序章「邂逅」③

 大砂蟲を撃退してほどなく。

 俺達の元に老爺が戻ってきた。


「チャロモじーじ!」


 その姿を見るや否や、少女はアグラから降りたばかりの老爺に抱きついた。

 チャロモ……じーじ?


「おお、おお、アーシャ。久しぶりじゃな。少し見ない間に、ずいぶんと大きくなって」


 頬ずりするアーシャの頭を撫でるチャロモじーじ。

 その姿を見て、俺は訊ねた。


「おいおい、人間は嫌いなんじゃなかったのか?」


「こやつはもう顔馴染みじゃ。ナターシャキャラバンの末っ子じゃぞ」


「ナターシャキャラバン? ナターシャって、あの……?」


 俺の質問に、チャロモ老は頷いた。

 迷宮覇者が一人、〝砂漠の女神〟ナターシャ。

 先ほどの話で、奴隷と化した獣人達を解放したという、獣人の英雄である。

その最も有名な武勲詩「女神の舞」には、「一万を越える敵兵を誰も傷付けず沈黙させた」とか「彼女の舞に心打たれた敵兵は、みな剣を捨て道を開けた」という逸話が残されている。

 チャロモ老曰く、彼とナターシャキャラバンの面々は一度同じ焚火を囲んだ仲であり、獣人達にとって一度焚火を囲んだ者は、親しい友人や親戚と同類なのだそうだ。


「それにしてもアーシャ。お前さん、どうして一人なんじゃ? 皆はどうした? ナターシャは?」


 チャロモ老の問いに、アーシャの顔にみるみると影が差していく。


「……殺された」


 その一言に、チャロモ老は凍りついた。


「ジズもアカハもヨポヨポもカンラも、みんな殺された。

 ナターシャは、私を逃がすために捕まった……」


 アーシャの大きな瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。


「そんな……ナターシャともあろう者が……」


 絶句するチャロモ老。

 迷宮を攻略し、魔人から〝大いなる力〟を与えられる迷宮覇者。

 彼らはその力に恥じぬ武勲いさおしを次々と打ち立て、世界に変革をもたらす。

 そんな迷宮覇者が追い詰められ、人質を取られたとはいえ捕まったというのだ。ただ事ではない。

 だが、そんな芸当ができる集団を、俺は一つだけ知っている。


「相手はどんな奴だった?」


 俺はアーシャに訊ねた。


「……全身真っ黒な布で覆われた、白い仮面を付けた連中だった。一人だけ、仮面を付けていない奴がいて……そいつがすごく、強かった……」


 襲われた時のことを思い出したのか、アーシャの肩は小刻みに震えている。

 だった。


「〝アルマトロスの亡霊〟……」


 俺はその名を口の中で転がした。


「アルマトロスの亡霊? 何じゃそれは?」


 チャロモ老の問いに、俺は頷いて答えた。


「今、世界で暗躍している組織だ。

 奴らは国や種族の要人に取り入って世界を裏から動かそうとしている。

 俺も二、三度かかわった事があるが、魔法を駆使して暗殺を行う厄介な連中だよ」


 アルマトロスの亡霊の構成員は「影者」と呼ばれ、皆黒いローブに身を包み仮面を付けて人前に現れる。

 ただし、集団のリーダー格で影者を束ねる存在は、仮面を外し名を名乗ることが許されているのだそうだ。


「その仮面を外した奴の性別は? 名前はなんて言った?」


 再び俺はアーシャに問うた。


