思いのあとさき


 油断した。

 まさか上から降ってくるなんて。


 一人で部屋でじっとしていることができなくて、誰にも会いたくないのに誰かに会いたくて部屋を出て彷徨っていた私。

 それでも、目立ってレオンティウス様に見つからないように、端っこの、それも影の方を歩いていたつもりなのに。



 上から来るのは盲点だった。



 レオンティウス様はもう、神崎ヒメのことを見ていない。

 彼が見ているのはもはや神崎ヒメではなく、姫君プリンシアだ。


 咄嗟に彼を突き飛ばして、逃げてしまった。


「はぁっ──はぁっ……」


 急いで階段を駆け上る。

 早く……早く離れないと……。

 ダンスのステップを踏むよりも軽やかに足を動かしながら私はとにかく上を目指した。


 そして最上階へとたどり着いて角を曲がろうとしたその時──。


 ドンッ──!!


「きゃぁ!!」

「っ!! ──カンザキ!!」

「ひゃいっ!! ごめんなさいっ!!」

 愛しい人の声がして、私は条件反射で謝りながら頭を下げる。


 5年もの間、叱られ続けた成果だ。

 ──誇っていいと思う。



「先生?」

「まったく……。君はなぜこんなに騒がしいんだ……」

 呆れたように先生が言いながら、眉間に渓谷を作る。


「先ほどレオンティウスがここから飛び降りていったが、大事ないか?」

 あの人、最上階から降ってきたのか……。

 魔法ほとんど使えない人がよく着地できたな……。



「大事は……はい、ないです」

「ちょうどよかった。グレアムの騎士団長の件だが、個人的会談は君がいなければ行わない、と返答をよこしてきた」

「私が?」


 先生が難しい顔をして頷く。

「もし君が望まなければ、会談は無しにしてセイレの隠密部隊に探らせるが……どうする?」

「……わかりました。行きます」


「良いのか?」


「えぇ。タスカさんとは、私も一度お会いしたかったですし」

「助かる。あちらは夜に君と二人だけの会話を望む、ということを条件にしてきたが、私が少し離れた場所から護衛としてついていく」

「いえ、いいです」

「は?」

「先生、夜はお仕事も自分の修行もあるでしょ?」


 どんなに忙しくても修行を怠ることのない先生。

 エリーゼは私がどうにかするつもりではいるけれど、私は先生の修行を止めるつもりはない。

 愛する人を取り戻したいという思いに介入するわけにはいかないからだ。


 悔しいけれど。

 所詮姫君プリンシアは婚約者になる予定だったというだけで、彼の心にあるのはシナリオ通りのエリーゼなんだから。


「私は一人でも大丈夫ですよ」

 安心させるようににこりと笑顔を作って見せると、先生は難しそうな顔をしながら口を開く。


「君はもう少し自分のために生きなさい」


 その言葉に私の中で何かがうごめく。

 自分のために?

 どの口がそれを言うの?



「先生だって……エリーゼをよみがえらせるためだけに生きてるくせに」


 まるで子どものように不貞腐れながら呟いたその言葉に、先生が眉を顰めて反応した。


「──なぜ──それを……?」


 唸るように先生が呟く。


 しまった──。


 私が知っていることは先生は知らないんだった。


「そのことを──なぜ君が知っている!!」

「そ、れは……」


 声を荒げる先生に、何と答えれば正解なのかがわからなくて、私は気まずげにその炎を孕んだアイスブルーから目を逸らす。


「君にだけは知られたくはなかった──」

 そう吐き捨てるように言うと、先生はその場から足速に去ってしまった。


 私にだけは……?

 私が、部外者だから?

 私が、こどもだから?


 ズキズキと胸が痛む。


 だめだ。

 このままにしてしまっては……。



 部屋に帰ったらちゃんと話そう。

 私の過去。

 私の知っているもの。


 きちんと先生と話を──。


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