第12話
景色はどこまで行っても、まったく変わらなかった。
風を避けるために、道の両側は緩い土盛りや森が続き、イメージと違って周囲を見渡せない。その外に広がる白い大地が時折見えるが、基本的には同じ道路が、ただずっと続いている。
今野は途中で一度給油のためサービスエリアに入ったが、それ以外は止まらずに走っていた。眠くなってくる。
助手席で寝てしまうのもなんだか悪い気がして、時宗は目をこすった。
「眠いんか?」
「ん~、まぁ……」
「寝てもいい、気にすんな。オレいっつもひとりで運転してるから」
ぼけっと今野の横顔を見る。黙って運転に集中している横顔は穏やかだ。視線がちらりと時宗を見る。
「景色おんなじだから暇になったんだろ」
「だな。これあとどのぐらい走るんだ?」
「あと2時間近い」
「マジか」
「だから言ったべ? 途中で文句つけんなって。高速は海もろくに見えないし、おもしろくねんだ」
「文句はつけてない。ただ、いつもこうやって、ひとりで長時間運転してるのかなって」
「遠く行く仕事はそんなにない。だから今回はすごくタイミングよかったんだ」
時宗はサービスエリアで買ったお茶を飲んだ。まだそれはほんのり温かくて、時宗にはありがたかった。
「遠くって、どこまで行ったことあるんだ?」
「一番遠くて……大阪かな。でもそれは一回だけだ。あとは大体、道内のどっか。2か月に一回ぐらい東京行く」
けっこう行ってんじゃねぇか。
「東京行ったら、何日ぐらいいるんだ?」
「すぐ帰る」
「いや……じいさんに会って行かないのかよ」
「会うってオレひとっことも言ってない」
頑固な調子で、今野は唇を引き結んだ。やれやれ。商売がカタギじゃないっぽいのは察しがつくが、なんならどっかの警察署に横づけして駆け込むとか、やりようはないのか?
説得を焦ってもしょうがないのはわかってるんだが。東京に行くまで、せいぜい好みの横顔を笑わせて堪能する以上の解決策が、今のところ見つからない。
「会うか会わないかは、まだ考える時間があるとして……どうやって東京まで行くのか聞いてもいいか?」
「このまんま函館まで行って、フェリーに乗る。青森着いたら多分夜中だから、そこでホテル泊まって、明日また高速で東京まで行く」
なんというか、聞いてみれば普通の道のりだ。
「いっそ長距離フェリーに乗った方が楽なんじゃないのか?」
「運転してた方が退屈しねぇし、その方が早い」
あ~、そうか運転が好きだから……。
「フェリーとホテルって」
「ラーメン食った後に予約した」
「ふ~ん」
黙々と調べ物をしていたし、駐車場でどこぞに電話していたのはそれだったのか。
中身のわからないスーツケースを北海道のあちこちや東京に運ぶ仕事。たとえ金があっても足抜けできない状況。
ホテル辺りで弥二郎に相談できるだろうかと時宗は思った。足抜けの手段として考えられるのは何だろう。
やれやれ。今野が訳ありじゃなきゃ、一日で終わる楽な仕事だったはずなんだ。それがなんでこんな面倒なことになってる?
まぁしかたない。何回溜息ついたって状況は変わらない。それより、今野が仕事で東京に行くことになったってこと、それに同行できてるってことにチャンスを見つけるべきだ。
「今ってどの辺なんだ?」
「北海道の、足の内側」
「??」
「北海道の左の下に、足出てるべ? その足の、内側」
地図を思い浮かべ、なんとなく何が言いたいのかはわかった。どうやら左下の丸い湾に沿って走っているらしい。さっぱりわからん。
「フェリーって、何時間かかるんだ?」
「4時間ぐらい。適当に寝る」
「寝るには短くないか?」
「他にすることねぇ」
確かに。
「インターネットは使えるのか?」
「ちょっと使える。電話もちょっと使える」
『ちょっと』というのは『岸に近い間』という時間的な話なのか、それとも全域に渡って繋がりが悪いという話なのか……。
「沖は使えないっていう感じか?」
「Wi-Fiの時間制限が2時間なんだ」
なるほど。
なんていうか、今野の会話が言葉足らずなだけなのだということはわかった。ゆっくり会話して、丁寧に聞けば説明は返ってくる。
ひとりが多いんだろうな。
時宗はそういう印象を受けた。仕事などで説明を要求されることがなく、適切な言葉の量がよくわかっていないんだろう。
何年、こんな生活してるんだ?
その質問はまだ早い。太陽は西へ傾き、白い森の奥からぼんやりとした光を放っていた。
何年。そうだな。いつか、俺ももう少しまともな人生を送れるようになるんだろうか。時宗の父親が弥二郎に電話で怒鳴っているのを聞いたのは、つい先月だった。電話越しなのに、廊下にまで聞こえるほどの声。
「何年、そんな生活を続ける気だ? 時宗を電話に出せ」
弥二郎は一瞬もためらうことなく、自身の兄に向かって怒鳴り返した。
「知るか! 誰のせいでこんな生活になったと思ってるんだ。それに時宗にだってあいつの人生がある。お前なんぞに時宗を潰す権利はない。いいか。時宗はもう大人だ。あいつが自分でその気になれば帰るだろう。そうじゃないんなら、誰もあいつに何かを強制すべきじゃない。もう電話してくるなと言ったはずだ。何か連絡事項があれば親父を通せ」
それだけ言うと、弥二郎はぶつりと電話を切った。スマホをテーブルに放り出す音。大きな溜息。
親父というのは、時宗の祖父、つまり時宗の父と弥二郎との父親だ。悠々自適の独居老人は、引退した今も一族の実質的な最高権力者であり、時宗は自分の父親がその祖父に対して、陰で何をしているかを知っていた。
廊下から静かにリビングに足を踏み入れる。ダイニングテーブルに座り、うつむいていた弥二郎が顔を上げる。
「聞いてたのか」
「まぁ……あれだけ派手にやってりゃな。……迷惑かけてすまない」
「お前は迷惑じゃない。いいか。俺に対して負い目を感じるな。お前が納得いく人生を送れれば、俺はそれでいい」
弥二郎はもうひとつ溜息をつくと、疲れたように笑った。
今野は黙って運転し続けている。高速道路の先を横切るように、山の稜線が左右に続いていた。時宗はそのだだっ広い景色を眺めながら、遥かな道のりを思った。
どうして探偵なんて酔狂な仕事してるんだ。それは誰のためだ。
東京に戻ったら、今度こそ弥二郎に聞いてみなければいけない気がしていた。
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