第9話 …本当に、勝手な女
そして、入学二日目。
やれ、元カノやら手芸部やらとわけの分からない出来事が立て続けに起きてしまっていたが、俺の日常には言うほど関係ない。
まだ全然自分の席って感じはしないが、登校してきた俺は自分の席へと真っ直ぐに向かう―ことはできなかった。
「……」
廊下から教室のドアを開いた瞬間、目の前にあったのは驚いた様子で目を開いたまま固まる元カノの伊色だった。
よりによって、あさイチで見たのが元カノの顔とか……今日の運勢占い見とけば良かったわ。
どうせ「大凶」とか、「今日は特に恋愛運に気を付けて下さい」とか、そんなこと言われるんだろ? ……よく知らんけど。
「あ~……」
そんな馬鹿な現実逃避が頭に浮かぶくらいまったく心の準備ができていなかったが、とりあえずここに居ては邪魔なのは確かだ。
俺と伊色は教室のドアを開いたまま向かい合っており、まだ早朝でクラスの連中が少ないとはいえ、かなり目立ってしまっている。
このままだとクラスの連中の視線も痛いし、俺は伊色にゆっくりと道を空けてやると、軽く声を掛けてやった。
「……ほらよ、出るとこだったんだろ」
「え……? あ、う、うん……」
俺の言葉に驚いた様子で固まっていた伊色はようやく動き出すと、俺の空けた道を心なしか足を早めて通り過ぎようとする。
手芸部に入ることは認めてやったが、それ以外でこいつと顔を突き合わせて何になる?
何を考えてるかさっぱり分からんし、別れてこの方一度もまともに会話してないんだ。そんな奴と朝から話すような話題なんてあるわけもない。
(……ただの数合わせだし、やっぱ幽霊部員でも良いかもな)
部活に通い続けたら、いつかこいつと二人きりになる時間だってあるかもしれない。そんなことがあったら俺はこいつと何を話せば良い?
未練なんて無いし、率先して関わりたいとも思わない。これまでだって他人だったし、これからだってずっと他人だ。
でも、伊色や依代は振ったはずの俺を数合わせに使った……本当に都合が良いよな。
じゃあ、別に俺だって遠慮なんて要らないか。
俺はお前達に人生を狂わされて、わけの分からない悔しさを味わって……だったら遠慮なんかせず、ただそいつを演じてやる。
元カレでもなんでもなく、同じ部活に居るただの男として、お前らの『トモダチごっこ』に付き合ってやるよ。
お前らが俺に『都合のいいトモダチ』を求めてるって言うなら……もう俺は、それで良い。
「おい―」
「ねえ―」
そうして俺が声を掛けようとした時だった。
足を早めて俺の前を通り過ぎようとしていた伊色が足を止め、唐突に声を上げたのだ。
俺の声と同時に被さってしまい、すぐにその後を続けることができず互いに気まずい空気が流れてしまう。そんな空気を長く続けていても埒が明かず、俺は大きなため息と共に伊色に先を促した。
「……なんか言いたいことがあったんだろ。先に言えよ」
「……私は後で良い。……そっちこそ、言いたいことがあったんじゃないの? 先に言って良いよ」
その顔は教室を出た時から俯いたままで、横に立つ俺には一切伺えない。
本当に何を考えてるか分からないし、何を考えてようが俺にはどうでも良い。だから、俺はあくまでも同じ部員として一定の距離感を保ちながら話に応じてやる。
それがこいつらの願いだって言うなら、俺にとっても楽だから。
「……別に。大したことじゃねぇよ。前向いて歩かねぇとぶつかるぞ、って言いたかっただけだ」
「……」
俺の言葉に答えることなく、ただ顔を俯かせる伊色。
『元カノ』って言っても、俺がこいつと過ごした時間なんて大したことはない。
たった一週間。長い人生の中のたった一週間だ。
時が過ぎれば存在そのものを忘れるかもしれない、そんな一瞬の―過ち。
今さら恨むつもりなんてないし、関わったからって何かをやり直すつもりもない。
拒絶。
それがお前達の出した結論なら、俺は黙ってそれを受け入れるだけだ。
避けられているのに、その隣に居続けようなんて……そんなこと、微塵も思わない。
俺は返事のない伊色からそれを察し、彼女の背を抜けて教室へと入ろうとしたが―
「―ごめん」
突然の言葉に、俺は踏み込みかけた足を止めてしまう。
その謝罪がなんであるか、考えるまでもなかった。
部活のことでもない、今ドアを開いた時に顔を合わせたことでもない。
『それ』が何に対しての謝罪かなんて……聞き返す必要もないくらい簡単なことだ。
「何も言えなくて―ごめんなさい」
その声に若干の涙が混じったように感じたが、それは分からない。
もう俺に、それを確認する資格なんてない。
だからただ、俺は振り返ることなく言葉を返してやった。
「―過ぎたことだし、気にしてねぇよ」
俺はそれだけ答えると、教室へと足を踏み入れる。
それまで一切関わろうしなかった癖に。
自分で関係を切った癖に。
理由も言わずに俺を―振った癖に。
……本当に、勝手な女。
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