【Sideシリル】とある騎士団長兼教師の苦行
暖かい蒸気とともにシャンプーの香りが充満したシャワールームに入り、私はぐっと眉を顰めた。
この共同生活に慣れたものの、最近はまた別の感情により私の心は乱される。
自分にこのような感情があったなどとは夢にも思わなかった。
蓋をしたはずの思いがどくどくと溢れ出すのを必死でせき止める。
この思いは【彼女】だけに捧げるものだった。
なのに────。
彼女の魔法や剣に対する姿勢はとても好ましい。
自身で考え、技を繰り出し、いつも必死で食らい付いてくるその瞳。
まっすぐに思いを伝え続ける姿も、私には眩しいくらいだ。
だが、今日は違っていた。
まさか自分が、彼女のもはやお決まりになったセリフに一喜一憂する日が来ようとは……。
私は「はぁ」と一つため息をこぼしてから顔を引き締め、シャワールームを出た。
手早く楽な服に着替え部屋に戻ると、ソファの上に塊を見つけて眉を顰める。
ソファで横になり瞳を閉じている彼女に、またこいつはこんな格好で……、と半ば呆れながらも近づく。
刹那、パチリと彼女の目が開きその桜色の瞳で私の姿を認めると「あ、せんせぇらぁ〜」と、頬を染めてふにゃりと笑った。
「は?」
とろんとした顔と赤らんだ頬に鼓動が跳ねる。
落ち着けシリル・クロスフォード。
こいつはただの変態だ。
放っておけばシャワールームについてくるようなやつだぞ。
私は必死に自身を取り持つと「何をしている?」と至って冷静に尋ねた。
「ふふふ。ぶどうじゅーすをのんでたんでしゅよぉ〜」
呂律が回っていない。
机の上には空になったボトルが一本。
そしてすぐに葡萄の香りの中にアルコールの香りが混ざっていることに気づく。
この小娘に酒を飲ませはいけないことは、5年前のジオルドの一件で把握していたのに。
まずいことになった。
大方レイヴンにやる予定だったものと間違えたのだろう。
くそ、と内心で悪態をつきながらも、ゆらゆらと揺れる少女を支える。
「捕まっていろ」
とだけ言ってから、私は彼女を横抱きに持ち上げた。
そして彼女の部屋の扉を開くと、ためらいながらもベッドの前へと足を進める。
ここまできたのは、あの日、彼女に出会った日以来だ。
あの時はまだベッドを守るようにして謎の水晶が生えていたが、今はすっきりとしている。
そして私はベッドの上にあるものに気づいて、顔をこわばらせた。
あれは──私?
私そっくりな等身大のクッションが彼女のベッドに転がっている……。
大きなベッドに2つの枕、一つはそれが陣取っているのだ。
「わたしがはじめてこのせかいにきたつぎのひに、べっどのうえにあったんでしゅよぉ〜。がくえんのいしさん、すごいでしゅよね〜。あれからまいばんぎゅっとしてねてましゅ〜」
ニコニコと間延びした言い方で説明してくるカンザキ。
毎晩……ギュっと……。
これ以上長居しては危険だと判断した私は、彼女をそっとベッドへ下ろし、自身の身体をあげようとする……が。
ぐいっ。
「っ!?」
視界が回転し、次に見えたのは、自分を見下す見慣れたはずの桜色の瞳だった。
ぎしりとベッドが沈み、私の身体がそれに包まれるように埋まっていく。
私は今──この小娘に押し倒されている。
プチプチと私のシャツのボタンを無心で外していくカンザキ。
「っ!!」
これは本当にまずい。
脳が危険信号を出し私はすぐに起きあがろうとするが、今度は私の胸にピッタリと顔をくっつけるカンザキによってそれは阻止される。
「っ……カンザキ、どけろ」
できるだけ平静を装いながら口にする。
「やぁっ」
甘えるように更に私に擦り寄るカンザキが私の感情を刺激していく。
何て苦行だ……。
昔、寝室にメイドが侵入し騒ぎになったことが度々あったが、そのどれにも今感じているような感情は芽生えなかった。
むしろ気づいた瞬間に魔法を放つほどには不快感を覚えていた。
だから私が女性とベッドを共にする日などないと、そう思っていたのに。
黒いネグリジェから覗く白い肌を極力見ないようにしながら、どうしたものかと思案していると、カンザキがそのままの状態で口を開いた。
「せんせぇ……すきなの」
所在なさげな、か細い声。
「えりーぜのところになんて……いかないで。わたしをみて……」
確かな彼女の懇願に、私は言葉を詰まらせる。
エリーゼ?
彼女は何を言っている?
「こんやくしちゃ……やだ……」
その言葉に、私は目を見開いて凍りつく。
思い出されるのは夕方の、アレンとの会話。
こいつは何か勘違いをしている?
「君は何か勘違いをしている。私とエリーゼはそんなんじゃない」
未だ静まることのない鼓動の高鳴りを抑えながら、私は彼女に言う。
誤解を誤解のままにはしておきたくはない。
するとカンザキは私に身体を預けたまま、首をゆっくり横に振った。
「ううん。せんせぇはえりーぜがすきで、うんめいはそれをこのせかいのほんしつとしているもの」
大人びた口調でカンザキが静かに言う。
運命?
この世界の……本質だと?
彼女は何を言っている?
部外者のような物言い。
まるで自分はここにいないかのような、どこか他人事のような。
「せんせぇなんて──しあわせにならなきゃいいのに……」
ぽつりと呟かれたその言葉に私は不安を覚える。
これは、誰だ?
「それはどういう……」
「すー……」
小さな寝息が耳に抜けていく。
「寝た、のか?」
これ幸いにと私は身体を起き上がらでようとするが、彼女はべったりと張り付いたまま動かない。
本当に、何て苦行だ。
しばらく考えたのち、服を掴んで離さないんだから仕方ないと自分に言い訳をしながら、もともと疲れていた私はそのまま柔らかな身体を抱いて眠りの中へと落ちていった。
挿絵↓
https://kakuyomu.jp/users/kagehana126/news/16817139557799546760
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