第1章 2人の生活編

1日目 再開

 カンッ!  カンッ!  カンッ!


 今日も建物の中に金属を打ち付ける音が鳴り響く。

 マンドレイク農家のトムさんが、畑を耕すのに使う鍬にガタが来たということで新しいものを作るよう依頼してきた。

 ここは小さな村なので、武器や防具以外にも仕事をしないと、鍛冶屋の需要があまりない。

 魔王軍の特殊部隊を率いていた頃は使い道のあった能力スキルも、鍛冶屋では使い道もなかった。

 改造手術で得られたものは高い筋力だけのようで、少しだけ作業の役に立っている。

 村の警備隊に入るという手もあったが、魔王軍所属ではなくなった今、この力を振るう気には全くなれなかった。


 だが、現状に不満はない。


 こういった穏やかな日常は今まで経験したことがなかった。

 小さい頃から飢えに怯え、そして魔王軍に入ってからは死線をくぐり抜けてきた。

 魔王軍にいた頃も充実してはいたが、心が落ち着くことはなかっただろう。


 俺は今、この村でただの鍛冶屋レオンとして生きている。

 このまま穏やかに生きていきたい。



 バタンッ!!


 作業をしながらそんな思案に耽っていた彼の耳に、金属を叩き付く音以外の音が飛び込んできた。


「──やっぱりここにいたのね、ネオ」


 一人の女性が勢いよく扉を開けて入ってきた。

 綺麗な金色で長い髪、明るく透き通るような緑色の瞳、スレンダーな身体で、動きやすそうな緑を基調とした装いだったが、旅をしてきたのか少し汚れている。

 そして、一番特徴的だったのは、顔の両端から髪を掻き分けて生えた先の尖った細長い耳だ。

 そんな彼女は一言つぶやいた後、作業する俺の近くまで歩いてきた。

 その眼には涙が溜まっている。


「──イル姉、どうしてここに……」


 彼女を見た俺は、驚きのあまりに手に持っていた小槌を手から落としてしまった。

 彼女はアイルというエルフの女性だ。

 孤児院時代に時々修道院から遊びに来ていた修道女だった。

 当時から姿は全く変わっていない。


「占い師の人からここに来れば会えるって言われて。10年前に魔王軍に入ったって聞いたときから心配で心配で……」


 彼女は孤児院でも浮きがちだった俺の話し相手によくなってくれた。

 また、手作りのお菓子や食事を持ってきたりもしてくれた。

 普段の食事では全く足りなかった俺たちは、彼女のおかげで命を繋いでいたといっても過言ではない。


「…──うん、とりあえずそこに座ってよ、今飲み物出すから」


 近くにあった机と椅子を指差し俺は言った後、茶と菓子を取りに建物の奥へと行った。


 イル姉の視線を背中に感じながら。 



 ☆



 茶と菓子を持ってきた時、イル姉は涙を拭きながら椅子に座るところだった。

 茶の入った湯のみをイル姉の前に置いたところで、彼女は口を開いた。


「ネオ、どうして───」

「イル姉、俺はレオンとして生きてるんだ。その名前で呼ぶのは止めてほしいな」


 俺はイル姉の話を遮る様に言った。

 魔王軍特殊部隊隊長ネオは、世間じゃ有名な名前だ。

 能力スキル"隠密"を活かし、若くして魔王軍でも幹部に匹敵する功績を多数手にした男。

 またの名を人類の裏切り者だ。


「──そうよね、世間にも名前が知れ渡ってしまっているものね」


 彼女は少し寂しそうな顔をした。


 俺は、募集条件で最低年齢の10歳のときに魔王軍に入った。

 あの時は、俺たちを救い出してくれたあの魔王軍幹部のように英雄ヒーローになりたかったのだ。

 でも、孤児院を出るとき、イル姉には一言も言わなかった。

 言ったら絶対止められると思っていたからだ。


「それでね、ネッ…レオン、どうしてこんなところで鍛冶屋なんてやってるの?」

「魔王軍が負けたから」

「帰ってくればよかったじゃない。心配してたのよ、魔王軍に入ってしまってからずっと。君の名前を聞く度に、どんな成果を上げたとか、功績を上げたとかだった。その度に元気にしているんだと安心できたわ。でも、いつか訃報になるんじゃないかって不安も大きかった!」


 そういうと、イル姉は急に立ち上がり、机を回り込んで俺の前にしゃがみ込んだ。

 そして、座っている俺を抱きしめる。

 腕を俺の背中へ回し、頭は俺の首もとに押し付けてきた。

 俺の鎖骨にイル姉の暖かい息が当たる。


「今みたいに名前を変えていれば、君のことはバレないままでも前のような生活に戻れたよ。今からでもいい、一緒に帰ろう?」

「──イル姉は本気でそんなこと言ってるの?」

「えっ? それはどういう──」


 過去、俺自信が何度も考えては断念したことを軽く言われてしまい、思わず俺は答えた。

 不意打ちを喰らったようなびっくりした様子で、彼女は顔を上げて潤んだ瞳を俺の顔へ向けてきた。


「申し訳ないとは思ってる。手紙でも送ればよかった。でも、故郷には俺の顔と名前は一致してる人達がたくさんいる。たとえ名前を変えたとしても、どこからか話が広がると思う。そうなると、イル姉や周りの人たちにたくさんの迷惑をかけてしまうんだよ」


 そして、イル姉の眼を見て続けた。


「心配してくれてありがとう。泣かせてしまってごめん。でも、結構ここを気に入ってるんだ。だから俺は、この遠く離れた村で生きていくよ」


 できるだけ柔らかく、でも強い意思を込めて伝えたつもりだ。


 少しの間のあと、イル姉の眼には涙がさらに溢れ出して泣きはじめてしまった。

 こんな状態で誰か入ってきたら変な誤解をされそうだったので、今日は店を閉めてイル姉が泣き止むのを待った。



 

 30分程泣きじゃくった後、イル姉はようやく泣き止んだ。

 いろいろ溜まっていたものもあったんだろう。


「すっきりした?」

「──ごめんなさい、久しぶりに会った嬉しさと安心した感情が爆発しちゃったみたい。服もこんなに濡らしてしまって」


 涙を俺が渡した布で拭いたイル姉は、流してしまった水分を摂取するかのように、既に冷めてしまったお茶を勢いよく飲み干した。

 そのあと、湯のみを置き、続けて話す。


「それに、10年ぶりに会った弟のような存在が、成長して逞しくなってるんだもの。感動しちゃうわよ」


 そう、10年ぶりなのだ。俺は20歳なので、人生の半分の時間も経ってしまっている。

 もちろん、人間の俺とエルフのイル姉では時間の感じ方は全く違うのだろう。

 それでも、長い間心配し続けてくれたのだ。

 これからはしっかり連絡をしよう。


 そんなことを考えてる俺の向かい側の席で、意を決した顔をしたイル姉が言った。


「決めたわ、私もここに住むことにする!」



 俺は、イル姉の放った言葉が理解できず、ただ頭の中で何度も反芻させていた。

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