「分からない。髪は長かったと思う。突然心臓を握り潰されたように苦しくなって、蹲っているところを、ナターシャの力で逃がされたんだ」


「……そうか」


 その答えに、俺は小さくため息を漏らした。


「どうしてそんな連中のことを知っている?」


 それに目敏めざとく気付いたチャロモ老が問う。


「お前が連れてきたんじゃなかろうな」と暗に問うているのだろう。


「……少し、長くなる。焚火にあたりながらでいいか?」


 俺が訊ねると、チャロモ老はゆっくりと頷いた。

 三人で車座になり、火が大きくなる頃合いを待つ。

 二人の顔を炎が赤く照らし始めた頃、意を決して俺は口を開いた。


 名もなき小さな村で魔導師の末裔として生まれ、村が迷宮覇者ガロードによって滅ぼされたこと、姉がガロードに攫われたこと、そして……、


「同名の他人でなければ、姉はアルマトロスの亡霊の一員となっている。〝殲滅の謳姫うたひめ〟と呼ばれているらしい」


 この十年で俺が掴んでいる姉のことも話した。

 先にも話したとおり、まだ魔法がそれなりに使えた頃、俺は組織の連中と関わったことがある。

 その際に捕まえた構成員を尋問した中で、姉の名をダメ元で聞いてみたら、見事にヒットしたのだ。

 姉は末端の影者にも関わらず、その凄まじい魔力で既に組織の上層部から一目置かれる存在となっているらしい。

 その話が五年も前――俺が十二の頃だったので、イリスが既に仮面を脱いで名を名乗れる立場にいてもおかしくないと、俺は考えていた。


「姉が組織にいると知ってから、俺は血眼になって組織の情報を集めた。

 だけど、もともと誰にもその存在を悟られず秘密裏に動いているような連中だ。

 俺はまだ、その尻尾すら掴めていない」


 そうしている間に俺の心はどんどん純真から遠ざかり、魔法が使えなくなっていった。

 魔法に代わる力を得ようと様々な迷宮ダンジョンに挑んだが、俺の魂が未だ前世と強く結びついているせいで、けっきょく力は得られず。


「俺はきっと『姉を助ける』という目的にすがっているだけなんだ。

 魔法が使えなくなって『もう進まなくていいんだ』って安堵している自分も自覚している。

 だけど、俺は……たとえその心が偽りだとしても、姉を……たった一人の家族を救い出すまで、立ち止まるわけにはいかないんだ」


 赤々と燃える炎を睨みながら俺が話し終えると、重たい静寂が訪れた。


「……んなわけ、あるか」


 隣からの震える声に振り向く。

 見れば、アーシャが大粒の涙をボロボロ流してこちらを睨んでいた。


「そんなわけがあるか‼ 

 命懸けで旅をして、汚いことにも手を染めて……。

 それでもたった一人の家族を救いたいというお前のその想いが、行動が、偽りなわけがあるか‼」


 涙に濡れる紺碧の瞳に、当惑する俺の顔が映っている。

 アーシャは俺の眼をじっと見据えた後、今度はチャロモ老へと向き直った。


「じーじ、楽器弾けるよね?」


「おうさ。ジャジにレベカにオルナ、何でもいけるぞ」


 煙管を吹かしながら片笑むチャロモ老に、アーシャは頷く。


「こいつの心を流したい。何でもいいから一曲弾いて」


「ほいきた」


 そういうと、チャロモ老は荷車へと駆けていく。


「お、おい……」


 何が始まるのか分からず二人を呼び止めようとすると……。


 シャン!


