第4話

 椿家を辞して、九曜はそのまま帰らずに集落をぶらぶらと歩き始めた。

「帰らないのですか?」

「ああ、もう少し」

 何がもう少しなのか、わからなかったが何かがあるのだろうと思い、だまって、九曜の後ろに続いた。

 道路はアスファルトで舗装され、民家は隣の家との隙間なく立ち並ぶ。店はなく、あともう少し先まで行くと民家は林に変わる。

 この辺りの地区の人々は何を生業にして暮らしているのだろう。

 そう言えば、民話の方ばかりを研究していて、地域についての知識が全くない事を知った。

 でも、先ほど会った椿雄介は仕事で家に居ないことが多いと言っていたので、どこか別の所に仕事をしにいっているのだろう。

 もしかしたら、倉庫や何かの製造を行っている会社があるのかもしれない。近くではないかもしれないが、車で通勤できる範囲と考えれば、もっと範囲は広がるだろう。

 話を聞くまでは、雄介が殺人犯かもしれないとも思ったが、実際に話してみるとどうも、殺人犯には思えない。ミステリー好きの友人に言わせれば、そう言った人の方が犯人の可能性が高いと言うのかもしれないけれど。

 どちらにしろ、雪上には出来ることは何もない。ただ、彼の無罪が証明されるのを願うばかりである。

 では一体誰が殺人なんか――もしかしたら、僻地を狙った空き巣などに入られ、鉢合わせてしまい殺されたとか。

「君は伝承の椿についてどう思う?」

 いきなり前を歩く九曜にそう声をかけられ、ドギマギとした。

「現存しないものですからね、どうにでもなると言ってしまえばそれまでなのでしょうけれど……ですが、椿家で見せていただいた掛け軸の事を考えると恐らくあったのだろうと思いますね」

「その理由は?」

「伝承が本物であると裏付ける僕の理由はあの掛け軸の存在です。そうなると今度はあの掛け軸は偽造されたものではないか。その議論になると思いますが、そもそも偽造する理由がないと思うのです。だって、椿があったから、無かったからに関して、無かったからデメリットを被るとか、あるからメリットや恩恵を受けるとことって特別ないと思うので。そう考えるとわざわざ偽造してまであの掛け軸を残す理由なんてないと思うので」

 雪上は自分でそう言葉にして尚更、ストンと納得することが出来た。

「では、君は椿が過去にあの庭に植わっていたと言う説を信じるのだね」

「はい」

「色がピンクと白色の」

「…………はい。ですが、そういった椿の品種はないのが普通なのでしたっけ」

「椿の花は基本的には単色だ。デュマの小説に出てくる椿姫には赤と白の椿の花が出てくるが、色が混じった椿の花は出てこない」

「はあ」

 椿姫と言う単語は小説、オペラ等のタイトルとして聞いたことがあるが、実際にそれがどんな物語であるか雪上は知らない。

「まあ、それは良いとして。椿の花が咲かなくなった理由は、その当時、箱の中に椿の花を入れそれを運んでいる途中に箱をあけてしまい、蝶になって飛び立ったと言う。それについては?」

「そうですね、何か禁忌を犯したのかもと。さっき、椿はあまり好まれなかったと言っていたじゃないですか。花がそのまま、ぽとりと地面に落ちてしまうから」

「確かに。今はそんな迷信めいたことを信じる人はいないと思うが。武士の時代だと特にそうだったかもしれないね」

「もしかしたら、過去に椿家の中で家に椿がある事によって良くないことが起きてしまって、”蝶”と言う単語が出て来ると言うことは誰かがなくなったのかもしれません。日本だけではなくて、世界で見ても”蝶”は霊的な意味合いが強くある様ですから」

「なるほどね。君の説も面白い」

 その言葉になんだかがっくりとしてしまう。

 ”君の説も”と言うあたり、もう既に九曜の中ではきちんとした仮説が出来上がっていて、自分の仮説の情報をすり合わせるために、こうやって雪上に意見を求めているのではないかと。

「じゃあ、九曜さんはどう思っているのですか?」

 逆に雪上が聞き返す。少し、ひがむような言い方になってしまったのは見ないふりをした。

「蝶となって飛び立ち、花が咲かなくなった。まあ、花が咲かなくなった本当の理由を美しく理由づけただけと思うね。他に、俺が考えた仮説を言ってもいいが、その前に一つやる事がある」

