第5話

「九曜さん。先日のフィールドワークの事で椿雄介さんにお礼をメールをしたら、返信が来ましたので、見て下さい」

 授業が終わった後のS大のとある教室の一室で、雪上は隣に座る九曜に自身のノートパソコンを向けた。

 九曜は無言でメールを読みながら、何度か頷いている。



九曜様

雪上様


こちらこそ、先日はせっかく調査にいらしたのになんのお構いも出来ず申し訳ございません。

それでも、お役に立てたであれば幸いです。


余談ですが、犯人が見つかりました。

隣家に住む笠原老人でした。

(犯人と言う表記が正しいのかわかりませんが)

老人は父に夜分、家に呼び止められ話をしていた際に、ささいな事で言い争いになりそのはずみで体を押してしまい、その時に頭を打った場所が悪く致命傷になったとのことでした。

私の容疑は晴れた訳ですが、複雑な気分です。

笠原さんも精神に色々と病を抱えていた様で。

もちろん、父が亡くなったことは哀しいですが、笠原さんの行いをどこまで責めていいのかわかりません……。


すみません、余談が長くなりました。

と、言う訳で長くなりましたら私は元気ですのでご心配なく。


お二人の調査が良いものになる事をお祈りしております。

またお手伝いが出来ることがありましたらお声がけください。


椿 雄介



「九曜さんはこうなることを予測していたのですか?」

 九曜はメールを見ながら、少し首を傾げた様に頷いた。

「あの笠原老人が、まあ、昔風に言う精神衰弱の状況に陥っていたのはなんとなくわかった」

「それはどうして?」

「音に非常に敏感だ。病的なくらい。あれは、つねに神経が張り詰めている状態だと思う」

「うーん」

 雪上があまり要領得ない返事をしたので、九曜は詳しく話を続けた。

「例えば、夜ベッドに入った時に、時計の音が気になった事は?」

「いえ、ありません」

 部屋に秒針のついた時計があるが、その音について雪上は気にしたことはない。

「その音が気になって気になって、うるさくて眠れないと言う人もいるんだよ」

「え?」

「でもそれって言うのは、やっぱり変に神経が張り詰めた状態で。それがひどくなると笠原老人の様になるのではないかと思う。もちろん、専門の精神科医ではないから詳しくは、わからないがね」

 九曜はそう言って、パソコンを雪上の方に押し戻した。

 そう言えば、雪上はもう一つ気になっていることがある。

「あの時」

「ん?」

「笠原老人と話をした時に、九曜さん。『やはりそうですか』と、言いましたよね? あれはどういった意味で?」

 確か、二色の花をつける椿を知らないかどうか聞いて、笠原老人が、そんなもんは知らん。と言った場面だったと思う。

「あれは言葉のままだ。つまり、笠原老人は『そもそも違う』と言った。つまり椿じゃないと」

「椿じゃない?」

 雪上の頭の中は盛大にこんがらがっている。

「そう、民話に出てくるあの花は山茶花だ」

「さざんか……」

 九曜が言った単語を反芻する。

 花の名前にはうとい雪上でも、耳にしたことのある花の名前だった。そこまで思うのに十秒ほどかかった。

 その様子を見かねたのか、九曜は自身のスマートフォンで何かを検索し、スマートフォンを雪上に手渡す。

 スマートフォンには画像が表示されていた。

雪上はその画像を見て、たっぷり三秒ほど時間を有した。

「椿?」

 白と赤の色が混じった椿の花が表示されている。

 椿家で見た絵とほとんど同じものだ。

「いや、これが山茶花だ」

「これが……」

 いや、一見これはもう椿としか言いようがない。

 園芸が好きな人やプロの専門家が見れば、すぐにわかるのかもしれないが、雪上にはその違いはまったくもってわからない。

「…………椿にしか見えないのですが」

 雪上は皮肉めいた感想を述べると、スマートフォンを九曜につき返した。

「椿の花は単色でしかない。けれど伝承に残る椿は色が混じっていると言う。それが山茶花であれば納得がいくのだ。もともと山茶花にはこういった色をつける花があったから。それならば、椿家に伝わるのは椿ではなく、山茶花だと考えるのが普通だと思った」

「はあ……」

 雪上は、”椿がある”と言う前提で全ての解釈を進めていたので、”椿がない”と言う前提で話をする、九曜の考えにただ舌を巻くしかなかった。

「この考えは、もともと頭の片隅にはあったが、椿家に伝わる伝承が本物だと俺自身の信じていたので、表立って言おうとは考えてなかったが、笠原老人の話を聞いて、自分の考えが正しいのだと確信に変わったよ」

「はあ」

「つまり、君も隣で、笠原さんとのやりとりを聞いていただろう? 椿家を訪れた後に、集落を一周して笠原老人の家を訪れた際に、『椿家に伝わる。赤と白の二色をつける椿について調べているが、何かご存知ないでしょうか?』と聞くと、『椿なんか知らん。そもそも違う。』とあの人は言った。つまり、その言葉は『椿はない他の植物があった』と、言っているのと同義であると思わないか?」

 雪上はあの時、笠原老人が『違う』と言ったのは、話を切り替えるために使用したのだと思った。しかし、違うの意味が、その前の椿にかかっているのなら、九曜の言った通りである。

「なるほど」

「だから、あの庭にあったのは椿ではなく山茶花と確信した」

「なるほど。でもなんで山茶花なのに、椿家では『椿』と伝わっていたのでしょうか」

 自分と同じようにと言う言葉はあえて入れなかった。

「それで考えたのが……他にもしかしたら理由があるかもしれないと言うことだ」

「理由ですか?」

 九曜は自身のスマートフォンを見ながら頷いた。

「ピンクの椿の花言葉は、控えめな美。控えめな愛。慎み深い。」

「日本人を体現した様な言葉ですね」

「それに対して、ピンクのサザンカの花言葉は、永遠の愛。」

 なぜかその言葉に雪上はどきりとした。

「まあ、ここからは憶測でしかない。これを植えた出家したお姫さんは、もしかしたら、当時あの椿家に想っていた人がいたのかもしれない、けれど自分は出家した身。表向きは『椿です』と偽りを言って、植樹したが、本当は自分の気持ちを伝えるために山茶花を植えたのかもしれない。そう思うと面白いだろう」

 まあ、勝手な全て想像であるけれどと、九曜は付け加える。

 その時代に花言葉なんてあったのだろうかと疑問に思ったが、出家したお姫様がどんな気持ちでその山茶花を植樹したのかと考えると、雪上は何も否定する気持ちは起きない。

「でもどうして枯れてしまったのでしょう?」

「椿も山茶花も害虫に好まれる。チャドクガと言うよくない虫がいる。被害がひどくなって切り倒したのだろうと思うよ」

 九曜の説明を聞きながら、自分の中に感じたその入り混じった感情をどう表していたらいいのか雪上はわからなくなり、ただ頷いて話を聞き流した。

 彼女は珍しい山茶花をただ植えたのかもしれない。

 その可能性だって否定できないのだと思いながら。

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