 腰から剣を抜き払い、両手を広げ、アーシャが構えた。

 翼を広げそっと水面に降り立つ、水鳥を思わせる構え。

 刹那――。

 アーシャの周りで、無数の精霊が逆巻いた。

 純真が穢されていなかった頃ですら、こんなに大量の精霊を間近で見たことはない。


「すげぇ……」


 思わず感嘆の声が漏れる。

 精霊は、この世に存在する全ての者に平等にその恩恵を与える。

 しかし、「精霊に愛されやすい存在」というものが、実際には存在する。

 強固な意志と揺るがぬ信念を持ち、それが強ければ強いほど、精霊はその者の周りに集い、喜んで力を貸す。

 アーシャに集う精霊の数は夜天を黄金に彩るほど多く、それは、英雄と呼ばれる迷宮覇者達がまとう輝きに勝るとも劣らなかった。


 俺が見惚れているところに、チャロモ老が楽器を持って戻ってきた。

 馬頭琴のような、弦と弓を備えた楽器――レベカだ。

 チャロモ老がゆっくりとレベカを奏でると、それに合わせてアーシャも踊り出した。

 しっとりとした低めの音色が、郷愁と寂寥感を醸し出す。

 ゆっくりと伸び震える音が胸を締め付ける、物悲しい旋律。

 それに合わせて舞うアーシャはどこか儚げで、潤んだ瞳が哀愁を誘う。

 曲調はゆっくりと重苦しい悲しみを表現しているのに、アーシャの舞は少し激しい。

 その動きはまるで、悲しみや哀愁を拒絶しているかのようで。

 悲しみにくれるアーシャの表情は、ぞくりとするほど美しかった。

 曲調に合わせてゆっくりと流れる半月刀が夜天に輝く。

 その青白い光がひらりと舞う度、彼女の背に翼が生えたような錯覚を覚える。

 しゃらりと金装飾が鳴る度にアーシャの周りの精霊が舞い、俺に何かを訴える。 


――其の金色こんじき父母ふぼにして……


 全然違う曲調なのに、あの日――赤子だった俺が母に抱かれながら聞いたあの歌が、俺の中で響いた。

 

 其の金色は父母にして

 其の金色は我が子なり


 いざ踊らん精霊アルマと共に

 いざ歌わん精霊の調べを


 風と共に未来はなびき

 波と共に過去は揺蕩たゆた

 大地と共に現在いまを踏みしめ


 精霊と共に我行かん

 精霊の元へ我かえらん


 母の声が、俺の中で響く。

 途端に、家族と過ごした日だまりのような日々を思い出した。


 父さんと母さんと姉さんの笑顔。

 緑に囲まれた、段々畑が見える静かな村。

 春は家族みんなで畑に種をまき。

 夏は父さんと川で魚を獲り。

 秋の森を駆け、姉さんと一緒に木の実拾いの競争をして。

 冬は母さんが作った暖かい料理を囲んで。

 幸せだった、ずっと続くと思っていた日々。


 でもそれが奪われ、俺は外の世界に放り出されて。


 不安だった。

 恐かった。

 泣きたかった。

 でも、泣けなかった。

 隙を見せてはいけないと思った。


 騙し騙され、奪い奪われる世界の中で。

 泣いてしまったら、二度と姉と出会えなくなる気がして。

 泣くわけにはいかないと、俺は自身の感情に蓋をした。


 ここで、アーシャと再度目が合った。

 物悲しく儚げな曲調に変わりはなく。

 しかしアーシャの舞は、哀愁は漂えどその哀愁すらも愛おしむような柔らかさを孕んでいる。

 舞い踊るアーシャからは儚さが消え、凜とした決然の意志に、その姿は輝いてすら見えた。

 その、はずなのに……

 彼女の瞳からは涙が流れ、小さく引き結ばれた唇は微かに震えていた。

 アーシャの剣と金装飾が閃き揺れる度、汗と涙が飛んで星の光に触れる度、心が激しく揺さぶられる。


「な、なんで……」


 涙が、止まらなかった。

 涙だけじゃない。

 恐かった。

 辛かった。

 苦しかった。

 もう、やめてしまいたかった。

 逃げ出したかった……。

 蓋をしていたはずの感情がせきを切ったように溢れ出し、涙を加速させる。


「なんで、なんでぇ……‼」


 いくら止めようとしても涙も感情の激流も止まらず、俺はその場にうずくまり、声を上げて泣いた。

 白い素足が、涙で歪んだ視界にすっと現れた。

 見上げれば、全身を汗で濡らしたアーシャが、涙を流して立っていた。


「悲しい時は、泣いていいんだ!」


 俺の眼を真っ直ぐに捕らえ、アーシャは続ける。


「辛い時も、恐い時も、苦しい時も、泣いていいんだ!

 誰かに頼ったっていい! 逃げたって休んだっていい!

 ズタボロになって進めなくなるより、ずっと、そっちの方がいいじゃないか‼」

 

 アーシャが訴える。

 だがその言葉は、感情が露わになった俺を無性に苛立たせた。


「そんなことできたら、とっくにやってた!

 俺の隣には誰も居なかった! 立ち止まるわけにはいかなかった!

 俺が止まったら、姉さんは誰が助ける⁉

 俺は! ズタボロになっても! 足がもげても!

