第71話 大仕事ふたたび

 結局、模擬戦はそこで中断となり、俺とシュレーマン団長の二人だけが侯爵家の邸宅――ルキアの執務室へと呼び出しを受けた。

 カンナは「圧倒的にこっちの勝ちっすよー。納得いかないっすよー」と不満そうな顔をしていたが、状況が状況であるため仕方あるまい。それに、小型結界の価値は十分に示すことができただろうから、それで良しとしよう。


「先も言ったが、王都が動いた」


「思ってたより、早かったですねぇ」


 ソファに腰掛けた俺、シュレーマンの二人へ向けて、ルキアがそう告げる。

 それに対して、飄々と答えを返したのはシュレーマンだった。


「そうだな。わたしとしては、もう一度くらい交渉の使者が来るものだと考えていたよ。前回の要求は、交渉の余地も全くなかった」


「その、前回というのは……」


「ノーマン領の統治権を王家に返還せよ、という無茶苦茶な要求さ。《魔境》の災害に対して、ノーマン領が新たに構築した大結界は、いつ壊れるか分からない不安定なものである。そのため、今後魔境の脅威に対して王家で対応していくため、ノーマン領の統治権を王家に返還せよ、という戯言だな」


「……」


 俺が聞いた話と、全く同じだ。

 そしてルキアは、交渉を行っていく段階だと言っていた。次はノーマン領の半分を王家に返還せよ、みたいな多少譲歩した要求が来るだろうと。

 だが、それもなく。

 王都は、ノーマン領に向けて兵を発した――。


「現状は、大した情報が入っているわけでもない。王都から出撃したのは二日前で、兵はおおよそ三万程度。歩兵を中心にした布陣であるから、さほど進軍速度は速くない。恐らく領境まで到着するのに、あと三日程度はかかるだろう」


「……三日」


「これを時間が十分にあると考えるか、時間が全くないと考えるかは人それぞれだ。残念ながら、わたしの考えは後者だね」


 三日しかない。

 俺の考えも、ルキアと同じ。三万という兵士の襲来に対して、こちらが対策を打つことができるのは、たったの三日しかないのだ。


「まったく、横紙破りも甚だしいよ。何の告知もなく、まるでこちらを侵略しようとするような出陣だ。正直、わたしもここまで王都が素早く動くことは予想できなかった」


「ふむ……三万ですかい。ちょいと厳しいですねぇ」


「そうだ。時間があれば、もう少し私兵を増やすこともできたが……現状の兵力で対応せざるを得ない。そして、防衛するにも砦を建設する時間もない。加えて、街道はきっちり整備されている。連中は、真っ直ぐこちらへ来るのに何の障害もないということだ」


「侯爵閣下はご存じでしょうが、私兵はかき集めても二千ってとこですぜ」


「随所の護衛官も合わせて、各地の自警団にも協力を求める。それでも、全部合わせて五千といったところだ」


 王都から出陣した兵士は、三万。

 こちらはどれほどかき集めても、五千が限界。

 その兵力の差は、六倍――。


「なるほど」


 しかし、シュレーマンはその表情に薄い笑みを浮かべて、肩をすくめた。


「護衛官と自警団に、協力を求めるのは悪手だと思いますがね。一時的とはいえ、領内の治安が乱れるおそれがありますぜ」


「……ほう」


「平時と戦時じゃ、治安の乱れようが違いますからね。特に王都から兵が来たって話に乗じて、厄介事を起こす連中もいるでしょう。そういう連中を御せない状態になるってのは、あまり賛成できる話じゃありやせん」


「……」


 シュレーマンの言葉に、ルキアが腕を組んで眉を寄せる。

 護衛官と自警団――それは、領内における治安維持を担当している人たちのことだ。犯罪者への対応、街や村の巡回、また野生動物やゴブリンなどの魔物への対応などを行っている。

 彼らは確かに、要請すれば兵力として換算できる戦闘力を持っているだろう。

 だが同時にその地には、犯罪者に対する抑止力も失ってしまう。

 シュレーマンが言っているのは、そういう懸念だ。


「ふむ。しかしシュレーマン。きみはたった二千の私兵団を率いて、三万の兵に対処できると言うのか? 砦もなく、防壁もない、整備された街道を歩いてくるだけの兵に」


「そうですねぇ……」


 ちらり、とシュレーマンが俺を見る。

 そして、これ見よがしに肩をすくめた。


「侯爵閣下。そろそろあっしを試すような真似は、やめてくれませんかね」


「ほう?」


「あっしは少し頭が固ぇかもしれませんが、かといっててめぇを負かした相手のことを認めねぇほど、固ぇ頭ってわけでもないんですよ」


 ルキアの笑み。

 そして、シュレーマンの溜息。

 その二人が同時に見やるのは――俺。


「えっ……?」


「三万だろうが十万だろうが百万だろうが、ソルさんの作る結界なら、全部防いでくれるって話でしょう? あの矢狭間は、あっしも想定外でした。完全に敵兵を防いで、こっちから一方的に攻撃できる手段があって、負ける戦はありやせん」


「なるほど。戦闘のプロフェッショナルであるきみが、そう判断してくれたことは僥倖だ」


「そりゃそうでしょう。あっしは今まで、結界ってのはただ壁を作るだけだと考えてました。結局、壁を作ったところで敵が無傷であれば、ただ睨み合うだけになりやすからね。冬を待つまでの持久戦しかできやせん。しかもその間、王都との街道は完全に封鎖されちまいます」


「そうだな。今から冬になるのを待つとなれば、様々な物資が滞ることになるだろう。他領との取引の一切が中止になるのは、少々いただけない」


 ルキアが頷く。

 敵を防ぐと同時に、街道を塞いでしまうのは、輸出入も全て停止してしまうということだ。それこそ、状況次第では食糧問題にも発展するだろう。


「ですが、矢狭間のある壁となりゃ、そいつはただの壁じゃねぇ。絶対に壊れねぇ城壁ですよ。砦も防壁もないなんて、よく言いますわ。そいつを作れるのが、ソルさんってことでしょうに」


「そういうことだ」


 俺は、ルキアとシュレーマン、二人を交互に見る。

 これは、つまり俺の仕事は――。


「そういうわけだ、ソル君。期間は三日。材料費は全て侯爵家から出そう。きみが今日の模擬戦で見せた小型結界を、街道の全てを覆うことができる程度まで作ることはできるか」


「できれば、矢狭間は二百くらい欲しいですね。櫓もきっちり揃えねぇと」


「……」


 たった三日。

 かつて《魔境》に対抗するために大結界を作ったときに比べて、その期間はあまりにも短い。

 だが――。


「……承知いたしました」


 俺は、頷く。

 このノーマン領の危機に対抗できるのは、俺の作る小型結界だけだ。

 つまり。


 ヨハン親方、それにグラスへ。

 俺は『ニワトリ』を。

 寝ずに仕事を行う『物凄く急ぎで』こと『ニワトリが鳴くまで』を、三日間頼まなければならない――。

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