 九曜が立ち止まり、横を向くと、それは先程雪上達が訪れた椿家の隣の家だった。

考えて歩きながら話をしていたものだから、雪上は集落を一周して回って来たことに気がついていなかった。

「ここは、椿さんではなく……笠原さんの家では?」

「そうだ」

 九曜はなんてこともなくつかつかと笠原家の敷地に入り、インターフォンを押す。

雪上は先ほどの笠原の剣幕を思い出し、逃げ出したい気持ちをぐっと抑えて、九曜の後に続いた。

 インターフォンを押してから、しばし待ってみたが反応はない。

 じゃあ、帰りましょう。と、雪上が言う前に、九曜は再度インターフォンを押す。

やはり反応はない。

九曜はため息を吐いて、インターフォンを連続で押した。

「九曜さんっ」

 見かねた、雪上は止めに入ったが時すでに遅し。

 玄関の向こうから、ひどい怒鳴り声と足音が聞こえ、背筋が凍りつく。

「夜分遅くにすみません。隣の家に伝わる、赤と白の二色をつける椿について調べているのですが、何かご存知ないでしょうか?」

 冷静な九曜の対応に、雪上は心臓がどきどきとした。

「椿なんか知らん。そもそも違う。一体こんな時間になんだってんだ」

 知らないと言う言葉をこんなすごい剣幕で言われたのは初めてだった。雪上はその場に凍り付いた様に動けずにいたが、九曜はそうではないらしい。

「やはりそうですか」

 何がそうなのは雪上には全くわからない。その回答に納得したのならばもうここから帰ってはいいのではないだろうか。

 笠原老人は九曜が一人考え込む仕草を見せた際にも、何を言っているのかあまり聞き取れなかったが、言葉を繰り返している。その言葉はこちらを罵る様なあまりはっきりとは聞きたくない言葉だと言うことはわかっていたが、意識が遠のきそうになっていた雪上にとってはそれ以上の言葉を聞きとる事は不可能だった。

「それで、貴方は――犯人は近隣の騒音トラブルに悩まされていた貴方は、隣人をかっとなって殺してしまったのですか?」

 九曜の切り込む様なモノ言いに、笠原老人はうっ、と思わず言葉を詰まらせた。

「何を言う? 人を、殺人鬼扱いか? 名誉棄損で訴えるぞ」

 暴言を吐いているが、雪上は思った。笠原老人には先ほどの剣幕はない。どこか怯えている様だと。

 九曜は一切、笠原老人の暴言には耳を傾けず、ただ、淡々と話を進めていた。

「あの日の夜、隣の椿さんが亡くなった日。貴方はまた近所の物音が耳についた。いい加減にしろと、強く怒鳴りつけ文句を言ってやろうとずかずかと家を出た所で、隣家の椿老人に会った。椿老人は貴方をなだめようと、自分の家に引き入れ、話を聞くと言ってくれた。しかし、貴方はまだその騒音が耳から離れずに、椿老人と押し問答になり、何かのはずみに、彼を押し倒してしまった。それで、運悪く椿老人は頭から倒れ、当たりどころが悪かったのか、床に置いてあった、歩行リハビリ用のステッパーに頭を打ちそのまま動かなくなってしまった。貴方は大いに驚いた。もちろん殺すつもりはなかったのだろう。しかし、もし自分が犯人だとバレたら……そう思った貴方はあおむけに倒れた、椿老人の体をひっくり返し、うつ伏せにした。そうすれば、後ろから第三者。たまたま空き巣などにやっていた強盗犯に見つかり殴られた。と、警察はそう思うかもしれないと思ったからだ」

 笠原老人は先ほどの態度を一変させていた。

 いらいらとまくし立てる様な剣幕は、鉾はなりをひそめ、今度はただ心配そうに捨てられた老犬の様にしょんぼりと目を彷徨わせている。

 九曜は話を続ける。

「しかし、警察はこんな辺鄙な集落に強盗犯がわざわざやって来るとは考えずに、息子が父親を殺した犯人だと仕立て上げた。流石に貴方もまずいと思った。でも、どうしたらいいのかわからなかった。焦燥感とイライラだけが貴方の中に渦巻いていていた」

「……ずっとまともに眠れないんだ」

 笠原老人はぼそりと呟いた。

 疲れ切って、それで何かを諦めているその声を聞いて、哀れだと思わずにはいられなかった。

「貴方は本来、曲がったことが嫌い真直ぐな方だと椿家のご子息の雄介さんに伺いました。……本当は、きっと今回のことで心を痛めているのだと私は察します。私は貴方が正しい事をなされる方だと信じています。お話ありがとうございました。失礼します」

 九曜が礼を言って踵を返した時に見た笠原老人は苦い表情をしていた。

 その表情がなんだか妙に心に残った。

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