたのは昨日の昼頃、砂漠の北部での出来事だ。
そして今俺達が居るのは砂漠の南西部。
前世でも24時間走り続けるマラソンイベントは確かにあったが、そんなものとはわけが違う。
日中は焼けるように暑い砂漠の中を砂に足を取られながら、アーシャは不眠不休で走り抜けてきたというのだ。
これには俺もチャロモ老も度肝を抜かれた。
しかしアーシャは、
「平気だ。私の体は頑丈だからな」
と事もなげに言ってのけた。
ここまでのアーシャの行動は無茶苦茶で、
だが、俺はそれを咎める気にはなれなかった。
俺だって、この十年姉を救いたい一心で無茶を繰り返し、頼みの綱の魔法を失いかけているのだ。
チャロモ老も、アーシャを咎めることはしなかった。
「……では、今夜はもう休もう。日が昇れば、大砂蟲も顔を出さんじゃろうて。
なぁに、
そう簡単にやられはすまいて」
チャロモ老の言葉には、俺達と出会うまでのアーシャを
そう、彼女だって不安だったはずなのだ。
一刻も速く、ナターシャを助け出したいと焦っていたはずなのだ。
それでもアーシャは俺のために涙を流し、踊り、「共に行こう」と手を差し伸べてくれた。
きっと、こういう奴に精霊は喜んで力を貸すのだろう。
俺は自分のことで精一杯だった己を恥じて、改めようと密かに誓った。
その夜、俺達三人はアグラの腹にもたれるようにして、川の字で眠った。
◆◇◆
翌朝、俺達はアーシャの案内を受けて迷宮の入口へと向かった。
「何も見当たらんが……」
「ほら、あそこだよ。あの砂丘の手前。青白くチカチカ光ってるだろ?」
俺が指し示してやると、チャロモ老はじぃーっと目を凝らし、
「おぉ! あったあった! ちっこいのぉ!」
初めて見るという迷宮の入口に興奮して手を叩いた。
迷宮の入口は、常人にはなかなか見付けられない。
それは、そのほとんどが非常に小さく、見間違いや気のせいで済まされてしまうからだ。
しかし、分かる者にはその小さな時空の穴から精霊が羽ばたいているのが見える。
今回の入口も、大きさとしては俺の指先くらいしかなく、風に舞う砂の
アグラから降りて、俺とアーシャは入口の前に立った。
「覚悟はできてるな」
「……ああ。そんなもの、とっくに出来ている」
俺の問いに、アーシャが片笑む。
「ほれ、二人とも。これを持ってけ」
いつの間に用意したのか、チャロモ老が荷物の詰まった頭陀袋を差し出した。
中にはたっぷりの保存食と医療道具、魔道具のカンテラと鉤付きロープが入っていた。
この鉤付きロープも
魔石を一個放り込めば作れるカンテラなどとはワケが違い、ロープを編む際各所に特別な施しをしないと作れない、魔道具の中でも最高級品の部類だ。
「こんな高価な物、受け取れねえよ」
いくら俺が幾度となく迷宮を攻略しているからといって、必ず帰ってこれる保証なんてどこにもない。
俺が袋ごと返そうとすると、チャロモ老はそれを頑なに制した。
「誰がくれてやるなんて
お前さんのせいで、カンテラもそれ一つになってしもうたからの」
チャロモ老は意地悪く笑い、続ける。
「返しに来るまでこの辺で待ち呆けておる。必ず、帰ってくるんじゃぞ。
お前さんらは、もう焚火を囲んだ家族じゃ。
老いぼれ一人を砂漠に残すような真似だけは、せんでおくれよ」
その眼差しは、息子や娘に向ける慈愛に満ちた眼差しだった。
「……ああ、わかった。善処する」
「善処ではない。絶対に戻ってくる!
私達には、この後もやらなければならないことがあるんだからな!」
控えめな俺の答えに、アーシャが割り込んだ。
俺達のやり取りを見て、チャロモ老はいつも通り「ふぇっふぇっふぇ」と笑った。
「いってきます、じーじ!」
「あぁ、気ィ付けてな」
煙管を加えながら手を振るチャロモ老に応え、俺達は迷宮の入口に向き直った。
ほんの指先ほどの、小さな小さな時空の穴。
空間にぽっかりと空いた穴からは青白い光が漏れ、そこから生まれ出るように精霊達が羽ばたいていく。
「いくぞ」
「ああ」
意を決して、俺達は互いの指先で迷宮の入口に触れた。
穴から漏れていた青白い光が膨張し――俺達ふたりを飲み込んだ。
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