7日目 勇者様

 店の扉を開けると、甘ったるい匂いが私の鼻を刺激した。


 ──相変わらず酷い匂いね。


 この場所のものではなく、とある人物が付けている香水のせいだろう。

 趣味が悪いと思わざるをえない。


 ここはこの町のバーで、今日は店内が空いている。

 私はバーカウンターで1人酒を飲む小太りで無精髭を生やした醜い男を見つけて近づいた。

 近づくに連れて、香水の匂いが酷くなってくる。

 鼻で呼吸をすることを諦めた。


「来たかぁおい。少しぃ、遅すぎやしないかぁ?」

「いえ、時間ピッタリのはずよ。貴方が早すぎるだけ」


 私が隣の席に座ったところで、デブが話しかけてきた。

 顔はだいぶ赤く、話し方もいつもよりだらしない。

 一人で相当飲んでいたのだろう。

 依頼人じゃなかったら話したくもない。

 全身を金の装飾で着飾った成金の権化のような装いだ。

 何とも趣味が悪い。

 羽振りが良くなければ、S級冒険者である私が動く必要もなかったのに。

 私も自分の酒を注文し、グラスがきたところでデブが話し始めた。


「それでだ、何か僕にぃ、良さそうなものはなかったのかぁ?」


 これはおそらく、金になるものか気に入りそうな女のどちらかのことを聞いているのだろう。

 汚い腕を私の肩へ回そうとしたので、軽く手で払いのけた。


「いいえ、特に気に入りそうなものはなかったわね。1人一瞬目を引いた女がいたけど、あれはダメだわ」


 そう、村で一瞬見かけた女。

 あれがただの人間ならば何の問題も無いと思う。

 髪は手入れの行き届いた綺麗な金髪だったし、スタイルもよかった。

 本当に惜しいと思う。


「なるほどぉ。女性を見る目が厳しいお前がそうやって言うとぉ、少ぉし気になるなぁ。何がっ、惜しかったんだぁ?」


 少し食いついてきた。

 だが、残念ながらこの事実を伝えると、いくら趣味の悪いこの貴族でもがっかりするのだろう。

 だが、知ったことではない。

 あくまでデブは依頼人だ、金で雇われている以上情報は渡さなければならない。


「見た目はすごくよかったのだけど、エルフだったのよ」


 何気なく私が言い放ったその言葉を聞いた瞬間、デブの周りの空気が一変した。


「──ようやく見つけた……」


 ──えっ?


「ようやく見つけたぁ! この世界にいるとは聞いていたが、まさかそんな辺境の村にいるとはぁ! これは早く行かないとぉ!!」


 そう言って、その彼は急いで立ち上がった。

 何がなんだかよくわからない。


「ちょっと待って、どうしたのよ?!」


 そう聞いた私の言葉は、デブには届いていないらしい。

 私の分の会計も済ませたデブは、店を出て急いで馬にまたがる。


「待って、これからあの村へ向かう気?!」


 すると、ようやく私の声が届いたのか、デブは私の言葉に答えた。


「これから急いで向かわねばぁ、ダメなんだぁ! ずっと探してたんだからぁ!!」


 そういって、跨がった馬を両脚で勢いよく蹴飛ばし、勢いよく馬を走らせた……が、酔いが回っていたのだろう。

 勢いよく走りはじめた馬についていけず、デブは落馬した。

 酷い有様だ。


 ──これが最強の人間、勇者様だなんて。



 ■■■■■



 護神祭から1週間、俺は最近悩みがある。

 それは──


「フォー! フォー!」


 そう、これだ。

 あれから毎日イル姉が診療所から帰ってくると、祭で神官がやっていたあの不思議な舞の練習を俺の前でするのだ。

 正直鬱陶しい。

 しかも、極めつけは──


「違うよイル姉さん、もっと腰に力を入れなきゃ」

「でもカンナ、そんなことをしたら、次の動きが遅れちゃうんじゃないか?」

「確かにレコンの言う通りだと思う。さっきのままでいい」

「いいえソウ、カンナの言う通りもっと力を入れて動きを安定させるべきよ」

「そうよねサイコ、もっと皆に言ってやって!」


 そう、屋台でアルバイトをしてくれた子どもたちも、一緒になってやっているのだ。

 ほぼ毎日、イル姉が帰ってくる頃にこの作業場で集まり、舞をしながらああでもないこうでもないと議論を重ねている。

 ここは鍛冶屋であって遊び場じゃないんだ。

 皆、暇なのだろうか。

 本当に止めてほしい。

 そう思いながら俺は、仕事を続けた。





「皆、ありがとう! 今日も勉強になったよ! でも、外も暗くなってだいぶ時間が経ったし、そろそろお家に帰らないとね。」


 いつものように汗だくのイル姉は名残惜しむ子どもたちを宥め、イル姉は彼らを玄関で見送った。


「──ここは遊び場では無く作業場なんですが……」


 目を細めて俺はイル姉に当たり前のことを訴えた。

 すると、彼女は申し訳なさそうにしていた。


「だって、あの舞に興味があるってあの子たちに言ったら、皆で教えてあげるって言ってくれたんだもの。子どもたちのそういう思いやりって、無碍にはできないでしょ?」

「いや、それは別にいいんだけどさ、場所を変えてほしいんだよ。俺が作業してると思わぬ事故が起こるかも知れないだろ?」


 俺は少し強めに言った。

 でも正論だ。

 気持ちの問題ではない。

 もし万が一にも何かあってからでは遅いのだ。


「ごめんなさい。でもね、レオンを一人仲間外れにしたくなかったんだよ。それに──」


 そう続け、彼女は優しい笑顔を作った。


「あの子たちを見てると、小さい頃のレオンを思い出さない?あの小さな身体で、イル姉イル姉ってよくはしゃいでた君に、彼らが重なってしまうんだよ。それを、君にも知ってほしくてね」


 ──俺ってあんなだったのか?


 確かにイル姉の後ろをよくくっついて遊んでいたけど、あんな変な舞を踊ろうとは思ったことないぞ。


「でも、レオンの言う通り、何かあったら困るもんね。今度から居間でやることにするよ!」


 それは不安だ。

 居間にあるものを壊されたりしたら溜まったものではない。

 呼ばないという方法は無いのだろうか。


 コンコンッ


 そう考えていると、作業場の扉からノックが聞こえた。

 閉店の札は既にかけてあるはずなのにおかしい。

 何か急用なのだろうか。

 とりあえず俺は、扉を開けるためドアノブに手をかけた。


「申し訳ありません、今日はもう店を閉めてしまったので」


 そう言いながら開けると、そこには大所帯がいた。

 きらびやかな装飾で身を包んだ騎士風の人たちが何人も馬に乗っていた。

 冷静に見るとその一行の真ん中には、殊更金箔で身体を包んでいるかのように、金色の装備で身を固めた、小太りで無精髭の中年がいた。

 おそらく、この一行の主だろう。明らかに成金貴族のような風体だ。

 すると、一番前にいる騎士風の男が大きな声で話しはじめた。


「控えろ! ここにいる御方は、この度ジャクソン村の領主になられた勇者、タダシ・フジワラ伯爵様であらせられる!」

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