第11話 もう、他人なんだから

 俺が女子達の居るテニスコートへ行くと、その入り口に依代がゆっくりと現れる。

 そして、俺を見たまま小動物のように上目遣いで見てくるその仕草に居たたまれない気持ちを抱えながらも、俺はどうにか要件を口にした。


「……ボール」


 ありえねぇ……要件どころか、ただ単語を絞り出しただけだ。

 とはいえ、周囲には他にも生徒が居るし、しかもついさっきまで熱烈なラリーを繰り返していた依代は他の女子達から注目の的になっている。


 そんな状況で変にボロを出したら俺は嫌でも注目されちまう。

 だからこそ、俺はあえてそれ以上言葉にせず、依代に向けてボールを突き出すだけにとどめる。


 ただ、こいつの視線は凶悪だ。

 まともに見ちまえば大抵の男は落ちるだろう。


 それをよく知っている俺はあえて視線を合わせることはせず、明後日の方向に視線を向けておく。


(頼むからさっさと取ってくれ)


 視界の隅で俺とテニスボールを交互に見る依代が見え、俺は内心でそう毒づく。すると、俺の手のよりも一回り小さい手が一瞬だけ重なる。


「うおっ!?」

「わっ!? ご、ごめん……」


 思っていた以上に心の準備ができていなかったらしく、俺は依代がテニスボールを取ろうとしていたことに過剰反応してその手を引っ込めてしまう。何やってんだ、俺は……。


 そんなやり取りをしていれば嫌でも目立つ。

 向こうで他の生徒を指導していた教師も様子に気付き始めたらしく、こちらに来ようとしている気配があった。


(……意識でもしてんのか、俺……馬鹿じゃねぇの)


 自分を冷静にさせる為に深呼吸すると、俺はこちらへと向かってくる教師や他の生徒にも聞こえるようなはっきりとした声を依代へと投げた。


「……男子のところにテニスボールが飛んできたから持ってきてやった。入り口、ちゃんと閉めておけよな」

「う、うん……あっ―」

「ほらよ」


 依代はついさっき俺の手と触れてしまった自分の手を掴んで心なしかぼーっとしていたが、俺はそんな依代の手に無理矢理テニスボールを掴ませると、足を早めてその場を去っていく。


 そして、去り際に教師にもう一度状況を軽く説明すると、すぐに男子達の方に戻るように指示を受ける。周囲の女子達から少しばかり勘ぐられたかもしれないが、それでもまだ誤魔化せるレベルだ。


 俺がついでにテニスコートへと繋がる扉を閉めた時だった。


「……」


 考えてみれば、依代と打ち合っていた伊色から俺達の様子はまる見えだったわけだ。別にそれがなんだって話だが、さっきまでのやり取りは全て伊色には見えていたんだ。


 そんな俺を伊色は何も言わずただジッと見ていたようだが、俺がその視線に気付いて視線を向けるとまるで何事もなかったかのように視線をよそへと移す。


「翠、続き。やろう」

「あ……う、うん!」


 俺のことなどまったく気にも留めていない様子で、伊色は依代にそう呼びかけてテニスを再開した。


 少しだけ……少しだけ、あいつが悲しそうな表情を見せていた気がした。

 そんなわけもないのに。こんなの、ただの俺の都合のいい妄想だ。


 ありえない、あいつがそんな顔をしていたなんて。

 今も真剣な表情でテニスを親友と打ち合うあいつがそんな顔するなんて。


 そんなこと、ありえるはずがない―俺やあいつらはもう、他人なんだから。

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