 進み続けなくちゃいけなかったんだよ‼」


「だったら‼」


 制御が利かなくなった俺の叫びに負けじと、アーシャも声を張り上げる。


「今日から私がお前の隣にいてやる。辛い時も、苦しい時も、私を頼ればいい」


「お前、何を言って……」


 涙を溜めた瞳。

 突然のアーシャの言葉に、俺は面食らった。

 彼女にも彼女の事情があるし、俺と同じく救いたい家族がいるはずだ。


「だからお前も、私を助けてくれ」


 精霊達がさえずり、翔け抜けていく。


「私はこれから迷宮に挑み、〝大いなる力〟を手に入れたい。

 そうしないと、奴らとは対等に戦えないだろう。

 だけど、私一人ではなんにもできない。

 ナターシャから教えてもらったこの剣と踊りしか私にはない。

 大砂蟲だって、私一人ではどうにもできなかった。だから……」


 剣を収め、アーシャが右手を差し出す。


「お前の力を貸してくれ。

 私も、ナターシャを……たった一人のお母さんを助けたい」


 瞳に宿る決然の光が、その言葉が彼女の真なる想いであることを物語っている。


「なんっつうめちゃくちゃな……」


 あまりにもめちゃくちゃだ。

 突拍子もない展開に、思わず苦笑してしまう。

 それでも、これ以上ないほどに俺達の利害は一致しているように思えた。

 アーシャに協力することで、俺はアルマトロスの亡霊と関わり、姉への手掛かりに一歩近付く機会チャンスを得る。

 アーシャは俺と行動を共にすることで、迷宮攻略の成功率が上がる。

 だが……。


「いいのか? 俺は精霊に見放された、ほとんど魔法が使えない魔導師くずれだぞ?」


「お前は何を言ってるんだ?」


 俺の問いに、アーシャは呆れ顔で返した。


「精霊が、誰かを見放すはずがないだろう?

 今は使えなくても、お前はまた魔法が使えるようになる。そう、私は信じてる。

 それに、お前は十分すごいじゃないか。

 誰が私を大砂蟲から助けたか、もう忘れたのか?」


 そう言って、アーシャは再度右手を伸ばした。

 俺はしばし逡巡して。

 その右手を、掴んだ。


「〝無冠の覇者〟ロアだ。俺なんかと組んで、どうなっても知らねぇぞ」


 汚辱にまみれた通り名を、俺は敢えて名乗った。

 俺が〝無冠の覇者〟で在り続けたことにも、こいつとなら意味を見出せそうな気がして。


「望むところだ」


 俺の軽口に片笑んで、アーシャが俺の腕を引っ張る。

 立ち上がってみれば、ものすごい身長差だ。

 もともと俺は長身な方だが、それでもアーシャの背丈は俺の胸くらいまでしかない。

 アーシャは俺を見上げ、初めて会った時と同様、太陽のような笑顔で名乗った。


「ナターシャキャラバンのアーシャだ。よろしくな、ロア!」


「あぁ、よろしく。アーシャ」


 今までは見つめられるがままに合わせていた深海のような紺碧の視線。

 それをまっすぐ、俺は見つめた。

 アーシャの大きな瞳に映った俺は、泣き腫らした目こそしているが、憑物が取れたような晴れ晴れとした顔をしている。


「さぁて、それじゃあコンビ結成の宴でもしようかの。

 ちょうど、ご馳走も手に入ったことだし」


「ふぇっふぇっふぇ」と笑いながら、チャロモ老が上機嫌に取り仕切る。


「ご馳走……?」


 そんな物、どこに……?

 俺が視線を彷徨さまよわせると、チャロモ老がニィっと笑って親指でぐいぐいと指し示した。

 その先にあったものは……大砂蟲の尻尾。


「……マジ?」

 

 それから、俺達三人は焚火を囲んで互いの親睦を深めた。

 チャロモ老は取って置きの葡萄酒を振る舞い、俺は久々に気持ちよく酔っ払った。

 棒に巻き付けるようにして焼かれた大砂蟲の丸焼きは、パリッと焼けた皮を破ると上質な脂が溢れ出し、軽く振った塩と脂の甘みがマッチして、ビックリするほど美味かった。

 チャロモ老は荷車からギターのような楽器――ジャジを引っ張り出して陽気な曲をかき鳴らし、アーシャがそれに合わせて楽しそうに踊る。

 久方ぶりの楽しい夜に、俺は心から笑った。


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